2011年02月28日
数学と鋭い喜び!藤原正彦の管見妄語

何となく眺めていたら、藤原正彦の管見妄語というコラムに目が止まりました。この方のお名前はよく本屋さんで見かけますね。読んだことはありませんが・・・。
最近の政治のふがいなさを訴えている内容でしたが、そのたとえとして使われているところが、どうしても欲しくなりました。ここのところのコピーを下さいと店員さんに申し出たら、「あげますよ」と一言。あつかましいオヤジをしてしまいました。
以下の発見や解決の喜びにふれたところです。
数学とは長時間考えるという苦しみに耐える学問である。解けないという不安、焦燥、欲求不満、劣等感に耐える学問なのだ。その報酬として、解けた時の「鋭い喜び」がある。中学生から高校生の頃、図形の問題を考えに考えて、とうとう一本の補助線を発見し一気に解決した時の、何とも言えぬ喜びは多くの人の共有するところだろう。他のいかなる喜びとも違う、「鋭い喜び」だ。苦しい思考の末に「鋭い喜び」があるということを知るのが数学を学校で教える大きな理由の一つだ。この喜びを知らないと、一ヶ月のあいだ昼夜を通して考え抜く、などという苦痛に人間は耐えられない。自信を持って火の玉の如く考え続けることができない。
今日、日本は・・・
・・・・
・・・山本夏彦氏はかつて「三人寄れば文殊の智恵は嘘だ。バカが三人寄れば三倍バカになる」と喝破した。会議で画期的アイデアが出ることはまずない。特別の能力のある個人が何週間、何ヶ月も呻吟した末にようやく得られるものだ。会議はせいぜい、そのアイデアの思わぬ穴を埋めることしかできない。だからこそ数学者は会議により問題を解かないし、作家は会議により小説を書かないのだ。実際、会議は誰も責任をとらなくてよいためのシステムと化している。堂々たる国家戦略が出てこないのもむべなるかな。
高校の頃、数学が苦手でしたが、30歳を過ぎて好きになりました。高校の頃、数学に打ち込んでいたらと何度思ったことか。グループワークで同僚たちがいろいろ考えている時、冗談やイタズラをしたくなるのは、たぶん、高校の頃に訓練ができていないことが一因かと、つい思ってしまいました。
Posted by わくわくなひと at 15:50│Comments(2)
この記事へのコメント
バカが三人寄れば三倍バカになる…
叶姉妹が言ってました。「どうせおバカなら大バカのほうがかわいい」と。
三倍バカ=とてもかわいい ということでしょうか。
叶姉妹が言ってました。「どうせおバカなら大バカのほうがかわいい」と。
三倍バカ=とてもかわいい ということでしょうか。
Posted by 如意 at 2011年02月28日 20:01
如意 様
叶姉妹は何といっても、「金持ち喧嘩せず」ですね。
これ語呂いいし、仕事なんかでムカツきそうになった時、語呂もいいので心の中で愛用させていただいてます。
叶姉妹は何といっても、「金持ち喧嘩せず」ですね。
これ語呂いいし、仕事なんかでムカツきそうになった時、語呂もいいので心の中で愛用させていただいてます。
Posted by わくわくなひと
at 2011年02月28日 21:25
