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Posted by おてもやん at

2009年12月29日

なぜか見入ってしまう「おてもやん」の絵

 熊本・上通りに八起堂?というタバコ屋さんがあります。ミスドとまるぶん書店の間にある、昔からある小さなお店です。

 ミスドと八起堂の間は長安寺通りと言いますが、ここの角隅に喫煙者コーナーがあります。

 ご承知のように今の街中では、たばこを吸えるところが限られています。ニコチン中毒の私は、街のどことどこに灰皿が置いてあるということを、たちどころに察知してしまいます。

 八起堂のコーナーは24日のクリスマスイブの日に見つけました。たばこのニオイ、そして2~3人くらいの人が狼煙を上げています。

 むさ苦しいオヤジだけでなく、女性の愛煙家も、八起堂の壁に向かって狼煙を上げています。

 その八起堂の壁に何となく目が行ってしまうポスターがあることに気づきました。今日、28日で八起堂の前でタバコを吸うのは2回目なんですが、やはりこのポスターに目が行き、何となく微笑んでしまう自分がいます。

 このポスターは何やら九州新幹線が22年3月に開通することを伝えています。まあそれはいいとして、おてもやんの愛らしい顔に何とも言えない魅力を感じてしまいました。

 小学生が書いた絵らしいですが、ほのぼのとして微笑んでしまうのです。

 この絵をベースにしてキャラクターでも作れば、売れるんじゃないでしょうか。
  

Posted by わくわくなひと at 15:19Comments(4)

2009年12月26日

「こむらさき」は「山水亭」の間違いでした!

申し訳ありません。
30年ぶりのラーメン屋さんは「山水亭」でした。
何を思ったか、どこでどう頭の記憶がすり替わってしまったのか。
それだけ「こむらさき」と熊本ラーメンが私の頭の中でリンクしているからだと思います。
ブログを熱心に読んでいただいた方、「山水亭」です。
「こむらさき」さんお詫び申し上げます。  

Posted by わくわくなひと at 18:22Comments(2)

2009年12月24日

およそ30年ぶりの「こむらさき」ラーメン

 高校生の時、土曜日によく「こむらさき」に行ってました。

 当時の授業は土曜日にもあり、午前中は勉強。午後は「こむらさき」に寄ってラーメンを食べ、上通り入り口の宝塚劇場で確か300円の名画を見て家に帰ってました。

 今日、ほんと久々、その「こむらさき」で「こむらさきラーメン」を食べました。いろんなメニューがありましたが、30数年前の味を確かめたかったので、何も小細工していないラーメンを注文しました。

 私がよく行っていたのは、長崎書店近くの店です。メニューは確かただ一つ。「ラーメン」と書いた札が壁に貼ってあるだけでした。

 この店は「ラーメン」一品で勝負するんだ!その潔さに関心していたことを思い出しました。

 久々の味は、さて!どうだったかのか?福岡、久留米、大牟田、そして熊本のいろんなラーメンを食してきた今の自分の年増舌はどう反応するのか?非常に興味がありました。

 結果は合格です。福岡方面のラーメンのように豚骨臭さがない。熊本ラーメンの特徴であるニンニクで消してあるのでしょうが、ニンニク臭さも感じない。しつこさを感じさせない薄味スープです。

 そう言えば、高校の頃は最初はそのままいただき、途中でコショーをふりかけてましたね。半分に切られたゆで卵が浮かんでいるのも、ここのラーメンの特徴でした。

 一つだけ「そうだったかいな?」と思ったことがあります。それは麺が長浜ラーメンのように細いことです。別に店の人に確かめたいというほどのことではありませんが・・・。他の熊本ラーメンのように麺はもう少し太いというイメージがありました。

 まあ、熊本以外の知り合いから、うまい熊本らしいラーメンと聞かれたら、「こむらさきはけっこうスープにこだわっているような気がする」と紹介していくことにします。
  

Posted by わくわくなひと at 20:30Comments(2)

2009年12月23日

「東アジア共同体」を巡る中国各紙の論調を特集・・・URC

 昨日は佐賀市役所に所要で行くことになり、JRを利用した。
 日ごろは博多・熊本間の「リレーつばめ」に乗ることが多いが、今日の往路は「かもめ」、復路は「みどり」という特急に乗った。
 まず、車内の椅子やデザインの違いに目を見はった。「かもめ」の椅子は革製でなかなか贅沢。客車内の前方では小さなランプのような灯りが室内を照らしている。車窓からは弥生時代の住居や櫓などを再現した吉野ヶ里遺跡や雪化粧した天山も見えて、見慣れない佐賀平野の景色も楽しんだ。
 車中では、福岡アジア都市研究所(Fukuoka Asian Urban Research Center)の季刊「中国動向」(2009年12月)と「韓国動向」(同)を読むことにした。この二つの小冊子は、中国や韓国などの新聞記事の論説を日本語に翻訳して載せている。日本の新聞やテレビと違った視点を読むことができるので、非常に新鮮。この手の冊子を読んでいると、ひょっとしたら、今の日本でふつうに手に入る情報は、ほとんどがアメリカ経由かも知れないと、つい思ってしまう。
 今回の「中国動向」は、「東アジア共同体」に関係する論説を8本載せていた。鳩山政権となり、確かに新聞で「東アジア共同体」という言葉が数多く載っていたことを記憶している。しかし、「内容や視点はほとんど変わらないだろう」という思いこみがあり、せいぜい見出しやリードくらいしか読んでいない。
 たまたま学生の時に日本近代史の初歩的なことを専攻していたので、正直「東アジア共同体」と聞いて「大東亜共栄圏」が私の頭の中で浮かんでいた。それ以来、かつて戦場となったアジアの人々は「東アジア共同体」と聞いて、どのような反応を示しているのか気になっていた。
 「中国動向」を読んでみると、そのような感傷的な反応ではないことが分かった。世界の認識の仕方がアメリカ一辺倒ではなく、アジア、ロシア、欧州、アメリカなどのパワーバランスの中での中国のあり方や日本への対応を考えていることがうかがえた。それと、日本へのアメリカの対応がかなりなまめかしく書いてあることに驚いた。
 「アメリカの力の衰えと中国の台頭。その中で翻弄される日本であり、気づかないうちに世界の情勢が大きく変化してきているかも?」。そう思って22日付けの佐賀新聞を読んでいたら、フランスの歴史学者エマニュエル・トッド氏の「米国後の世界に適応を」というインタビュー記事が載っていた。特に注目したのは、以下の通りである。

・日本への忠告は「もはや米国優位の世界をあてにするな」。
・「その日本がいま置かれている地政学的状況は極めて厳しい。日本がどう思おうと、米国の圧倒的な優位は崩れだしている。隣には、巨大な中国がある。日本は安全維持の問題を抱え込むことになる。自分自身でその解決方法を見つけなければならないだろう」

 このエマニュアル氏と中国の新聞各社の世界観は、似ていると感じてしまった。ただし、日本と中国の場合は隣国であり、確かに安全維持の問題は非常に神経質で難しいことになっていきそうな感じがしている(私が心配するようなことではないが)。

 「韓国動向」は「中国動向」と比べると、超高層マンションの話や福岡-釜山超高域経済圏など “平和”な内容である。特に、「この地域(釜山・福岡)は北京、上海、香港、東京、大阪、ソウル首都圏に継ぐ北東アジア7大超広域経済圏として跳躍することが期待される」という記事にはわくわくさせられた。
 釜山と福岡は、日本のどの都市よりも密接に交流をしており、実質的な経済交流のステップに入ろうとしている。釜山・福岡市共催のオリンピックでも実現すると、この動きがもっと加速すると思うのだが、どうなることやら。

「中国動向」で私がメモした内容は、以下の通り。

・小泉氏の「東アジア共同体」概念に対し、アメリカの国会や政治学者等からは疑問視する考えが表明されており、民主精神を欠落し、アメリカ主導の東アジア秩序に対して挑戦するものであるとしていた(2009年10月19日「第一財経日報」)。
・2006年中頃、ブッシュ政権は「APEC自由貿易区域」構想を打ち出し、APEC範囲内ではいかなる形のFTAをも容認するとしたが、日本との協議だけは拒んだ(同)。
・この事実は世界のほとんどのマスメディアに注目されなかったが、実に奥が深い。アメリカの反対がなければ、日本は予想通り開催国(G20サミット)としての地位を手にできたはずだ。これは、アメリカが咄嗟の間に日本に発した警告そのものだった。ターゲットは、日本が提唱した「東アジア共同体」構想だった(2009年9月28日「世界新聞報」)。
・米欧間の競争が激化し、中国の態度がはっきりしない中、アメリカの最も必要とするものが日本の絶対的な「忠誠」である。しかし、インド洋でのアメリカ軍への給油活動の中止決定から、東アジア共同体構想の提唱まで、人々には、日本人が世界情勢の変化を察知し、今がアメリカから部分的に離れるよい機会だと判断しているように見える(2009年9月28日「世界新聞報」)。
・鳩山首相が10月の国連総会において、東アジア共同体構想を発表した後、アメリカの高官がすぐさま日本に対し、この構想に反対の立場を表明した。これに対し、鳩山首相は、「東アジア共同体はアメリカを排除するものではない」との意を表した(2009年10月28日「中国日報」)。
・圧倒的得票数で政権を獲得した民主党が日本の政治、経済、外交について一連の改革を行っている中、メディアを通して日本の政治を見るならば、まるで民主党政権が危機に立たされているように思わずにはいられない。発行部数が1千万部を超える保守系新聞「読売新聞」は、最近、民主党幹部の金銭面でのスキャンダルを連日報じている。また、中道左派系世論(?筆者註)の拠り所となっている「産経新聞」は反民主党の急先鋒となってしまった。さらに週刊誌の誌面やインターネットのニュース欄には、民主党にとってマイナスの記事で溢れている(2009年10月26日「新華社・瞭望東方周刊」)。
自民党政権時代も同じようにやってきたにもかかわらず、その時は反対の声は余り多く聞かれなかった。しかし、同じ考えでありながら、民主党政権になると、一部の大手新聞が、10月11日に突如この共同体構想はアメリカを排除するものであり、鳩山内閣の「脱米入亜路線」に向けた一歩であると報じたのである(同)。
  

Posted by わくわくなひと at 16:52Comments(0)

2009年12月22日

佐賀市役所で手作り草履を購入!

 今日は所要で佐賀市役所に行ってきました。

 今回は、はるばる熊本~佐賀間を往復。それで少しびっくりしたのが、JR九州の二枚切符の値段のことです。

 熊本・佐賀二枚切符の値段は、なんと6,100円。これに対し、博多・佐賀二枚切符は2,000円です。

 距離の違い、乗客の数などの違いもあって、この値段の差があるのだと思います。距離だけでなく、切符の値段でも、佐賀と博多は身近な存在だなあと思ってしまいます。

 しかも、博多からだと、直通だから鳥栖で乗り換えなくていい。

それと、まひとつ!
 
 自由席特急券で指定席の乗ってもよいことになっています(ただし、指定している人が途中で乗ってきた場合は席を譲る)。

 本数は1時間に2本。博多・熊本間は3本だから、少しイライラはしますが・・・。

 つい二枚切符の話になりましたが、佐賀市役所1階で障がい者の方々のチャレンジショップがありましたので、覗いてみました。

 いろいろ商品を見た上で、余りきれで作られた草履を買いました。配色と手作りという点が気に入りました。

 価格は、1,000円。博多・佐賀二枚切符の片道分と同じ値段です。就労継続支援(非雇用型)事業所「みのり福祉作業所」の作品です。

 事務所で使います。
  

Posted by わくわくなひと at 17:25Comments(1)

2009年12月17日

江戸の熟年世代の物語八つ・・・山本一力『八つ花ごよみ』

 「おてもやん」ブログの方の紹介で、山本一力『八つ花ごよみ』新潮社(2009年7月20日)を読んだ。
 帯には「苦楽をともにした連れ合いと、あるいは友とー。大切な絆を慈しみ生きる」と書いてある。内容はその通り。江戸の庶民、それも熟年世代の物語が八つおさめられている。
 江戸ものと言えば、サムライの話はある程度読んできたが、商人や職人の話はほとんど読んでいなかった。即効性のある新薬ではなく、じっくり心に染みこんでくる漢方薬のような話が揃っている。
 しょせん空想の世界で、当時の人の考え方など確かめようがないが、目立たず派手でもなく慎ましい暮らしぶりには、憧れのようなものを感じてしまった。

 以下は、鉛筆で何となく線を引いてしまった箇所である。
・・・・・・
しっかりと歩き、食いたいものにはカネを惜しまずに払う。
これもまた、親方から教わったことだった。
「食うことを軽くみるやつを、信じちゃあならねえ。寝るのと食うのは、達者に生きるための源だ。食うことにゼニを惜しむやつは、てめえの命を安売りするやつだと思え」
泰蔵はいまでも大事に守っていた。
・・・・・・
「たいした明るさじゃないか」
泰蔵はてんぷらを口にする前に、行灯の明るさを褒めた。
・・・・・・
「暮らしに入り用な消え者を商うんだ。自分の暮らしが成り立つ実入りがあればいい」
・・・・・・
「道理で深川生まれならではの、ぐずぐず言わずにすっきりした掛け合いをするはずだ」
・・・・・・
味醂干しは少しでも目を離すと、すぐに焦げてしまう。焦がさず、しかし生焼けにしないためには、味醂干しにつきっきりでなければならない。
・・・・・・
「世のものすべてを真っ新(さら)にしてくれる初春の雪とは、なによりの趣向じゃないか」
  

Posted by わくわくなひと at 13:29Comments(0)

2009年12月15日

陽明学でつながる歴史上の人物達・・・14日付熊日夕刊を読んで

(長文お許しください。)
 浅学非才ながら14日付け熊日夕刊を読んで、「陽明学で三島由紀夫までつながるのか?」と驚いてしまった。大げさに言えば、「電光のような戦慄が身内を走った」。
 夕刊の記事は「南洲残影」「死を賭して西郷が守ったもの」という見出し付きで、戦後の文壇の大御所、江藤淳の熊本での取材内容が書いてあった。
 この記事によると、江藤は20代で斬新な夏目漱石論で文壇に登場。以来、常に文壇中枢にあって、晩年には文芸家協会理事長も務めていたという。江藤の名前は学生時代によく耳にしていた。しかし、同氏が書いたものは、せいぜい雑誌の記事程度で、これまで本を読んだことはない。
 その江藤が晩年に「南洲残影」という本を書いているそうだ。西南戦争で敗れた西郷隆盛。その死の意味を読み直そうとしたかのような内容だという。
 江藤の田原坂での取材の様子が以下の通り書いてあった。
『雨に煙る田原坂。「崇烈」と題された高さ6㍍の戦役記念碑から草地の間の小道を10㍍ほど下ると、自然石を割ったような高さ1㍍くらいの歌碑があった。脇の石柱には「蓮田善明先生文学碑」と刻まれている。
 「ふるさとの 駅におりたち 眺めたる かの薄紅葉 忘らえなくに」
 歌碑を見た江藤は立ちすくんだ。「電光のような戦慄が身内を走った」と後に書く。』
※この記事によると、蓮田善明は、三島由紀夫を文壇デビューさせた文学者である。終戦直後に連隊長を射殺し、自決した人という。「こうのとりのゆりかご」で有名になった蓮田医師と関係があることも書いてあった。
(中略)
『歌碑を見た江藤の中で、西郷と蓮田と三島、3人の死が、戦慄とともに一瞬にしてつながった。江藤は4年後の自身の死も見越したのかもしれない。「南洲残影」には、そんな遺書めいた気配もある。』
(中略)
『蓮田、三島も、自決して滅びることで西郷と同じものを守ろうとした。その同じものとはなにか。
 それは「蓮田の碑に刻まれた三十一文字の調べ」、「ふるさとの駅」の「かの薄紅葉」だった、と江藤は言う。
不思議で、不可解な一節だ。・・・』

 この記事を読んで、“守ろうとした”のは陽明学ではないかと思った。
陽明学は知行合一。「おのれが是と感じ真実と信じたことこそ絶対真理であり、それをそのようにおのれが知った以上、精神に火を点じなければならず、行動をおこさねばならず、行動をおこすことによって思想は完結するのである。行動が思想の属性か思想が行動の属性かはべつとして行動をともなわぬ思想というものを極度に卑しめる。」(司馬遼太郎)という思想である。
 この学に殉じた人たちは、中江藤樹、熊沢蕃山、山鹿素行、赤穂藩主浅野内匠頭長直、赤穂藩城代家老大石良欽、その弟大石頼母、大石内蔵助良雄、大塩平八郎中斎、越後長岡藩家老河井継之助、吉田松陰、西郷隆盛、乃木希典という。
 驚くべきことに、日本史の教科書に出てくる大スターたちであり、その多くが非業の死をとげている。江戸期から明治を理解するには、この陽明学を知ることにより、断片的な歴史の事件が一つの線で結ばれることになる。

 そして、陽明学に殉じた人として、蓮田善明と三島由紀夫と、江戸や明治期の歴史上の人物たちが、私の頭の中で“戦慄とともに一瞬にして”つながってしまう経験をした。

 戦後、タブー視されてきた陽明学であり、歴史の講義でも、このような話は聞いたことがない。しかし、司馬遼太郎は恐らく後世まで残された江戸や明治の資料を見ながら、陽明学を奉じている人なら、どう思いどう行動するかを、小説という想像の世界で描いて見せたのではなかろうか。
その代表的な小説が河合継之助を描いた「峠」、乃木希典を描いた「殉死」である。
  

Posted by わくわくなひと at 20:51Comments(3)

2009年12月15日

Newspapers face grave times

 「MAINICHI WEEKLY」を高校生の娘が購読している。
購読していると言っても、封さえも開けない。お金を出している私としてはもったいないので、たまに読む?ことにしている。
高校生から大学生を対象とした英字紙なので、文章は平易。ちょっと難しい単語やイディオムには訳が付いている。だから、私のような者でも読むことができる。
しかし、高校生が、毎週、この英字紙を習慣的に読んでいたら、私立文系の有名私大は軽くクリアできる英語力が付くことだろう。
私がこの英字紙を読む目的は、日本であまり手に入らない情報や外国人の視点である。いつも読みたいと思う記事があるわけではないが、12月12日付けの紙面には、「Newspapers face grave times」という見出しに飛びついてしまった。
ロンドンの新聞業界では廃刊が相次いだり、社員の首切りが行われているという。しかも購読料が必要な新聞だけでなく、フリーペーパーの廃刊も相次いでいるそうだ。これは日本の新聞業界にとって衝撃的な情報ではなかろうか。
新聞社の経営層は、不況や広告の不振が原因となげいているそうである。日本の新聞業界でも聞いた話である。
だが、David Hulmesというジャーナリストは、それだけではないと分析している。つまり、新聞社はネットやホームページ、電子出版などに相当投資をしているにもかかわらず、読者がそういうサービスに一銭も払ってくれないことが大きな要因と指摘する。
日本の新聞社もウェブサイトをいかにして有料化するか苦心しているに違いない。しかし、これまたショッキングな調査結果が示されていた。
Most surveys suggest 90 percent of readers will not pay to use a newspaper’s Web site.
テレビが家庭に普及していった時、新聞はラジオ・テレビ面を最終面に持っていって生き残りに成功した。インターネット全盛の時代となった昨今、新聞業界はラテ面のようなヒット商品を持つに至っていない。ロンドンの事例が示すように、広告料だけで成り立つフリーペーパーも挽回策になりそうにない。
お金を払ってでも手に入れたい価値ある情報とは、どのようなものだろうか?
  

Posted by わくわくなひと at 10:24Comments(0)

2009年12月13日

来年は「陰山手帳2010」で夢を実現します!

~『残光』『名文』『知の編集術』「陰山手帳2010」をゲット!~

 12日付け西日本新聞のコラム「春秋」に目が止まった。「キネマ旬報」が「映画史上ベストテン」を発表し、1953年製作の「東京物語」が1位になったそうである。
 小津安二郎監督の有名な映画であり、笠智衆らが扮する老夫婦の物語。確かにコラム氏が言うように「枯れた映像のなかで家族の変容が物悲しく語られる」、しみじみと静かな気持ちになる映画だった。
コラムの中では、中澤千麿夫が書いた『小津安二郎 生きる哀しみ』(PHP新書)のことにもふれてあった。
 以前、書店で見かけ、買うか買うまいか躊躇した本であり、やはり買うことを決めた。
 今の私は、“じいちゃん本”ブームである。私はじいちゃんではないが、20年もすればそうなってしまう。人生を振り返るのにもまだ早すぎるが、どうやら私の興味の射程に入ってきた。
 そう言えば、熊本の長崎書店の方が紹介していた小嶋信夫著『残光』、90歳の作家の遺作も買いたいと思った。1週間ほど前、同書店を訪ね『残光』を探したが、実は小嶋信夫という名前が思い出せず新潮文庫の書棚の中から見つけ出すことができなかった。書名ではなく作家の名字の五十音順に本が並べられているから、作家の名前が分からないと難儀してしまう。書店の方に聞けば手に入ったのだろうが、そこまではしなかった。
 午後、テレビで「坂の上の雲」の再放送をみた後、天神の丸善に出向いた。すぐ『残光』は見つかった。長崎書店の方には悪いと思いながら、確か“きれいな文章”?と紹介されていたことも思い出した。そう言えば、枯れた老人のきれいな文章を読んでみたいと思ったから、買いたくなったわけである。
 “きれいな文章”という言葉が頭に浮かんだ後、ちくま学芸文庫の棚を覗いていると、中村明『名文』を手に取っていた。これも購入。
 『小津安二郎 生きる哀しみ』は、PHP新書だから「丸善にないはずはない」と思ったが、三度書棚を見たが見つけることができなかった。いつか機会は訪れる。
 丸善では「感じること」「考えること」などテーマに沿って編集された本棚も用意されていた。そこには、アマゾンで購入したばかりのジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』も並んでいた。この近くに並べてあった松岡正剛『知の編集術 発想・思考を生み出す技法』も購入することにした。
松岡の本を買う気持ちになったのは、茂木健一郎の『かつて、情報という概念の本質について議論した時、松岡正剛は、「現代人は情報が横から来ると思っているけれども、昔の人は上から降ってくると思っていた」と言った。ここで「上から」とは、文字通り空間的な上方に由来するという意味ではない。この現実世界の中を流通して「私」にやってくるのではなく、自分の無意識の中から生成される何か、という意味である。』が気になっていたからである。
この後、マーケティングや経営関係のコーナーも行ったが、大半は「はい、はい、分かりました。あなた方は偉い!」と、つい思ってしまった。なぜだか今はそう思ってしまう。
何となく三冊薄手の本を購入してしまったが、私にはもう一つ目的があった。3階の特設された手帳コーナーに向かった。
いろいろ迷ったが、来年は陰山英男という人の「陰山手帳2010」で行くことにした。陰山さんは有名な人らしいが私は知らない。
皮のような外装にステッチが施されているところ、トラッドな雰囲気が気に入った。月ごとに10種類のプロジェクトの進捗管理ができるようになっている。毎月10前後の仕事は同時進行が当たり前だし、使えるのではないか。発想やアイデアを書き留めたり整理するのに都合がよい5㎜幅方眼のページも、週間カレンダーの右側に編集されている。
A5サイズは私には小さすぎる。備忘録的なA4サイズの資料を常に手帳に挟む癖があるからだが、半分に折ればちょうど収まるので、“これでよし!”とした。
来年は、この手帳に夢を描き、それを実現していくためのスケジュールや重要事項を書き留めていく。夢は自分の想像よりも、もっと面白く大きいものとなって実現していくに違いない。
  

Posted by わくわくなひと at 03:14Comments(3)

2009年12月06日

21世紀の突破口はスロービジネスモデルか?

 ①中央と②地方、①競争と②共生、①大量生産と②少量生産、①効率・効果ではなく、②ゆっくりと着実に信頼関係をつくる・・・。
 私の仕事は、どれをとっても②の方がはるかに多い。
 たまたま沖縄の人と話す機会があった時、こんなことを言われた。「東京の人って、上から目線ですよね」と。すべての東京の人がそうではないと思うが、今までたぶん20世紀までの日本や世界をリードしてきた東京人には、確かに上から目線を感じることがある。
 九州人である私、そして沖縄の人、そしてアジアの人々も、無意識に上から目線を感じたことがあるのではなかろうか。
 ある社員がすごい視点を提供してくれた。私の仕事はけっこう福祉関係が多いわけだが、20世紀のマーケティング的視点だけでは21世紀は乗り切れないというヒントを提供してくれた。
 「商品を売りたいという人、売れる商品を開発したいという人」だけを相手にしておればよいのか?そんな社員の疑問である。売りたくても売れない、開発したいと思っていても開発できない環境にいる人たちがたくさんいるのではないか?
 福祉の世界では、障がいなどにより、「売りたい」「開発したい」という情報がほとんどない環境にある人たちがたくさんいるのではないか。
 「歴史もない」、「規模も小さい」、「金看板もない」、「実績もない」・・・。私の会社には、これらがすべて当てはまる。だからこそ21世紀の新しいビジネスが実践できるという思いは日に日に強くなっている。その我が社のキーワードは、スローマーケティングやスローマネジメントという価値観とビジネススタイルではなかろうか。
 一昨日の夜くらいから、“スローマーケティング”という言葉が浮かんできた。社員の疑問という刺激を受けてからである。
 まさか自分が初めて思いついた言葉ではないと思い、Googleで検索した。すると、やはりあるものである。そして、以下の本をamazonで購入することになってしまった。

■原田 保 , 三浦 俊彦 (編集)『スロースタイル―生活デザインとポストマスマーケティング』 (単行本)
以下、amazonの解説
『本書は、先進工業諸国の人々の消費生活や企業活動を牽引してきたこれまでのマーケティング戦略のあり方を根本から問い直し、その功罪を視野に入れつつ、いわば「人間的な消費生活」と「人間のための企業活動」をめざして動きだした新たなポスト(脱)マーケティングのスタイルを紹介するものである。ここでは、新時代の消費者および企業の行動様式を「スロースタイル」と名づけ、そのような新しい生活デザインの考え方が消費者側の多様な生活シーンにいかに浸透し、また、それに基づくスロースタイルマーケティングが生産者側の多様なビジネスシーンにいかなる力を発揮しつつあるかが解明される。』

■ジャン ボードリヤール『消費社会の神話と構造』
 この本は確かずいぶん前に購入したことがあるが、今手元に見あたらないので再度、古本を購入することにした。
  


Posted by わくわくなひと at 20:11Comments(3)

2009年12月06日

ついに見つけた!探し求めていた昔ながらの豆腐

 何が違うのか分かりませんが、あのおいしかった昼食時の冷や奴。

 冷や奴は子どものころの好物で、青葉と醤油と冷や奴で何膳もの御飯がいける。そんな豆腐をこの数十年探してきました。

 そして、ついに見つけました。昨日のびぷれす広場のイベント会場に、探し求めていた豆腐がありました。

 ゴースローさんの「本気豆腐」というのが、それです。どこにでも手に入る豆腐と何が違うのでしょうか?

 口に入れたときの味が違います。「昔の豆腐の味だ!」と思ってしまいます。

 最初は醤油も何もいらない。そのままの味を楽しみました。そして、少し醤油をたらして、いただきました。

 温かい御飯との取り合わせが最高です。
  

Posted by わくわくなひと at 13:10Comments(4)

2009年12月04日

今年のカレンダーは、これに決めました!

 そろそろ1月の予定が入るような時期になりました。

 今年も、来年のカレンダーや手帳に関心が向かうようになりました。

 店頭では一月以上前からコーナーができていますが、「まだ早すぎる」という心の声に従って購入するまでは至っておりませんでした。

 しかし、来年の具体的な予定が入り出すと、「ついに行動の時」が訪れてしまいます。

 昨日、熊本県庁1階で事務所用カレンダーを購入しました。

 何かを感じてしまうカレンダーです。障がい者の方々の作品集です。

 日々鬼のような私ですので、「もともとはそうでもなかった」という言い訳にしたいのかも知れません。

 立場という人格もありますからね。
  

Posted by わくわくなひと at 19:16Comments(0)