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Posted by おてもやん at

2011年02月28日

数学と鋭い喜び!藤原正彦の管見妄語

 明日、大牟田に車で行くのでガソリンスタンドに立ち寄りました。そこで「週刊新潮2月10日号」を手に取りました。
 何となく眺めていたら、藤原正彦の管見妄語というコラムに目が止まりました。この方のお名前はよく本屋さんで見かけますね。読んだことはありませんが・・・。
 最近の政治のふがいなさを訴えている内容でしたが、そのたとえとして使われているところが、どうしても欲しくなりました。ここのところのコピーを下さいと店員さんに申し出たら、「あげますよ」と一言。あつかましいオヤジをしてしまいました。
以下の発見や解決の喜びにふれたところです。

 数学とは長時間考えるという苦しみに耐える学問である。解けないという不安、焦燥、欲求不満、劣等感に耐える学問なのだ。その報酬として、解けた時の「鋭い喜び」がある。中学生から高校生の頃、図形の問題を考えに考えて、とうとう一本の補助線を発見し一気に解決した時の、何とも言えぬ喜びは多くの人の共有するところだろう。他のいかなる喜びとも違う、「鋭い喜び」だ。苦しい思考の末に「鋭い喜び」があるということを知るのが数学を学校で教える大きな理由の一つだ。この喜びを知らないと、一ヶ月のあいだ昼夜を通して考え抜く、などという苦痛に人間は耐えられない。自信を持って火の玉の如く考え続けることができない。
 今日、日本は・・・
・・・・
 ・・・山本夏彦氏はかつて「三人寄れば文殊の智恵は嘘だ。バカが三人寄れば三倍バカになる」と喝破した。会議で画期的アイデアが出ることはまずない。特別の能力のある個人が何週間、何ヶ月も呻吟した末にようやく得られるものだ。会議はせいぜい、そのアイデアの思わぬ穴を埋めることしかできない。だからこそ数学者は会議により問題を解かないし、作家は会議により小説を書かないのだ。実際、会議は誰も責任をとらなくてよいためのシステムと化している。堂々たる国家戦略が出てこないのもむべなるかな。


 高校の頃、数学が苦手でしたが、30歳を過ぎて好きになりました。高校の頃、数学に打ち込んでいたらと何度思ったことか。グループワークで同僚たちがいろいろ考えている時、冗談やイタズラをしたくなるのは、たぶん、高校の頃に訓練ができていないことが一因かと、つい思ってしまいました。
  


Posted by わくわくなひと at 15:50Comments(2)

2011年02月27日

描く人の心理と行動とは?モーム『月と六ペンス』

 ゴッホ展に行って震えるような感動を味わえなかったことが気になっていた。太宰府での阿修羅展での感動をもう一度したい。どこかから降りてくるような、頭ではなく体からわき出てくるような感動を。そんな期待を抱いて行ったが、それは訪れてこなかった。それもこれもすべて自分の知識、経験、感受性のレベルの問題だと解釈した。
 モーム(行方昭夫訳)『月と六ペンス』岩波文庫(2010年4月26日第7刷、2005年7月15日第1刷)。この本を読みたくなったのは、ゴッホが同棲していたゴーギャンがモデルということだったから。どんな人物なのか、絵画から何を感じ取れるのか。描く人の心理とは。そんなことが分かるかも知れないと思って、読み進めた。
 137頁「本質が分かるためには、芸術家と同じ魂の痛み、創造の苦悩を体験しなければならない。作品とは、言うなれば芸術家が歌って聞かせるメロディーであり、それを自分の心で正しく聴くためには、知恵と感性と想像力がなくてはならない」。
 読み始めは正直、最後まで読み続けることができるか不安になった。しかし、翻訳された文章が洗練されていたため、10頁、20頁と進んでいくことができた。英語となると、翻訳家の層も厚いことだろう。行方昭夫(なめかたあきお)という人が翻訳した本は今後、注目したい。
 ストーリーは、ロンドンで証券会社を共同経営している男(ジェントルマン)が突然、妻子を捨ててパリに行くことから始まる。その時の周りの反応を読むうちに、この本の世界にどっぷり引き込まれていった。自分が長年勤めていた会社、しかも、ラインの部長職でありながら、“月”のために辞めていく経緯と周りの反応を思い出し、いつの間にかチャールズ・ストリックランド(モデルはゴーギャン)の立場が分かったような気分になってきた(自分の経験はチンケ過ぎるが・・・)。月は理想、六ペンスは現実という意味だ。
 絵を描きたい。自分の頭の中にある絵を描きたい。そのためには手段を選ばない。突然、何もかも捨ててパリに行く背景には、当然、“女”がいると周りは決めつける。しかし、それは違っていた。147頁「・・・自分に見えているものを描きたいだけだ」。
 パリで極貧の生活を続けるうちにストリックランドは野生化し、病に倒れる。この野生で皮肉屋の人間を、人のいいオランダ人画家の夫婦が引き取り、看病をする。婦人はもともとストリックランドを毛嫌いしており、引き取り看病することに感情むき出しで反対する。しかし最後は夫に説得される。その後の描写。ここのところが特に印象に残った。
182頁「あるとき、ストリックランドがあと一、二日もすれば病床を離れられるほどに回復した頃、・・・彼女はストリックランドの視線を感じて、目を上げ、一瞬二人は見つめ合う格好になった。僕には、彼女の表情がやや不可解に思えた。目には奇妙な困惑と、それに加えて、なぜか分からないが、不安感のようなものもあるように思えた。一瞬の後、ストリックランドは視線をそらし、ぼんやりと天井を眺めたが、彼女は見続けており、今やその目付きはまったく僕には謎であった。」(この物語は小説家の一人称で語られている)。
183頁「彼に取りついた魔神は善悪以前に存在した原始的な力なのだから。」

 ここから先をつらつら述べるのは、もう控えよう。
 その後、ストリックランドはマルセイユに行き、終焉の地、タヒチに向かう。
 読み終えて解説を読むと、オランダ人夫婦とストリックランドの関わりは、モームの創作であることが分かった。しかし、この部分が一番深入りさせられたところだった。
 後で書こうと思っているが、事実と創作の微妙な関わり合いを考えるのに、よい機会を与えてもらったことは確かだ。
 次に読みたい本。
■モーム(行方昭夫訳)『人間の絆』(全三冊)岩波文庫・・・モームの最高傑作と書いてあった。
■セネカ(大西英文訳)『生の短さについて他二篇』岩波文庫・・・多くの人が読めと言っている本が岩波文庫最新刊の案内に載っていた。
  


Posted by わくわくなひと at 18:08Comments(0)

2011年02月25日

中谷巌と彰宏の区別も付かず懇親会向けに!

 懇親会を3つもパスして、「いけないな。どうしたら積極的になれるか」反省していました。人には興味があるけど、オヤジにはあまり興味がない。「それではいけない」と思っている時に、TSUTAYAで見かけた一冊です。
 中谷彰宏『なぜあの人は人前で話すのがうまいのか』ダイヤモンド社(2009年11月10日第19刷、2007年12月6日第1刷)。中谷巌という経済学者がいて、この人と同一人物と思っていました。「へぇ中谷さんはこんな柔らかい本も書くんだ」と、これまで何度思ってきたことか。巌さんと同様、彰宏さんも本をいっぱい出しているし、広告会社出身。おしゃれな会社でよく見かけそうな風貌です。
 まあ読ませていただき、勉強になりました。プレゼンとか数十人くらいの人前では何とかこなせるようになっていますけど、懇親会とかで人見知りして、居心地が悪くなります。これがすごくいやなんです。要領のよくない自分のための胃薬と思って向かい合いました。
 最後の文章は、いい意味でもよくない意味でも、広告屋さんだなと納得しました。
「夢を実現できる人は、一番最初にアイデアを思いついた人ではありません。そのアイデアを相手側にわかるように伝えた人が夢を実現するのです。」
 メーカーや技術者、商品開発担当、研究者の中には、「何言ってやがんでぇ。」と思う人は少なくないと思います。これらの人たちは、みんな“20世紀型で滅び去る” と書いてあるのでびっくりしました。みんな生き残って働かないと、人口減少の日本経済は持ちませんよ。
 それはともかく、以下はメモ書きして頭の片隅にでも入れておきたいと思います。

■話の「入り方」と「終わり方」だけ決めておけばいい。→確かにプレゼンする時は、これを決めておかないと不安ですね。1対1のときもそうするのかな?
■「じゃ、私から自己紹介します」。→これいいですね。今度試してみよう。でも、いかにも仕事ができそうな人が言うのと、ゆったりしたキャラの人間が言うのとは反応が違いそう。
■自分の名前を覚えてもらうためには、名前を明快に言うことです。→これも大事。改めて再認識。たんぼの■、添加物の■と書きます。下の名前は赤城圭一郎と同じですが、僕の方が先に世の中デビューしています。以前、使っていたネタを思い出しました。そろそろ新作を考えないと。
■自己紹介だったら、「冒頭と最後に、自分の名前を入れる」→「ご静聴ありがとうございます。たんぼの■、添加物の■の■■でした。」でいいのかな。
■「私は今まで何をしてきて、こんな人間で、こういうことが好きで、こういうことが得意な人間です。ぜひ一緒にやりましょう。楽しいことやりましょう」。→これは今、むちゃくちゃ整理中です。キャラはたくさんあるので、ケースに応じて、こんなキャラ、こういうことが好きのパターンを整理してみようかな。
■自己紹介は最近の話や前の人の話を組み合わせる・・・。→「前の人の話を組み合わせる」のは経験あり。この間の学会の自己紹介では成功した。自己紹介程度と馬鹿にしてましたが、納得!
■プレゼンなど・・・「私はこんなことをやっています」「これからこんなことをやりたいです」という自己紹介が始まりです。→プレゼンの時間が制限されていても、これはやはり大事だな。
■コミュニケーションは、正解を言うことではありません。→グルインの時も正解を考えて言う人は男の人に多い。だから、「この会では正解を出すことを目的にしておりません」とわざわざ断っている。グループワークやワークショップと思って参加する人がいるから、この言葉は大切だ。
■伝えることより伝わること、主体は自分ではなく聞き手側に置くのです。聞き手の反応を見ながら話せばいいのです。自己紹介する時も、聞き手に映像が浮かんでいるか浮かんでいないかという反応を見ながら話すと、60秒は圧倒的に長いです。→大事
■このたびはプレゼンの機会を与えていただきまして、まことにありがとうございます。→大事
■コミュニケーションをとろうとする人は、前回と同じテーブルにはつきません。必ず違うテーブルに座る。→いつも同じテーブルに戻っています。本当は自分は人を好きではなく食べ物や飲み物が好きかも知れない。
■流暢に言葉が出ることより、言葉以外の部分、呼吸を合わせることや観察力のほうが大切なのです。→確かに観察していると面白いので、緊張しなくなる。芸や武道に通じる。
■ダラーッと、いつも通り話せるのがうまい人です。→ひょっとして自分は話がうまい人かも。しかし、おごれる者久しからず。「それと・・・」とか言ってダラダラ話す人はイラツク。頭悪そうです。
■「本気」を伝えるつもりで話そう。いつも私は本気でやります。→ここが自分とは違う。のっているときとそうでない時の落差が大きいので改めよう。芝居ができない私です。
■自分の言葉で語る、しかもそこには熱い思いがなければなりません。→プレゼンで勝利した後に、「あんたの独特の話し方と気迫でどんどん点数が入っていったよ」とよく言われます。負けた時は、その辺が足りないのかも。「まじめに仕事をしろ!」と怒られそう。
  


Posted by わくわくなひと at 19:40Comments(4)

2011年02月23日

芥川賞!「きことは」書き写すと凄い。「苦役列車」は強烈

 第144回昭和22年度下半期芥川賞が決定。数週間前に同僚から「文藝春秋」を借りて読みました。
 受賞したのは、文学の名門で育った朝吹真理子の「きことわ」と、中卒・逮捕歴ありの西村賢太「苦役列車」
 「きことわ」の洗練された文章と、社会の底辺でうごめく「苦役列車」の文章。素人判断では「朝吹真理子がもっと人生の経験を積めば、読みたくなる小説を書くかも知れない」。これが宮本輝の表現になると、「誰に言われなくても、朝吹さん自身が、みずからそれを求めて、作風に鑿や鉋を深く加え始めるときが必ず訪れるであろう。」。しかし、書き写してみると、この人の凄さが分かりそうな気がします。西村賢太は強烈!青汁を飲んで、「まずい!もう一杯」というよりも、今度はどんな刺激で勝負してくるか気になりました。

 「きことわ」で線を引いたのは、以下のところ。

 居間からひろがる一面の庭、柳に美男葛、百日紅、名を知らない丈高の草木がきりなく葉擦れし、敷石の青苔が石目をくくむ。はやばやと葉を落とした裸木のあるところは光線がじかに落ち、土がひかりを吸う。

 “土がひかりを吸う”。この言葉に痺れました。書き写していたら、ボキャブラリーと感受性が並みの人ではないことが分かってきました。

 「苦役列車」は最初からストレートパンチを食らったような感じ。

 ・・・パンパンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引いて便器に大量の尿を放ったのちには、・・・

 「文藝春秋」には選評が載るから面白い。以下は記憶しておきたい箇所。
▼島田雅彦「はじめてのおつかい」
・・・本当に新規な作品は過半数の支持など得られはしない。芥川賞も基本、保守である。だが、保守こそ「わかりやすくて目新しいもの」を求めるのも事実だ。・・・
▼高樹のぶ子「五感の冴え」
「きことは」は触覚、味覚、聴覚、嗅覚、そして視覚を、間断なく刺激する作品、この感受性の鋭さは天性の資質だ。感覚で摑まえたものを物や事象に置き換え、そこに時間の濃淡や歪みを加えて、極彩色の絵画を描いてみせた。・・・身体の実感を言語化するとき、ともすれば自分流儀な表現に陥りがちだが、具体的な物や事象に置き換える、つまり客観性を与えて提示できる力がある。・・・文章に韻律というかリズムがあり、これも計算されたというより、作者の体内から出てくるもののように感じた。・・・良い文章とは、音楽的な抑揚に富んでいるもので、そこに「空」や「無常」の感覚がうっすらと、しかも明るく加わっているのだから・・・
▼池澤夏樹「時間をめぐる離れ業」
 一般に小説とはストーリーである。一人または複数の人々の身の上に何かが起こり、それがいろいろに推移して、結果に至る。時は一方へと流れる。
 しかし、この通常の方法では書けないテーマが一つだけある。人間にとって時間とは何か、という大きな問題。
 ただ事象の後ろを追って走るだけではつかみきれない、過去と今、今と未来の間の意識の頻繁な行き来、が我々にとっての時間というものの本当の姿ではないか。
 朝吹真理子さんの「きことは」は時間というテーマを中心に据えた作品である。
▼石原慎太郎「現代のピカレスク」
・・・
 朝吹氏の作品に対比して西村賢太氏の「苦役列車」は、これはまた体臭の濃すぎる作品だが、この作者の「どうせ俺は-」といった開き直りは、手先の器用さを超えた人間のあるジェニュインなるものを感じさせてくれる。
 超底辺の若者の風俗といえばそれきりだが、それにまみえきった人間の存在は奇妙な光を感じさせる。
▼黒井千次「淡い光と濃い闇」
・・・「きことは」が・・・更に記憶や夢がその世界の時間を切り刻み、混ぜ合わせ、過去と現在とを重ね合わそうとする。これだけの独自の時空を生み出すのは、淡い色合いを思わせる言葉の力であるらしい。何が書かれているかより、いかに書かれているかにより強い興味が引かれるような候補作は珍しい。・・・「苦役列車」は、・・・一つ一つの行為にどこかで微妙なブレーキがかけられ、それが破滅へと進む身体をおしとどめるところにリアリティーが隠されているように思われる。・・・
▼宮本輝「小説の濃淡」
 ジグソーパズルの小さなピースに精密でイメージ喚起力の強い図版が描かれてあって、そのピースを嵌め込んで完成した全体図は奇妙に曖昧模糊とした妖しい抽象画だというのが朝吹真理子さんの「きことわ」である。・・・
 誰に言われなくても、朝吹さん自身が、みずからそれを求めて、作風に鑿や鉋を深く加え始めるときが必ず訪れるであろう。・・・
  


Posted by わくわくなひと at 21:49Comments(2)

2011年02月23日

ドラッカー読むだけで会社は良くなるの?

 やっぱり出ましたね。深田和範『マネジメント信仰が会社を滅ぼす』新潮新書(2010年12月20日第1刷)。
 “もしドラ”がたくさん売れて、経営に関係ない人たちまでドラッカーが読まれた一年でした。当然、副作用もありそうなので、こんな本は必要です。ドラッカーを好んで読んでいる人も余計なお世話だけど読んだ方がいいと思いました。いきなり、「こんな本読めるか」と思った方は、この本が言う「マネジメント信仰」の信者かも知れないと思ったりもしました。
 そういう私は、けっこうドラッカーを読んでますし、ドラッカーはすごいと思います。自分にはちょっと難しくて、どうやったら頭で理解するのではなく腹で理解することができるかで悩んでいます。つまり、実行、実践したいと思いますが、会社は自分一人ではないし生ものですので、さてどうするか。「そう簡単ではないぞ」と思ってしまうのであります。
 この本の「まえがき」に、『もしドラ』を読んで「すぐに実践できる」と思い込んで、書いてあることを真似している。そんな人が急激に増えているというように書いてありました。私は少数派かも知れませんけど、『もしドラ』読んで、「確かにそうだが、実行するのは並大抵のことじゃない」と即刻思いました。会社経営を経験していると、腹の底から分かるじゃないかと思いますが、ドラッカーが書いていることを実践できることは凄いことです。というよりも、小学生にも笑われるような当たり前のことができたら、凄い会社になれると、今では思ってます。
 ドラッカーが書いていることではないでしょうが、「社員にトイレ掃除を徹底的にやらせて倒産した会社」があると書いてありました。これに私は、ぴったり該当しましたが、まだ皆様のおかげで生き延びております。ただ、社員にやらせたわけではなく、トイレクイックルを即刻買ってきて自分でトイレ掃除をしました。きれいなトイレは気分がいいですね。少なくともマイナス思考にはなりませんので、長く続けていると悪いことは少なくなりますよ。断言します。
 ただ、この本で深田さんが言いたかったことは、分かります。共鳴する部分が相当ありました。
三言で言うなら、生身の仕事をしている者、経営している者、そして真剣に組織を預かっている者は、「単なる評論家や学者になるな!」「そんなことをしていたら会社潰れるよ」「理屈を言う前に稼ぎなさい」ということだと思います。
 構造的な不況が長く続いているので、みんな自信を失い、何かの指南にすがりつきたい。そんな時代が招いた『もしドラ』ブームの一面もあったことと思います。
 「ドラッカーはこう言っている。だから、自分の言っていることは正しい。」。そんな議論もよく見かけるようになりました。こんな議論を聞いて、数十年前の「マルクスはこう言っている。だから、こうなんだ」という記憶が蘇ってきました。
 それぞれのドラッカーがあっていい。ドラッカーをいっぱい読んでいるから、その人の考えや行動が正しいとか偉いとか、権威があるとは言えない。なぜなら、たとえ何度読んだとしても、経験や真剣味がないと腹の底から理解できないことがドラッカーの言葉の中にはたくさんあるからです。少なくとも、評論家や学者のためにドラッカーは書いていないと思います。日々、真剣勝負している人に向けて書いていると思います。
 あなたが属する組織や集まりは「マネジメント信仰」症状にどこまで冒されているか?この本からピックアップしてチェックリストを一つだけ作りました。
 あなたの周りに、こんな組織や集まりがありませんか?

~意見はあっても意志はなし症状~
□経営者や管理職が、「あるべき論」や「一般論」を言うばかりで意志を示さない。
□意志を示すべき人が議論を本質から外そうとする。細かいことや表現方法にこだわり、議論を集約して、次の段階に移ろうという動きが見えない。あわよくば、うやむやにしようという意図すら感じられることがある。
□他社事例やマネジメントの本に書いてあったことによって物事を決めようとする。「他社でもこうしているから」「一般的にこういうものだから」(「ドラッカーの本にこう書いてあるから」)という理由がまかり通るようになる。
□体系的な理論や手法を重んじ、「経験、勘、度胸」を馬鹿にする。「理論的、客観的」であることが正しく、「経験論や主観に基づく判断」は誤ったものと決め付けている。
□「~戦略」「~改革」等の用語を好んで使う。「具体的にどうなるか」よりも、関係者に「どのように受け止められるか」「どうすればスマートな表現になるか」ということばかり気にする。
□同じようなテーマのプロジェクトが数年おきに立ち上がる。前回のプロジェクトが中途半端な状態で終わっていても、その反省もないまま次のプロジェクトが始まる。
□消去法で物事を判断する。いくつかの選択肢をあげて最もリスクの少ないものを選ぼうとする。その結果、ありきたりな案しか選ぶことができなくなっている。
  


Posted by わくわくなひと at 18:40Comments(6)

2011年02月23日

頑張れ!クライストチャーチNZ

 クライストチャーチの地震にびっくりしました。
 今日の新聞はいつもと違って眺めるのではなく読みました。
 イギリスよりもイギリスっぽい街。ガーデンシティ。
 あの美しい街が大地震に遭うなんて。あの煉瓦づくりの大聖堂も壊れた。
 クライストチャーチの人々、そして訪れていた日本人にも死者が出ている。
 自分には何にもできませんが、早く地震がおさまって復興してもらいたい。
 気のせいか。最近、贔屓にしている街で惨事が起こり続けています。
 ツーソンAZ、クライストチャーチNZ・・・。
 ずいぶん前になりますが、プーケットに行って、その二三ヶ月後にプーケットは大津波に遭いました。
 あの時の人たち、地中海クラブの人たちはどうなったのかと思っていると、三ヶ月後に、大変だったけど笑顔で生きているという写真付きのクリスマスカードが来ました。
 新聞のクライストチャーチの記事にはコンクリートだったら、こんな惨事にならなかったと書いてありました。でも、煉瓦じゃないとクライストチャーチではないと思います。簡単にコンクリートにせず耐震対策を十分にした煉瓦とイングリッシュガーデンを復活させてもらいたいと願っています。  


Posted by わくわくなひと at 13:19Comments(0)

2011年02月15日

日本で一番大切にしたい会社!坂本教授講演会

 昨日、九州経済産業局主催の講演会がハイアットリージェンシー福岡でありました。
 ハイアットリージェンシー福岡は、おしゃれなホテルですね。いつもは天神・大名界隈をうろついていますが、昨日は大人の街、博多駅筑紫口周辺の官庁・ビジネス街にある、このおしゃれなホテルでの講演会に参加してきました。お上りさん気分でしたね。
 講演者は、法政大学の坂本光司教授。『日本でいちばん大切にしたい会社』という本で有名な人です。何でも6,500社のヒヤリングを行っているそうで、迫力と説得力がありましたね。参考にしたのはドラッカーとコビーくらいで、6,500社を地道にまわって多くを教わったというところに惹かれました。単なる読書家の上から目線からの理屈に少し嫌気がさしていたところですので、講演会に参加してよかったと素直に思いました。
 この先生が追われているのは、売上高経常利益率が数十年5%以上という中小企業だそうです。しかも、例としてあげられた企業は、20%とか30%以上。不況とか関係なく10年連続この成績を残す企業はすごい。こういった企業の共通点が何かというのが、講演のテーマだったと思います。
 成果主義がほころびを見せ始めています。社員をコスト扱いし、本社や経営陣だけを守る血の通わないやり方を“これが経営”と威張っていた企業の業績は低迷している。人を幸せにする経営、社員とその家族、下請けさんを大事にしてお客に嘘をつかない、年寄りや障がい者を大事にする人本主義の経営を実践しているところが繁栄しているというお話だったと思います。
 テクニックでも学歴でも、上司に取り入るでもなく、正しいことをやっている人や企業が評価される。そんな本物の時代になってもらいたいと思いました。確かに、この10年くらい、本当、ひどかったなぁと、昔を思い出してしまいした。
 私なりにメモした「活力ある中小企業を生み出すポイント」は、以下の通りです。

■経営理念とその浸透
・何のために生を受けたかをしっかりと自覚し明文化し、社員に浸透させることが大事。
・奉仕を先に利を後に。世のため人のためになるか。
・定年までやめる人がいない企業。社員とその家族の幸せを念じた経営。社員の幸せを通して社会に貢献する。社員間で競争させない。顧客、社員、家族、取引先、株主の5人に嫌われたら倒産。コストダウンをしない、合見積をとらないで取引先を大事にし、48年連続増収増益の企業がある。世界の難民のところへ行って検眼し、めがねをプレゼントする北海道の眼鏡屋は、従業員のサービスが感動レベル。
・理念が“親孝行”という会社も。利他の心が大事。
■中小企業と大企業は生きる世界が違う
・大企業の真似をしたり、大企業との話には安易にのらない。
・中小企業はロットの大きいもの、市場の大きいものはやるべきではない。中小企業は人がやらない、やりたくないものをやる。
・年寄りと障がいのある方に特化して、99%の稼働率を誇る旅館。
■自分で作って売る
・研究・製造・販売機能を持っている企業が伸びている。製造だけ、販売だけの企業は伸びていない。経営者が客の顔を見て商品をつくり売るという製販一体のおはぎを売る小さいスーパー。
■人本主義
・業績がよくないのは経営者がよくないから。離職率の高い会社で経営が安定しているところはない。中途採用をいつまでもしてはいけない。社員は計画的に採用し、人を育てる。人材が好況をつくる。過去10年、毎年10人の新人を採用し、99人が残っている、人をとことん大切にする会社。
・大企業を希望退職で辞め、仲間と立ち上げたタオル染色の会社。社員の奥さんがパートでリストラであっても、その収入分を補填する制度をもっている。年功序列、リストラは一切しない。
・100万分の1の歯車を作った会社。なぜ、そういう技術ができるか。人を大切にするから。給料が一番高いのは78歳の人。年功序列だから。定年がない。不治の病にかかって出勤できない人へ三年間、給与とボーナスを支給する人本経営が卓越した技術を生む。
・社員を大切にしているかどうかは、社員食堂とトイレを見ればわかる。
■本社は小さいのがポイント
・1,500人の従業員で本社は30人という会社。本社は多いと暇だから、変に現場を管理する規則やしめつけなどを行うだけ。
  


Posted by わくわくなひと at 14:27Comments(0)

2011年02月08日

初午!鼻を長くして芸者さんと。

今日は初午。
今年もお祈りいたしました。
それも、今日は日頃懇意にしている芸者さんを連れ立って某稲荷神社に行ってきました。
というのは大嘘で、芸者さんを見かけましたので、ミーハーの私はすぐ記念写真をお願いしたという次第です。
今年は、去年以上についてるかも!  


Posted by わくわくなひと at 20:14Comments(5)

2011年02月05日

観光地の景観は農家の苦楽の賜-農業、第4の波

 岡村良昭『農業、第4の波』2010年11月19日第2刷(同4月1日第1刷)。
 昨年の秋、いただいた一冊。著者は私が若い頃の上司であり、文章のいろはを教えてもらった師です。久々に柔らかく流れるような文章に接し、若い頃の日々を思い出し、懐かしさを感じてしまいました(ご期待に添えず、なかなか思うように文章が書けませんが・・・)。
 著者は農業一筋のジャーナリストです。「いきなりですが、農業がなければ、国はないと思います。」から始まります。「昭和四十五年、農業の減反政策を機として始まった長い閉塞の闇から抜け出して、明るいあすへの扉を開く鍵を探したい」との思いで、戦後六十年の熊本の農業を振り返ります。
 熊本の景観は美しいと思います。この本に書いてあります。千枚田、深田から周年農業に変容した阿蘇盆地農業の美しさ、ミカンブームの光と影を知る美しい景観、ビニールハウスの台地が問う吉次峠からの展望・・・。
 今、美しいと感じる熊本の景観が農家の長年にわたる営みのおかげであることが、流れるような文章で綴られています。
 例えば、こんな感じです。
「・・・冬の農村の色は、もともと暗い、黒い色というイメージが強い。みのりの秋の色が黄金色なら、その次にくる収穫のあとの村の色は黒一色、つまり暗い土の色一色で覆われた。黒い土は、そのぬくもりの力で農作物の生命を育み、まきつけられた種子の発芽を促す。次には黒土の風景は緑色に変わる。黄金色一色の稲作のあとは冬の麦の緑色に染まる。年が明ける。麦の緑は次第に濃さを増していき、広い畑や水田の色合いは濃い緑色を強めていく。やがてくる五、六月の麦秋。野原は再び一面の黄金色に染め上げられる。麦畑は緑の中のヒバリの時期から刈り取りの季節を迎える。六月である。」
九州新幹線全通を目前に控える中、観光地が注目を集めています。その多くは農家の人々の苦楽の賜であることを再認識させられました。

■「千枚田、深田から周年農業に変容-阿蘇盆地農業の美しさ」より
 ふるさとはいつ来ても思い出の昔のままの姿をとどめているという予断は許されない。変わらないと言われてきた村ほど変化が激しい。阿蘇カルデラの内側に広がる阿蘇盆地約四千町歩の水田は、いま美しく区画整理された長方形の水田と、その間を一直線に走る農道と用排水路。直線で区切られた水田一枚一枚の区画にはコンクリート三方張りの用水路が張りめぐらされ、いつでも、必要な量のかんがい用水を取り入れることができるようになっている。かんがい用水が自由に使えることは自分で、計画的に農作物の種類を選び栽培できる条件ができたことを意味する。今から三十余年前まで夢のようなはなしであったことが、いま日常のくらしの中に現実のものとなって姿をあらわしてきたのである。・・・

■「ミカン、ブームの光と影」より
 そんな小天地方のミカン園は近隣の町村のなかでもその美しさが抜群に光って見えた。というのは階段状のミカン園は石垣を築いて開いているが、石垣築きの技術がどの農家も玄人はだしで、本職の石工にも負けないほどの高さを誇っていたということからも推しはかられる。古老たちの話である。いま、小天のミカン園内をあるいてみると、そのことを実感する。熊本県農村景観賞の第一回受賞の栄に輝いたのは小天の下有所地区である。・・・

■「吉次峠からの展望-ビニールハウスの台地は問う」より
 一年で最も寒い季節の一~二月、吉次峠から東方一望に広がる植木台地。台地全体が白一色になる。眼下は白銀、遙かな遠方とは雲と接して明るいグレーとなってかすむ。台地農業の盛況を示す姿である。
 この白や白銀、グレーを装う台地の冬の色はビニールハウス群である。吉次峠は標高二百三十八メートル。明治十(一八七七)年西南戦争-それはわが国最後の国内戦として歴史に知られる-で薩軍と政府軍の激しい攻防戦の舞台となった由緒の地。そこに立って見下ろす東方はるかな台地の色は、いまから百三十年前の一、二月にはどんな色であったか。おそらく麦の色がまだ萌える前の黒一色の畑台地が広がっていたに違いない。
 二十一世紀初頭のいま、吉次峠から見下ろす台地農村の色合いは、標高六百六十五メートルの金峰山頂から南方はるかに展開する熊本平野の色と共通している。また県南、宇城平野から八代平野の色も同じである。さらには熊本空港の南西方向、西方の平野-益城台地の色も同じ白銀である。
 ・・・浮気な消費者は目先を次から次に変えながら“欲望の海”、“新しがりや”の気心を満たしていった。別の言い方をすれば、そんな消費者が、新しい市場を拓いていったということである。
 ハウス農業はこうして農業、農村の色彩を外観、内容ともに変えた。冬の農村の色は、もともと暗い、黒い色というイメージが強い。みのりの秋の色が黄金色なら、その次にくる収穫のあとの村の色は黒一色、つまり暗い土の色一色で覆われた。黒い土は、そのぬくもりの力で農作物の生命を育み、まきつけられた種子の発芽を促す。次には黒土の風景は緑色に変わる。黄金色一色の稲作のあとは冬の麦の緑色に染まる。年が明ける。麦の緑は次第に濃さを増していき、広い畑や水田の色合いは濃い緑色を強めていく。やがてくる五、六月の麦秋。野原は再び一面の黄金色に染め上げられる。麦畑は緑の中のヒバリの時期から刈り取りの季節を迎える。六月である。
 これが農業、農村の昭和二十年代、三十年代までの一年間の変化の波のかたちであった。かつて、農業は、夏は稲、冬は麦の一年二毛作と決まっていた。水田地帯の農業は米と麦の二毛作で一年が成り立っていたといっていい。すべての年中行事は、この米作と麦作の作業に合わせて執り行われた。春まつり、夏まつり、秋まつりは種子まきと豊作の祈りから始まり、夏の手入れのあと収穫感謝のまつりと祈り。これらの季節に人々はお互い往き来をし、たしかめ合い、交流を深める酒盛りをし、神前に感謝と来る年の豊作を祈る。年中行事はこうして季節を追いながら規則正しく、人々のくらしに節目をつくりながら進行した。ダゴもモチもマンジュウも、他のすべての料理もこの祈りとくらしの季節のための供えであった。この季節とともに人々のくらしは節度正しく進行したのである。農耕は人々のくらしをかたちづくり、秩序正しく進行させる文化である。・・・
  


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2011年02月04日

金持ちへの道はトイレ掃除から始まる!桂川奈未

 佳川奈未『おもしろいほどお金を惹きよせる心の持ち方』PHP文庫(2011年1月26日第1版第1刷)。
 羽田空港の本屋さんで買った一冊。行きの福岡空港でも目にしていました。その時は「お金か!大事だけど」程度に無視していました。それが帰りの羽田空港でも、再び目に飛び込んできました。「やっぱ読めということか?天のお告げだな」と思い、飛行機で読むことにしました。
 200頁くらいの文庫本は、飛行機の中でほとんど読み終えることができます。そんなところがお気軽でいいと思います。誰も周りは知らない人ばかり。そんな秘密の匿名性の空間の中で、一人ほくそ笑んで読む楽しみがあります。もちろんブックカバーを付けて、ときどき目が合うキャビンアテンダントさえも、本の中身については知らないはず。
 毎日、毎日、お金が関係ない日はありません。そんなお金でありますが、一般的には「そんな!」という思いがあって、お金の知識を蓄えるような行動はいたしません。しかし、それもおかしいのであって、日々、お付き合いする相手だからこそ、大いに研究し大いによい関係を築いていくことが大事だと思う訳であります。
 うーん。面白い。“心の持ち方”のエッセンスは経営の本などに書いてあることとほぼ同じ。なぜ、そうする必要があるかという説明に、桂川さんは宇宙の法則という言葉を使っています。ここのところが人によっては神であったり、潜在意識であったりしますが、エッセンスは共通しています。つまり、人の法則、お金の法則は、どうも本当らしい。そう素直に読む人には、人もお金も、そして幸せも訪れてくるといのがこの本の言いたいことです。
 この本を読んだばかりで、福岡の事務所に帰って行動したこと。何と素直な!いやお金に縁のない人々は、これを単純という。まず、ドラッグイレブンに行って、トイレクイックルのレフィルを2セット購入。トイレの床、便器を掃除しました。同僚でトイレの蓋を開けっ放しにする輩がいますが、“金持ち喧嘩せず”。黙ってトイレの蓋を閉め、床をクイックルで拭きます。私が使った後は、いつも蓋がきれいにしまり床もきれいになっている。何度だらしなく蓋が開いていようと、またトイレを磨く機会を与えていただいたとの思いが自然とわき出てくる。
 1億円の0の数を知ってますか?この問いには驚きました。即刻、回答できませんでした。ということは1億円を持つ資格なしだそうです。それは困りますので、本の端に0を書いて憶えました。だから、今の私は資格ありです。いやもう一つ0がいるかな。会社レベルで考えたら、0はあと2つか3つ欲しい。
 佳川奈未さんは、ベストセラー作家みたいですね。2006年10月、『お金持ちになる女、なれない女の常識』を改題し、加筆・再編集したのが、この文庫本ということです。
 “女”だったら手にとらなかったかも知れません。それがタイトルを代えたので、私のようなオヤジまで釣られてしまったという次第です。
  


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2011年02月02日

ゴッホ展“ゴーギャンは女性だろうもん”

 日曜日に太宰府でやっている「ゴッホ展」に行ってきました。
 2月13日までの開催ですので、徐々に自分の周りでも行ってきた人が増えてきました。
 同僚から聞いた話ですが、ゴーギャンは女性という珍説です。

 中年の女性がこんなやりとりをしていたそうです。

 「ゴッホはゴーギャンと住んどったげな」
 「ゴッホがいっしょに住んどったんなら、ゴーギャンは女性だろうもん」


 何ともおおらかというか牧歌的というか。いいですね。

 私はと言えば、知識不足で阿修羅展のときのような衝撃はありませんでした。
 もうちょっと本とか図録とか見て行けばよかったと後悔しています。
 フォアプレイを十分して、とにかく観たいという内的欲求を高めていくと、たぶん何かを得てきたと思います。
 印象に残ったのは、『曇り空の下の積み藁』『アルルの寝室』です。
 どちらも黄色の色彩が好きです。『アルルの寝室』は私から見れば、シンプルでオシャレな部屋の絵ですが、実は日本の簡素な生活に憧れてゴッホが部屋づくりをしたということでした。この黄色っぽいベッドの上でゴッホは自分の耳を切って瀕死の重傷をおっているとも解説されていました。
   


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