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Posted by おてもやん at

2010年10月31日

この百年間の日本語の本の中で最も美しい本

 ジュンク堂書店には本が読めるスペースがありますので、「買うか買うまいか」迷う時はいいですね。しかし、逆の場合もあります。買おうとする直前の本を読んで、もう一冊別の本が欲しくなることもあります。
 まさに金子光晴『マレー蘭印紀行』中公文庫が「もう一冊」でした。金子詩集『女たちへのいたみうた』の表紙を隠しながら、解説のところを読んでいたら、こんな文章がありました。

 この文庫版の選詩集を読み、金子光晴という詩人に興味をおぼえたら、その人の書いた詩をもっと読んでください。・・・もし、この文庫を手にとり、いままさにこの解説を読み、レジに持っていこうとしているなら(解説を読んで元の本棚に戻しちゃいけません。そんなことをしたら、あなたはこれから生涯であなたが得ることになっているはずの恋人を最低ふたりはなくしてしまうでしょう。そのことは、わたしが保証します!)、どこかの棚にあるであろうその人の他の文庫本も捜して、ついでに持っていってください(恋人がひとりはふえます。それも「ねるとん」より確実で、しかも質の高い恋人が)。何冊も一度に買えないというなら、まず『マレー蘭印紀行』からはじめてください。この本の中の日本語は、この百年間発表されたすべての本の中でもっとも美しい。日本的な因襲のすべてに、生涯にわたって反抗しつづけたその人が書いた日本語こそ、だれのどんな日本語より美しかったのです。

 ということで、まんまと『マレー蘭印紀行』を買うことになりました。
  


Posted by わくわくなひと at 19:27Comments(0)

2010年10月31日

金子光晴詩集『女たちへのいたみうた』集英社文庫

 詩人の茨木のり子さんのエッセー集を読んで、「どんな人だろう」と俄然興味が湧いてきた人の詩集です。金子光晴詩集『女たちへのいたみうた』集英社文庫。
 金子さんは、茨木さんが、こんな風に書いていた人です。

 さまざまな女性体験も永い間に醸成されて、美酒のごときものに変じ、老いてなお、知的で繊細な男の色気を失ってはいなかった。対座すると、ひどく安らかでくつろげるのである。
 飄々とした雰囲気は、すでに女に関する<免許皆伝>かとも思われ、さらに言えば、男女の別さえ突き抜けていた。本来、人と人とは対等であるということが、これほど血肉化され、体現できている男性が日本にも居た!というこころよい驚き。


 文庫本の表紙も色っぽ過ぎて、表紙が見えないように裏返しにしてレジに持っていきました。
 少し読みました。何ものにも臆しない人(女性は少し怖いと思っている)の詩と文章です。
 いろんなしがらみから自分の頭を解放し、創造の世界に入っていくときに重宝する本ではないかと思いました。

 
  


Posted by わくわくなひと at 19:07Comments(0)

2010年10月31日

老年期の人たちの心理と行動を描く。伊藤整『変容』

 昨日に続いて、今日もジュンク堂書店に行きました。
 途中、天神西通りで旧知のバード稲原さんに会いました。今日も街頭を歩く美少女の写真を撮っていました。「天神から丸善がなくなって困ったもんだ」と、そんな話をしてジュンク堂に行きました。
 今日は多少お堅いイメージのある岩波文庫から、伊藤整の『変容』を買いました。一年くらい前に、ある程度齢を重ねた時に読んだらいい本と紹介されていたものです。

汽車の窓の左側に小さく、市街の家並から抜け出て、壁の白い天守閣が見えた。・・・二年ほどかかった修理もすでに完了し、二重の入母屋作りの破風を見せて、典雅な形でこの町の上にそびえている。・・・

 この文章から始まる小説です。無駄のない大人の男性の文章のリズムが何とも心地よい感じです。

 老年期に入ろうとする主人公たちが展開する心理や行動は、性の快楽が青年の特権ではないこと、さらには、それらの行為を通して人生の真実により深く到達するのは、若者や壮年よりも老年であることを啓示する。

 哲学者の中村真一郎さんが書いてあります。暇見つけて、こっそり読み終えたいと思います。
  


Posted by わくわくなひと at 18:50Comments(0)

2010年10月30日

日本一の読書家・松岡正剛の書棚が冊子に。博多にも請う丸松本舗

 丸善が天神からなくなって半年近くになりますが、丸善と同じ系列の巨大書店・ジュンク堂福岡店に面白い冊子を見つけました。
 松岡正剛「松岡正剛の書棚 松丸本舗の挑戦」中央公論新社(2010年7月20日再版、同7月1日初版)です。A4判よりも小さいけど、分かりませんがB5判よりも大きいような冊子です。132頁に松岡正剛独特の本の話がこれでもかというように書いてあります。
 「丸松本舗」はまだ行ったことはありません。丸善・丸の内本店4階にあり、この本舗のことが図解入りで解説してあります。全体図が書いてあり、以下の内容で構成されています。

■懐本 誰もが知るあの人を懐古 スペシャル蔵書
・「読書の達人」たちと再会できる一連の棚は特別の輝きを放つ。
■造本 松浦康平の意匠 装幀家とブックデザイン
・華麗な本の装いから届くメッセージの豊かさを堪能してほしい。
■本座 人と書物をつなぐブックウェア・ポータルサイト
・松岡正剛がプロデュースするインターネット上に広がった電子共読空間が本棚で運動する。
■本殿 松岡正剛 千夜千冊の世界
・松岡正剛の読書世界がいよいよ書棚に開かれた。
■本集 本が奏でるseason テーマ特集棚
・季節がめぐるように入れ替わる特集棚。
■橋本 書棚が架かる
・見知らぬ本との出逢いに誘う。
■本人 書物と暮らす人々
・日々の読書を多彩に展開する憧れの読書人を棚で紹介。
■本相 セイゴウ発、本の景気動向
・本の市況をセイゴオが一刀両断。
■本架 オリジナル書架とブックエンド
・各界のマイスターやデザイナーとともに、ブックシェルフを開発・提案。

 今度、丸善福岡店は博多駅にできるそうですが、「丸松本舗」もぜひつくってもらいたいと思います。
 ジュンク堂さんやTSUTAYAさんには悪いですが、どちらも書名や作者名などが明確に分かっていないと買いにくい本屋さんです。丸善は自分の思考の文脈にそって本の品揃えがしてありますので、こんな本屋さんも自分には必要です。
  


Posted by わくわくなひと at 21:20Comments(0)

2010年10月28日

わが色欲いまだ微かに残るころ・・・最晩期の斉藤茂吉

 鶴見俊輔編『老いの生き方』所収、鮎川信夫「最晩期の斎藤茂吉」より。

 わが色欲いまだ微かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり

 ・・・色欲と渋谷の駅が結びついているところに、どんな事情が潜んでいるのかは分からないけれど、それだけで読者である私にはぴったりくる個人的な暗号になりうる。青山や代田1丁目に住んでいたので、渋谷駅の付近には、よからぬことをした思い出がたくさんあるからである。

 私も大昔、代田1丁目の隣の隣町くらいのところに住んでいましたので、分かるような気がしました。後10年もすれば、こんな心境になるのでしょうか。

この歌の熊本版なら・・・

 わが色欲いまだ微かに残るころ中央街にさしかかりけり

福岡版なら・・・

 わが色欲いまだ微かに残るころ中洲新地にさしかかりけり

でしょうか?

 朝飯(あさいひ)をすまししのちに臥処にてまた眠りけりものも言わずに

 こういうことが多くなるのがすわなち老いの兆候である。食事のあとの眠りは快楽であって老人は誰憚るところなく、その快楽に直行できる。・・・「いわゆる『耄期』に入ったものは、玉茎などもしなびてしまって、から見映えのしないものになつてしまふ。従って、美姫の唇などといふものだつて、邪魔ものになる。そんな邪魔ものの無い方が安楽に寝れるといふことになる。(中略)ひとりぽっちで、厚ぶすまで体をうづめ、とぷりと獣類の穴ごもりするやうな感じで、ほのりほのりと暖まるといふことは、全身が清爽で何ともいへぬ終末である」
 耄期に入って「全身が清爽」という快楽の境地は、少しでも若さに未練のあるうちは、なかなかわかり難い。しかし、これは文字どおり真実である。老体は、何をしなくても、安逸な生の喜びを享受しうるようになっている。快楽のために、運動や人手を必要としない。眠りに直行するだけで充分すぎるほどなのである。


 おとろえしわれの体を愛(は)しとおもふはやことわりも無くなり果てつ

 立派に自慢の歌である。
  


Posted by わくわくなひと at 17:10Comments(2)

2010年10月26日

日本人の顔は面白い!ツングース、ポリネシア、モンゴリ・・・

 茨木のり子さんの『一本の茎の上に』を読んで思い出しました。
 日本人の顔は実に面白いです。東京で電車に乗って反対側の座席に座っている人の顔を見ると、「この人の先祖は遠い昔どこから来たんだろう?」と思うことがあります。熊本ではあまり思いませんが、福岡や東京など、いろんな地方出身の人々が集まっている街に行くと、そう思ってしまうことが多いですね。
 私の顔は、同僚に聞くと、「まず南九州だと思われる」そうです。ただ自分自身、この説ははずれだと思っています。何万年も昔は南から来たのかも知れませんが、北部九州の在来種、いわゆる縄文人のDNAがいくぶん表面に出ている顔だと思います。社内の顔を見ても、遠い昔はツングース、モンゴリアン、漢民族という感じですね。ポリネシアン系は残念ながらいないようです。

(茨城のり子『一本の茎の上に』から)
人間の顔は、一本の茎の上に咲き出た一瞬の花である-と感じるときがある。
 硬いつぼみもあれば、咲きそめの初々しさもある、咲ききわまったのもあれば、散りかけもあり、もはやカラカラの実になってしまったものもある。
 美醜も気にならなくはないけれど、私が関心を持つのはもっと別のことで、
―あ、ツングース系。
―ポリネシアの顔だわ。
―なんともかとも漢民族ねえ。
―まごうかたなきモンゴリアン!
 そのよってきたるところの遠いみなもと、出自に思いを馳せてしまうのである。

  


Posted by わくわくなひと at 11:22Comments(0)

2010年10月25日

1000年前の肩肘張らない“生物多様性”・・・『和漢朗詠集』

 昨日、熊本の安政町にあるTSUTAYAで、川口久雄『和漢朗詠集 全訳注』講談社学術文庫(2010年5月20日第44刷、1982年2月10日第1刷)を買いました。
 この一年余り、自分がけっこう感動する文章に、かなり偏りがあることに気付いてきました。美しい自然描写に心が動かされます。それも視覚だけでなく聴覚、嗅覚、触覚、味覚を駆使した描写に、「そんなとらえ方ができるのか」と感動してきました。
 この本は1000年くらい前に編纂された本ということです。春夏秋冬の「自然の美をあまねく歌い、男女の愛怨の情を綴り、千年経た今日なお人々の心に共感をいざなう。」と書いてありました。はじめは春、夏、秋、冬の順で漢文や和歌が並べられ、その後は風、雲、晴、暁、松、竹、草、鶴、猿、管弦、酒、山、山水、漁父、禁中、古京、故宮、山家、田家、隣家、山寺、仏事、僧、閑居、眺望、餞別、行旅、帝王、親王、将軍、王昭君、妓女、遊女、老人、交友、懐旧、述懐、慶賀、祝、恋、無常、白などのカテゴリーで漢文や和歌が並べられています。
 目次を追うだけで何となく1000年前の人々の思いや気持ちの扉が開いてきそうな気分になります。だれがこうしたという歴史だけでなく、当時の人々の思いや気持ちが伝わってくる無形のお宝を文庫本で相続できるのです。何とすごいことか。
 藤原公任という人が、娘が結婚するとき婿への引出物として編纂した本とされています。スーパー父親です。
 昨日は途中眠くなりましたが、春の段、約100頁を読みました。二、三度繰り返し読まないと、頭に入ってきませんが、自然と鳥獣を友とする先人の素晴らしい日々に共感してしまいます。昨日だけで200くらいの歌や漢文を読みましたが、紀貫之が好きかなと少し思いましたので、次は同じ講談社学術文庫の『紀 貫之』を買うかもしれません。
 “生物多様性”とか“自然環境を大事に”、“エコ”という言葉よりも、肩肘を張らない日々の日本人の自然と共生した生き方の素晴らしさを感じてしまう本でもあります。
 まえがきに書いてあった和歌と漢文だけでも紹介します。

あさみどり 春たつ空に うぐひすの はつこゑまたぬ 人はあらじな
(立春のころ、萌黄いろに明けゆく空のもと、うぐいすがもう来てなくころよ、と心待ちにしない人はないでしょう。)

おもひかね 妹(いも)がりゆけば 冬の夜の 川風寒(さむ)み 千鳥なくなり
(君への恋しい想いにたえかねて、恋人のともに行けば、川のほとりを夜風が寒く、千鳥の声も身にしみる。)

春夜

燭(ともしび)を背(そむ)けては 共に憐れむ深夜の月
花を踏んでは 同じく惜しむ少年の春

(燭台の灯を壁の方にむけて夜更けの月を楽しもうではないか。花が散り敷く青草の上を踏んで遊ぼうよ、青春の日はまたたく間に過ぎ去ろうものを。)
  


Posted by わくわくなひと at 17:18Comments(0)

2010年10月25日

“和三盆”を知らずして甘党は語れない!

 我が親戚筋では、ライン工房(熊本市戸島町)謹製の「和三盆クッキー」がちょっとしたブームになっています。
 先日、父に一袋渡したところ、「何だろう」という感じで最初は積極的に食べようとしませんでした。「まあ!食べない」と言って1個渡しました。すると、「おっ!」と言ってすかさず2個目、しばらくして3個目を食べてしまいました。父曰く「またこうて来い!」。
 たまたま訪ねてきた姪に「和三盆クッキー」を1個渡すと、「うまーい。どこで売っとると?」。「熊本市内のTSUTAYAには置いてある」と伝えました。「今度こうてみる」という感想。もの凄い商品力です。
 父などは若い頃、辛党でした。しかし、極上の甘味は党派の別なく魅了してしまいます。さすが京の老舗が重宝してきた甘味。その威力に驚いてしまいました。和三盆の威力だけでなく、それとクッキーというこれまでにない取り合わせを作り出したライン工房さんに敬意を払いたいと思います。
 一袋157円。たぶん熊本市内のほとんどのTSUTAYAさんのレジ近くに置いてあると思います。
  


Posted by わくわくなひと at 12:13Comments(4)

2010年10月24日

神様、私の酒樽にはまだどれほど残っておりますでしょうか。

 また味わい深い本に出会えました。
 鶴見俊輔編『老いの生きかた』ちくま文庫(2010年8月5日第4刷、1997年9月24日第1刷)です。
 哲学者の鶴見俊輔さん編集で、「老いについての文章をあつめた。」本です。
 「暗い面があることはいなめない。しかし、そういう面を見て、自分もまたやがてふみこむであろう未来について、想像力をもつことは、自分をゆたかにする。」と書いてあります。「能率本位・生産本位の今の日本の社会の中で老人としてのくらしを守ることが社会批判としての役割をになう」という視点も編集の背後にあるようです。
 個人的にはまだまだ現役のつもりですが、認知症で私のことも覚えているかどうか分からなくなってきた母の姿をたまに見るようになったからでしょうか。昔から高齢者の問題については仕事ではありますが相当関わってきました。最近、そんな関心とは別に個人的な関心として老いという未知の領域に思いを馳せる自分がいることに気付きました。
 さまざまな人の老いについての考えを読みました。面白くもあり、はっとさせられることもありました。長い人生を経て熟成した文章も魅力でした。
 個人的に書き留めておきたい文章が9つほどあります。これをすべて書き記すには時間がかかりますので、今日はその一部を記録しておきたいと思います。

■山田稔「生命(いのち)の酒樽」
 飲みたいが健康が許さないというのでなく、もう飲みたくなくなった状態の方が想像するのが辛い。その大山さんの「ションボリ」した姿がしばらく胸から消えなかった。
・・・
 「酒」と題されたおそらく絶筆となったであろうこの文章を次に写しておく。


                酒                   大山定一
 ちかごろは、まったく酒を飲まなくなった。いや、飲めなくなった。
 秋が来て、木の葉が黄色になり落ち葉するように、自然に、いつの間にか、飲めなくなってしまったのである。
 以前は人からも強酒といわれ、自分もそう信じていた。七十歳ちかくになりながら、去年の夏までは、まだ毎晩ウイスキーを飲み、四日で一本空けるのが普通だった。
それが不思議なことに、いつとはなく飲めなくなってしまったのである。
 ある作家が青年のころ、夜通し友人と飲みあるき、いつも家に帰るのは明け方になる。すると、戸を開けてくれる母親が、こういったそうだ。-人間にはそれぞれ「分」というものがある。おまえが一生かかって飲む酒は、ちゃんと神様がその「分」を取っておいてくださる。だから、何もあわてて、無理して飲むことはないではないか。ゆっくり、四十年五十年かけて飲めばよいのだ、と。
 わたしは誰かの随筆で、そんな文章を読んだ記憶がある。この母親の説に従えば、わたしはわたしの「分」をすっかり飲み尽くしたのかもしれない。神様が取っておいてくれたわたしの酒樽は、もう一滴も残さないのだ。
 酒はやめてしまったが、いわゆる禁酒の苦しみやつらさは、ちっとも感じない。むしろ飲むだけは飲んだという、さっぱりした、満ち足りた気持ちである。すべてが自然の移り変わりのような気がして仕方がない。
 春夏秋冬の移り変わりに似ているといえば-これが「老」というものであろう。
(京大名誉教授)

 「さっぱり」と「ションボリ」の違いは微妙である。しかしこのとき大山さんが何を感じていたかは明らかだろう。
 神様、私の酒樽にはまだどれほど残っておりますでしょうか。

  


Posted by わくわくなひと at 14:32Comments(0)

2010年10月23日

愚か、立派すぎない、完璧をめざさない、ふざける・・・祝婚歌

 詩人の茨木のり子さんの文庫本エッセー『一本の茎の上に』ちくま文庫(2009年7月10日第1刷)を読んでいます。
 ときどきは詩人の書いた文章や詩を読んでみたくなります。いつもこんな気分でいると、俗人にやられてしまうご時世ですが・・・。福岡のジュンク堂書店に平積みされていましたので、それなりに茨木さんやだれかの詩をたまには読みたいという人たちも少なくないことと思います。
 昨夜、眠る前に半分ほど読みました。けっこう自分と同じ見方をされているのに驚きました。それはいずれ紹介するとして、今日は吉野弘という詩人の「祝婚歌」が紹介されていましたので、書き込みたくなりました。
 茨木さんによると、吉野さんの姪御さんが結婚なさる時、出席できなかった叔父として、実際にお祝いに贈られた詩です。その日の列席者に大きな感銘を与えたらしく、口コミで人びとの間にひろまっていったそうです。最近はじぶんの正当性ばかりを主張する人が増えている中、離婚調停にたずさわる女性弁護士が翻意を促すのに使ったり、ドイツのルクセンブルクに近いトリア市での結婚式で聖歌隊によって読まれ、出席した人に大きな感動を与えたということです。
 この詩の底には吉野家の歴史や、夫婦喧嘩の堆積が隠されていると、茨木さんは感じています。

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

  


Posted by わくわくなひと at 15:46Comments(2)

2010年10月22日

TSUTAYAで2日も品切れ状態!超人気の「和三盆クッキー」

 あの高級甘味で知られる和三盆糖を100%使った「和三盆クッキー」が熊本市内のTSUTAYAで買えます。人気商品「しおクッキー」で有名なライン工房の新商品です。
 市内のすべてのTSUTAYAに置いてあるかどうか知りませんが、私が出入りする熊本のTSUTAYAにはレジの近くにコーナーを設けています。
 同僚の情報によると、TSUTAYA琴平店では、この2日くらいは売り切れなのか補充が追いつかないのか、売り場のトレイは空の状態だったそうです。
 「今日もないかも知れないが・・・」と思ってチャレンジしたら、ありました!5個並べてありました。すぐ誰かが買っていきそうなので、5個すべて買い占め。週末のティータイムは、これで安心です。念のため帰り際にワゴンを確認したら、即刻3個補充してありました。
 一袋157円。5個のクッキーが入ってます。同僚2人にそれぞれ1個配給し、オーナーである私は3個いただきました。1個口に入れると、切れ味の鋭い甘味を瞬時に感じます。そして、糖の味覚がスーッと退いていって目の細かいクッキーとバターの味を楽しめます。しつこくない鋭い甘味が特徴であり、甘党でない人でも抵抗を感じない仕上がりです。
 京都の粋人に愛されている高級糖の味覚は、「さすが!」としか言いようがありません。
 甘味を語るとき、和三盆ネタがあると話が豊かになりそうです。スイーツ通を自認する人なら一度ご賞味されることをお薦めします。
  


Posted by わくわくなひと at 18:37Comments(0)

2010年10月22日

ここ一、二週間ほど、美しい文章に飢えています。

 ここ一、二週間ほど、美しい文章に飢えています。
 そんな本を読み続けたいと思っています。
 するとまず思い浮かぶのが宮本輝です。
 選ばれた言葉だけではない。クライマックスの設定という発想レベルの凄さ。表現の美と素材の美の読者を巻き込んでいくほどの融合・・・。
 せっかくこんな気分になっている時だから、何か探して読みたいですね。

 昔、文藝春秋に「死ぬまでに読みたい特集」にあった記事のメモの中から選んだ朧気な候補は、以下の通りです。このところ読みたいベスト8。

①フォークナー『八月の光』新潮文庫
・こうとしか書きようながない言葉ばかりが選ばれている。言葉への信頼が取り戻せるとも。
②泉鏡花『高野聖』岩波文庫ほか
・情景描写の力が尋常ではない。
③伊藤整『変容』岩波文庫
・読む側に生きた時間としての年齢が重ねられたときに読む本。
④藤原公任撰『和漢朗詠集』講談社学術文庫ほか
・ものの考え方や表現の仕方が味わい深い古典文学だと聞いています。
⑤セネカ『人生の短さについて』岩波文庫
・人生は自分で敢えて短くしているにすぎない。
⑥『エドガー・アラン・ポー全詩集』
・ポーの美の世界が世阿弥の夢幻能に通じる。
⑦世阿弥『風姿花伝』岩波文庫ほか
・「強き稽古、物数を尽くせよ」「柔らかなる心を忘るべからず」「身を使う中にも、心根あるべし。身を強く動かす時は、足踏みを窃むべし。足を強く踏む時は、身をば静かに持つべし。これ、筆に見え難し。相対しての口伝なり」
⑧永井荷風『断腸亭日常』岩波書店
・「もう一度」などではもったいない(小沢昭一)。

千代とて、絢爛たる螢の乱舞を一度は見てみたかった。出逢うかどうか判らぬ一生に一遍の光景に、千代はこれからの行末をかけたのであった。
 また梟が鳴いた。四人が歩き出すと、虫の声がぴたっとやみ、その深い静寂の上に蒼い月が輝いた。そして再び虫たちの声が地の底からうねってきた。
 道はさらにのぼり、田に敷かれた水がはるか足下で月光を弾いている。川の音も遠くなり懐中電灯に照らされた部分と人家の灯以外、何も見えなかった。
 せせらぎの響きが左側からだんだん近づいてきて、それにそって道も左手に曲がっていた。その道を曲がりきり、月光が弾け散る川面を眼下に見た瞬間、四人は声もたてずその場に金縛りになった。まだ五百歩も歩いていなかった。何万何十万もの螢火が、川のふちで静かにうねっていた。そしてそれは、四人がそれぞれの心に描いていた華麗なおとぎ絵ではなかったのである。
 螢の大群は、滝壺の底に寂寞と舞う微生物の屍のように、はかりしれない沈黙と死臭を孕んで光の澱と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の粉状になって舞いあがっていた。
 四人はただ立ちつくしていた。長い間そうしていた。
 (中略)
 その時、一陣の強風が木立を揺り動かし、川辺に沈澱していた螢たちをまきあげた。光は波しぶきのように二人に降り注いだ。
 英子が悲鳴をあげて身をくねらせた。
「竜っちゃん、見たらいややァ・・・・・・」
 半泣きになって英子はスカートの裾を両手でもちあげた。そしてぱたぱたとあおった。
「あっち向いとってェ」
 夥しい光の粒が一斉にまとわりついて、それが胸元やスカートの裾から中に押し寄せてくるのだった。白い肌が光りながらぽっと浮かびあがった。竜夫は息を詰めてそんな英子を見ていた。螢の大群はざあざあと音をたてて波打った。

宮本輝『螢川』(昭和52年)
  


Posted by わくわくなひと at 14:35Comments(0)

2010年10月21日

JR最速新幹線「みずほ」の概要を正式発表

 今日21日付けの西日本新聞と熊本日日新聞を見ました。どちらも1面トップでJRの九州新幹線の記事が載っていましたけど、発表記事は面白くないですね。正確な情報なんでしょうけど、役所の資料を読んでいるような感じでわくわくしません。

 今回の発表記事での個人的な収穫は、以下の通り程度です。
■いろいろもめた最速列車の名称は「みずほ」で決着
・「みずほは東京-熊本を走っていた列車名で好きじゃない」と以前語っていた鹿児島県の伊藤祐一郎知事は「鹿児島中央駅発着の最速列車として定着し、地域の交流促進や活性化に資することを期待する」とコメント。(西日本新聞)
■博多・鹿児島中央間の「みずほ」の停車は3駅。新鳥栖駅は捲土重来を期す!
・新鳥栖駅への停車を佐賀県が強力に要望していましたが、停車駅は博多、熊本、鹿児島中央駅に決定。「やむを得ぬが残念」佐賀知事という見出し(同)。
・博多から新大阪までの停車駅は小倉、広島、岡山、新神戸だけです。山陽・東海道新幹線の「のぞみ」は確か山口県内のどこかの駅に停車する列車が多いと思いますので、最速ではないでしょうか?
■「みずほ」は朝夕計4往復
・正確な本数が正式発表されました。大阪や広島から6時とか7時に出て熊本や鹿児島の午前中の打合せが可能になります。完全にビジネスユースですね。最速列車は500円くらいの別料金が必要なようですが、予感では混みそうですね。
■「みずほ」の所要時間はスクープ情報より短縮
・西日本新聞がスクープした時点では確か鹿児島中央・新大阪が3時間47分だったと思いますが、3時間45分に短縮されてました。これで熊本・新大阪間は3時間を切る2時間59分に短縮されました。
■1時間当たりの運転間隔は博多・熊本4本、熊本・鹿児島中央2本
・博多・熊本間は15分に1本の間隔です。しかし、各駅停車の「つばめ」に乗った場合どのくらいの所要時間になるのでしょうか。博多・熊本間はスーパーノンストップの「みずほ」で32分。間に新玉名、新大牟田、船小屋、久留米、新鳥栖の5駅がありますから最低でも20分プラスで52分でしょうか。これに途中駅での「みずほ」や「さくら」の追い越し待ちを考えると1時間程度かかることになりそうですね。まだ確認していませんが、山陽新幹線のように追い越し専用の線路がある駅とか、乗り場が4ホームある駅はどこでしょうか。熊本駅は4ホームです。「さくら」は途中2駅ほど止まりそうなので、熊本・博多は40分くらいの所要時間になりそうですね。

 さあ次の焦点は「さくら」の停車駅ですが、次のような状況です。
 唐池社長は関西と直通の「さくら」の停車駅の質問には「まだ答えられない部分がほとんど。ご容赦いただきたい」と歯切れが悪かった。
 新幹線は停車駅が1駅増えると、所要時間が4~5分延びる。新大阪-鹿児島中央を約4時間で結ぶ「さくら」は、山陽区間を含め「みずほ」から4~5駅しか停車駅を増やせない計算だ。限られた停車枠をどう配分するか。ダイヤ編成は正念場を迎える。(西日本新聞)


 これで浮上する駅は、新鳥栖、久留米の2駅。大牟田や八代も「さくら」の停車を要望しています。さて、どうなるか?
 JR側が非公式情報を新聞社に流し、各地の反応を見るという高等戦術もありますが、正式発表までどのような展開になるか、楽しみです。
  


Posted by わくわくなひと at 18:26Comments(0)

2010年10月20日

韓国のカレーは粉末型が一般的!日本とは違う

 少し海外、それも東アジアに関心が向き出すと、今までほとんど目にとまらなかった記事も読むようになるものです。
 西日本新聞はいつも毎週月曜日にアジアのことを大きく紙面を割いて紹介しています。18日付け月曜日の紙面では「韓国カレーハウス」の部長さんの記事に目が止まりました。この会社は、日本のハウス食品と外食産業の壱番屋(警固にある店にたまに行きます)、韓国の大手食品メーカー農心の3社で設立した合弁会社だそうです。
 もともと韓国の人がどんなカレーを食べているか関心もありませんでしたが、「韓国では粉末が一般的。出来上がりもスープのようにさらさら。」だそうです。日本ではカレールーが一般的ですよね。
 それで福岡の宗像出身の武石大嗣さんという部長さんが、日本式のカレーを韓国で広めようと東奔西走しているということです。
 それに「家庭の食卓にカレーが並ぶ頻度は日本は平均月3回に対し、韓国は年3回と少ない。」そうです。
 自分たちが長年育て上げたノウハウや商品を信じて外国で頑張っているという感じです。近い将来、自分もという気持ちも含めて、つい読み込んでしまいました。
 そう言えば私が子どものころのハウスのカレーは確か粉末でした。確かグリコワンタッチカレーが発売されて、チョコレートのような固形が普及していったような記憶があります。
  


Posted by わくわくなひと at 21:02Comments(0)

2010年10月20日

冤罪はこうして起こる!貸金庫の鍵を喪失?

 いやはや~よい経験をしました。
 今年、叔母が亡くなりました。その後の最近の顛末です。
 叔母は生前、自分が亡くなった後の銀行の貸金庫を開ける権利を私に託していました。
 そして叔母が亡くなり、貸金庫を開くことになりました。ここまでは何事もなく銀行が持っている鍵で開けることになりました。
 つい最近のことです。突然!姉から「貸金庫の鍵は、もう一つあなたが持っていることになると、銀行から言われた。叔父もおばさんから平成14年○月○日、あなたに鍵を預けたとの伝言があった旨メモしている。貸金庫の精算ができない」と電話がかかってきました。
 「うむむ!平成14年か。覚えていない。そんな大事なものの在りかがまったく記憶にない」と戸惑いました。しかし、銀行も言うし叔父もメモをとっている。そこまで自分は大ざっぱではないはずと思いながらも、どこかに大切にしまっているかも知れないと家や会社のそれらしきところを探しました。「ありません!」。
 叔父や姉、そして銀行にも謝罪。鍵の弁償は私が負担するということで話しは落着しました。
 それから1週間経った昨日、銀行から電話があり、家人が鍵の件を聞きました。「もともと鍵は1本しかなく。もう一本お宅に預けているというのは誤りでした」という内容です。
 まあよかったです。そういうことで・・・。それにしても何で1本しかない鍵が2本もあることになったのか?まぁいいか。
 それにしても、「持っているはず」という自信たっぷりの主張、そして○年○月○日というメモ。こんな状況になったら、記憶になくても自分の非を認めてしまいそうです。貸金庫の鍵の紛失だから、いい勉強になりましたが、これがもっと凄いこと、仕組まれたことであるなら、どうなるのでしょうか。叔父のメモの場合は「鍵の権利を託した」が「鍵を預けた」になっています。ほぼ同様の意味ですので叔母自体がそう語ったのかも知れません。叔父とは関係ありませんが、これが悪意を持った者が勝手に「○月○日、こう言われた。こうされた」と自分にとって都合のよいメモをとっていたとしら・・・。
 しかし、シロであればシロを信じるしかありません。クレーマーなどの人種はよくメモをとって相手にけしかけます。弁護士さん曰く「手間はかかりますけど、裁判になればプロ同士のやりとりですから、訴えた本人側も洗いざらいにされ消耗しますよ」と。メモとか主張の正当性はどの程度か?批判される政治家がよく使う「記憶にございません」も、本当に記憶がなくて何らかのシナリオにはまってしまっている例もあるかも知れないなと思いました。
 いずれにせよ、お互いに信頼関係が乏しい社会や人間関係はよくないですよ。
  


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2010年10月20日

ああ!ホークス。『今年はやらんといかんばい』に救われた

 今日は夕方、熊本から天神行きの高速バスに乗りました。
このバスが天神に着くころは、街中がお祭り騒ぎであることを期待しました。
しかし、バスが都市高速を降りて天神の渡辺通りに入っても、いつもの風景と変わりありません。気のせいか皆うつむきかげんに見えます。
 あえて携帯なんかで結果を見ませんでした。ホークスが負けたようです。
 天神のバスセンターで降りて食事をしました。隣のカップルはどうもヤフードームに行ってきたようです。男性が試合の経過を話していると、向かい合わせの女性が「ばぁ~か」と不機嫌な顔です。
 それから大名の事務所に向かいましたが、道行く人たちで盛り上がっている人たちはいません。人はたくさん歩いているのに静かです。いつもなら、もっとぺちゃくちゃしゃべっている人たちがたくさんいます。街が静かです。

 今日19日付け西日本新聞夕刊、一面トップは「鷹の勇姿 今こそ」 「CSの呪縛」解き放て 今夜、最終決戦・・・。この記事の中での次のファンの一言が印象に残りました。

 ヤフードームに同日午前、チケットを買いに来た福岡市出身の東京都葛飾区、会社員男性(29)は「仕事で失敗したときなど、ホークスの『今年はやらんといかんばい』という言葉に何度も救われた。最終戦は絶対に見たかった。悔いのない試合をして」。

 街の老若男女が一体となって一喜一憂できることは素晴らしい。福岡に事務所があってよかったと思います。
  


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2010年10月18日

ホークス!福岡の街は静か?

 今日は熊本にいるから分かりません。
 昨日は福岡の街は静かでした。
 人はたくさん歩いているけど、静か。
 テレビもラジオも何も見聞きしていなくても、
 「ホークス負けとう」とささやく声が道行く人から聞こえてきます。
 明日が勝負!
 私はどこにいるのか?
 東京から熊本に着く予定の封書がいつ届くか?
 これが明日熊本に着けば、福岡へ出立。
 ホークス勝利なら、街が騒然としている。
 号外が舞っている。
 できればカラフルな西スポの号外を手にしたい。  


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2010年10月18日

映画「十三人の刺客」 凄いのは凄いですが・・・

 何やってんだかという感じですけど、天神の東宝シネマで「十三人の刺客」を観てきました。
 役所広司主演。刺客のリーダー役です。「狙うは、最強の暴君。世界を揺るがすラスト50分の壮絶な死闘!」と銘打っているだけのエンターテインメントだと思いました。斬り合いというよりか殺戮ですね。稲垣吾郎演じる暴君の女性や子どもに対する残虐さも印象に残りました。殺陣の迫力は往年のスター松方弘樹の表情と動作が一番リアルに感じました。昔の映画のリメイク版ということも関係したのか、館内は白髪の人が多かったようです。

 どこにでもあるような宿場町(村、または廃墟の街)。ここで敵を、いろんな仕掛けをして迎え撃つ。味方よりも多勢の敵がまんまと仕掛けの中に入ってくる。最初は敵が次々とやられていくが多勢に無勢はいかんともし難く、味方も一人二人と倒れていく。とうとう味方は数人となるが、ぎりぎりのところで目的は果たす。がしかし、主人公も傷つき、息絶え絶えになり、若者に味なことを言って帰らぬ人なる。

 この大まかなストーリーは、黒澤明の「七人の侍」、スピルバーグの「プライベイト・ライアン」と同じです。この両者は村または廃墟の街を主人公たちが守るわけですが、「十三人の刺客」は先回りして待ち伏せして事に及ぶところが違うだけです。

 スピルバーグは黒澤から多くのことを学んだと公言していますし、「プライベイト・ライアン」に「七人の侍」を思わせる場面がほかにもかなりあります。例えば、雨が木の葉にぽたっぽたっと落ちてきて、それがやがて夕立のような激しい雨に変わっていくという日本人的な場面もあるほどです。

 大まかなストーリーが似ている3つの映画の中では、「十三人の刺客」が一番リアリティに欠けていたと勝手に感じました。それはなぜだかはっきり分かりません。松方弘樹の演技からは迫力が伝わってきました。この人だけは凄みがありました。しかし、何人にも取り囲まれて、ほんの数秒のうちに何人もの敵をバッサバッサと斬っていくところがどうもしっくりいきませんでした。「七人の侍」では志村喬が雨の中、馬に乗った盗賊を一太刀でバサッと切り倒すシーンがあります。何人も次から次と斬るわけではありません。ほぼ一人ずつ、盗賊を順番に倒していくところに、リアルさを感じました。「プライベイト・ライアン」では、味方の死に様を一人ひとり個性的に描いていました。

 よく分かりません。私が少なくともリアルさを感じるためには、スーパーマンではなく等身大であることが条件かなと思ったりしました。「七人の侍」はモノクロです。少なくともカラーや大音響、爆発物、人の数の多さはリアルさを感じるための条件ではないかも知れないと思ったりしました。
  


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2010年10月17日

“寄り道”をオススメするフリーペーパー「FILT」

 同僚がソラリアあたりで拾ってきたフリーペーパー「FILT」を拾い読みしました。
 少し高そうなコート紙でA4判48ページ。全ページ4色刷り。表紙には役所広司。編集はマガジンハウスで奇数月発行と書いてあります。贅沢なフリーペーパーですね。変にJTの広告が多く目立っているところも気になりました。たばこの広告規制などもあり、使えるメディアも限られているので、こんな贅沢なフリーペーパーがつくれるのかも知れないと思ったりしました。

 以下のテーマが気に入りました。

寄り道してる?
目的や目標にまっしぐらに進むのも大事だけれど、気の向くままふらっと寄り道してみると、思いがけないラッキーに出合えるもんだ。行きつけの飲み屋に立ち寄って一息つくことで自分を見つめられたり、お店の人とおしゃべりしてありのままの自分に戻れたり。人生って、寄り道の多いほうが楽しいはず!

 寄り道をテーマにして、役所広司さんをはじめいろんな人から話を聞いています。イラストレーター、漫画家、作家、映画監督、ミュージシャン、写真家、お笑い芸人、スタイリスト、編集者などなど。ほとんどクリエーターから話を聞いています。

 浪費してもいい。無駄があるからこそ、いいことに出合える。そんな話でいっぱいでした。

 効率とか効果をいつも気にしている人が、こんな冊子を立ち止まって見るかな?私みたいな、基本的!怠け者が見たり読んだりして、「そうだよな」と共感する冊子かも知れません。
  


Posted by わくわくなひと at 13:29Comments(5)

2010年10月15日

『老いの生き方』等々また!年寄り本を買ってしまいました。

 今日は西日本一の巨大書店・ジュンク堂福岡店を徘徊しました。
 もともとの狙いは、奥泉光『シューマンの指』(講談社、1680円)をとりあえず手にとって、読む気になったら買おうというものでした。
 ところがこの本、小説コーナーの平棚で見つけることができません。小説コーナーだけでも小さい書店の半分くらいの広さがありますので、ずぅーと見て回ってやっと発見しました。本格音楽ミステリーという触れ込みでしたが、今日は買う気分になりません。
 なぜか?私の場合、本はほとんど寝っ転がって読みます。単行本はかさばるし重いからやめました。
それで次に向かったのが文庫本コーナーです。この本屋さんには、たぶん今手に入る文庫本のかなり部分が揃えてあると思います。平積みされている文庫本を中心に何か自分と波長は一致するものはないかと、たぶん1時間近く、このコーナーにいたと思います。いくつか今流行ってそうな小説を手に取りました。しかし、何か文章が無味乾燥、情報だけを伝えているような感じでしたので買うのはやめました。宮本輝の文庫本も手に取りました。さすがに美しい文章でほかの作家とは違います。しかし、今は宮本ではない。
 そして、ちくま文庫のコーナーにたどり着きました。すると、鶴見俊輔編『老いの生き方』が目に飛び込んできました。2週間前に、アメリカの不良年寄りの本を読んでいます。自分は今、年のとり方にけっこう関心があることを再度思い知らされました。その横にあった茨木のり子『一本の茎の上に』にも目が行きました。詩人、香気がただよう文章を読んでみたくなりました。5冊くらい離れて置いてあった外山滋比古『アイディアのレッスン』。外山さんはけっこうじいさんですが、これは仕事のためになりそうだから買うことにしました。
 何だ!結局、今の自分と波長が合うのは、「ちくま文庫」だけじゃないですか。茨木のり子の本の解説に書いてあった、文章に沈着・冷静・簡潔と香気を感じる本が今の自分の好みであることが分かりました。
 なるほどいぶし銀の好みか、年齢的にも仕方ないと思い文庫コーナーを離脱する折、『急に売れ始めるにはワケがある』「ベストセラー作家 勝間和代氏推薦!」という、スケベ心をくすぐるタイトルが目に入りました。そんな人を押しのけて成功者になるなんて品がないと思いましたが、買うことにしました。
 沈着・冷静・簡潔と香気。それに少しのスケベ心。これが今の自分のニーズだと思い知りました。
  


Posted by わくわくなひと at 21:46Comments(5)