2010年10月22日

ここ一、二週間ほど、美しい文章に飢えています。

 ここ一、二週間ほど、美しい文章に飢えています。
 そんな本を読み続けたいと思っています。
 するとまず思い浮かぶのが宮本輝です。
 選ばれた言葉だけではない。クライマックスの設定という発想レベルの凄さ。表現の美と素材の美の読者を巻き込んでいくほどの融合・・・。
 せっかくこんな気分になっている時だから、何か探して読みたいですね。

 昔、文藝春秋に「死ぬまでに読みたい特集」にあった記事のメモの中から選んだ朧気な候補は、以下の通りです。このところ読みたいベスト8。

①フォークナー『八月の光』新潮文庫
・こうとしか書きようながない言葉ばかりが選ばれている。言葉への信頼が取り戻せるとも。
②泉鏡花『高野聖』岩波文庫ほか
・情景描写の力が尋常ではない。
③伊藤整『変容』岩波文庫
・読む側に生きた時間としての年齢が重ねられたときに読む本。
④藤原公任撰『和漢朗詠集』講談社学術文庫ほか
・ものの考え方や表現の仕方が味わい深い古典文学だと聞いています。
⑤セネカ『人生の短さについて』岩波文庫
・人生は自分で敢えて短くしているにすぎない。
⑥『エドガー・アラン・ポー全詩集』
・ポーの美の世界が世阿弥の夢幻能に通じる。
⑦世阿弥『風姿花伝』岩波文庫ほか
・「強き稽古、物数を尽くせよ」「柔らかなる心を忘るべからず」「身を使う中にも、心根あるべし。身を強く動かす時は、足踏みを窃むべし。足を強く踏む時は、身をば静かに持つべし。これ、筆に見え難し。相対しての口伝なり」
⑧永井荷風『断腸亭日常』岩波書店
・「もう一度」などではもったいない(小沢昭一)。

千代とて、絢爛たる螢の乱舞を一度は見てみたかった。出逢うかどうか判らぬ一生に一遍の光景に、千代はこれからの行末をかけたのであった。
 また梟が鳴いた。四人が歩き出すと、虫の声がぴたっとやみ、その深い静寂の上に蒼い月が輝いた。そして再び虫たちの声が地の底からうねってきた。
 道はさらにのぼり、田に敷かれた水がはるか足下で月光を弾いている。川の音も遠くなり懐中電灯に照らされた部分と人家の灯以外、何も見えなかった。
 せせらぎの響きが左側からだんだん近づいてきて、それにそって道も左手に曲がっていた。その道を曲がりきり、月光が弾け散る川面を眼下に見た瞬間、四人は声もたてずその場に金縛りになった。まだ五百歩も歩いていなかった。何万何十万もの螢火が、川のふちで静かにうねっていた。そしてそれは、四人がそれぞれの心に描いていた華麗なおとぎ絵ではなかったのである。
 螢の大群は、滝壺の底に寂寞と舞う微生物の屍のように、はかりしれない沈黙と死臭を孕んで光の澱と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい火の粉状になって舞いあがっていた。
 四人はただ立ちつくしていた。長い間そうしていた。
 (中略)
 その時、一陣の強風が木立を揺り動かし、川辺に沈澱していた螢たちをまきあげた。光は波しぶきのように二人に降り注いだ。
 英子が悲鳴をあげて身をくねらせた。
「竜っちゃん、見たらいややァ・・・・・・」
 半泣きになって英子はスカートの裾を両手でもちあげた。そしてぱたぱたとあおった。
「あっち向いとってェ」
 夥しい光の粒が一斉にまとわりついて、それが胸元やスカートの裾から中に押し寄せてくるのだった。白い肌が光りながらぽっと浮かびあがった。竜夫は息を詰めてそんな英子を見ていた。螢の大群はざあざあと音をたてて波打った。

宮本輝『螢川』(昭和52年)




Posted by わくわくなひと at 14:35│Comments(0)
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