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Posted by おてもやん at

2012年01月11日

変わる歴史の扱い。趣味・娯楽から人生観、歴史観形成の素材へ

 「現代史を読みたい」というニーズは、自分だけが抱いたものではなかった。たまたま学生の時、歴史を専攻していたから、特殊な思いと思っていた。

 8日付け日本経済新聞の「今を読み解く」に歴史学者の川北稔氏が、こう書いていた。
『震災と原発事故とが、日本人の人生観や歴史観に、微妙な影響を与え、漠然とした不安感が生じている。
 このような不安や疑念に応える学問は、歴史学をおいてほかにない。しかも、現代世界は一体化しており、環境問題にしろ、金融危機にしろ、世界全体がつねに一蓮托生である。
 とすれば、歴史学の緊急の課題は、こうした「一体としての世界」が、どのようにして成立し、成長したのかを見極め、それがどこへ向かっているのかを示唆することである。・・・』

 恩師・藤村道生は、日本近代史が東アジア世界の動きと連動して形成されてきたことを30年前の著書『日本現代史』山川出版に書いている。川北氏の文章を読み、やっと、このような認識が日本の大新聞にも掲載されるようになってきたことを嬉しく思う。

 9日付け日本経済新聞の「経済教室」では、東京大学教授の山内昌之氏が、こう書いていた。
『・・・首相ともなると、歴史的に長期の展望を持たないと、個別の選挙や目先の利益導入といった狭い視野によって目が曇ってしまう。
 胆力とは、何があっても動じない平常心や冷静沈着な豪胆さである。国家観や歴史観を持たなければ、日本の海洋権益や領土主権を踏みにじって恥じない国々に毅然とした態度をとりようもない。他方、必要な時には沈黙を守り無視する勇気も必要になる。』

 これを読んで、昔、「イギリスのインド大使は歴史学者」と聞いたことを思い出した。歴史的な長期展望の欠落。これは今の日本人に突きつけられた大きな課題だと思う。
  


Posted by わくわくなひと at 21:42Comments(0)

2012年01月11日

シェアハウス、シェアスペースの可能性

 日本経済新聞の連載「C世代駆ける」は、けっこう「ホゥ」と思って読むことが多い。
9日付け1面に掲載された「シェアハウス」の話も、その一つだ。
 『日本人、外国人、男性、女性。赤の他人が同居する「シェアハウス」が若者に人気だ。寝室は個室だが居間、トイレ、風呂は共同。・・・』と書いてある。ついに日本の都市部ではシェアハウスが普及し出したと驚いた。シェアハウス専門の不動産会社によると、どの物件もほぼ満室という。
 アパートをシェアして住むことは、30年前、アメリカの学生では当たり前のことだった。自分も月350ドル(円高の今なら35,000円だが、当時は80,000円台、中庭のスペース、プール、卓球台等も共有)の家賃が必要なアパートをシェアして暮らした経験がある。
 ここで暮らす効用は、何と言っても、コミュニケーションが極めて密になることだと思う。ウイークデイは、それぞれ別々の勉強や活動をしているが、週末や平日のオフの時間帯はいっしょに食事をしたり、話し込んだりすることが自然とできる関係になってしまう。いろんな人と普段着感覚で話す機会が多いことは、それだけ発想が柔軟になり、夢も広がりやすい。
 シェアハウスまではいかないが、自分の会社の事務所をシェアスペースとして開放している人がいる。福岡の薬院というところのマンションだが、異業種の人々が出会って何かを語っているうちに思ってもみなかったプロジェクトが動き出すことがある。それを今週の金曜日に経験してしまった。
 弊社の事務所は薬院の近くであり、ひょっとしたら、薬院、平尾、高宮エリアがアントレプレナーゾーンに育っていけば面白いと、つい妄想してしまった。
  


Posted by わくわくなひと at 20:21Comments(0)

2012年01月04日

「BRUTUS」 世の中変わるときに読む263冊は凄い

 大きな書店ではなく小さな書店に立ち寄った。目的意識も何もなく、何となく。
 そんな時にふと出会う雑誌や本もある。今月(23年12月)の「BRUTUS」もその一つ。
 まず表紙のスティーブ・ジョブズに目がいった。そして「2012年、世の中が変わるときに読む263冊」というタイトルにグッときた。
 「世の中が大きく変わっている」「どうなるのだろう?」。そんな思いを持つ人にヒットするタイトルだ。「BRUTUS」という雑誌と気づいたのは、おそらく二十ページくらい読んだ後。「BRUTUS」の活字自体は大きいが、さきほどの「世の中が・・・」が目立つように上書きされており、故意にしてあるのか目立たない。たまに「BRUTUS」を読んでいたのは、三〇年くらい前だろうか。
 中身、つまり263冊の内容がよかったというよりも凄かった。決してやっつけ仕事や、かっこつけた編集仕事ではなく、芯から考えた内容だと思った。出来上がるまで何ヵ月かけたのだろうか。
 少なくとも今月に関して“もう本は買うまい”と思っていたが、そういうわけにはいかなくなった。
 263冊のうち欲しくなった本は、以下の通り。◎は買わずにはおられない本。

■東浩紀『動物化するポストモダン』講談社現代新書、735円
・ポピュラーカルチャーを中心に現代の日本社会を考えるときの一つの道標として

◎■加藤典洋『さよなら、ゴジラたち』岩波書店、1,995円
・戦後という時間の呪縛から日本人がどうしていつまでも逃れなれないか・・・

◎■國分功一郎『暇と退屈の倫理学』朝日出版、1,890円
・何をしてもいいのに、何もすることがない。だから没頭したい、打ち込みたい・・・スピノザ研究を専門とする哲学者が語りかける「本当に大切なこと」。

◎■古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』講談社、1,890円
・ワールドカップで深夜、渋谷で騒ぐ若者たち。ネット右翼の主催するデモに集まる若者たち。そして震災後、ボランティアや募金に立ち上がる若者たち。26歳の社会学者が「幸せ」な若者の正体を徹底的に考える。

◎■山本七平『空気の研究』文春文庫、490円
・負け戦と知りつつ戦争に邁進した日本軍部の分析を通じて、近代日本に蔓延する「空気」という状況倫理を徹底研究。

◎■ちきりん『自分の頭で考えよう』ダイヤモンド社、1,470円
・混同しがちな「思考」と「知識」との違いを解説し、持っている「知識」を「思考」へとつなげるプロセスを、豊富な事例を交えながら紹介。

◎■苅谷剛彦『知的複眼思考法』講談社+α文庫、924円
・常識にとらわれた単眼思考では「自分の頭で考える」ことはできない。ものごとを多角的に捉え、考え抜くための具体的手法。

◎■ロアルド・ダール『あなたに似た人』ハヤカワ・ミステリ文庫、987円
・人間の浅ましさや内に潜む狂気をあぶり出す15篇。

◎■『こどもの発想。』アスペクト、1,050円
・小学生を対象にした『コロコロコミック』の人気投稿枠が書籍化。

◎川崎洋編『にんげんぴかぴか こどもの詩2』
・“オムツの中身が光ってきれい”と書いた小学1年生の詩「オムツの中」など136編を収録。「考え方のさびが落ちた」という選者の言葉に同意。
  


Posted by わくわくなひと at 18:07Comments(2)

2012年01月03日

趣味ではなく“世界観形成”の素材として「日本現代史」を読む

 昨年は、大震災や国境紛争、混迷する政治など厳しい現実を見せつけられた一年だった。そういった中、世の中の混乱に対して無力感をおぼえながらも、錯綜する目の前の仕事に埋没した一年だったと思う。
 数日だが、年末年始は本を読む機会に恵まれた。昨年の秋ごろから“歴史像再構成の課題”という唯物史観の学者が書いた本のタイトルが思い浮かぶようになっていた。それは日本人の歴史観や世界観が変化しつつあるとの思いからだが、恩師・藤村道生(故人)の労作、『世界現代史1 日本現代史』山川出版社(1981年9月21日1版1刷、絶版)を読みたくなっていた。
 「まえがき」に、「本書の執筆依頼をうけてから五年になる。」と書いてある。1981年の出版であるから、1976年のことだと思われる。私が恩師に出会ったのが1977年の4月、そして大学を去ったのが1981年のことである。大学の歴史学徒として「日本近代史概説」や「日本近代史特講?」を聴き、あるいは研究室で開催される大学院生を交えたゼミや酒場での議論を通じ、漠然と抱いていた日本近代史の唯物史観的な常識が恩師によって崩されていくプロセスと、この本の原稿が書かれていた時期が一致することになる。
 ちなみに恩師の講義は当時、好評を博していた。一年を締めくくる最終講義となると教室が満席となり、講義が終了するや否やスタンディングオベーションとなっていたことをつい先日のことのようにおぼえている。あの時の他の学生(いわゆる外資系大学の学生ではあるが・・・)の思いを今や知る術もないが、知的興奮を経験するか否かは、その後の人生に大きな影響を及ぼすと思う。何と自分は幸運で恵まれていたかと今更ながら思う次第である。
 この本が出版された1981年の秋は、社会人一年生であった。友人より本が出版されたことを聞き、即刻、購入したが、「まえがき」以外は読んでいなかった。30年間、封印していた本の扉を開く、そんな思いでおそるおそる読んでいった。
 内容は1890年の日清戦争前夜から1970年代までの通史となっている。高校の日本史の授業では、時間切れで割愛されることが多い時期である。日本近代に関する断片的な知識がつながっていく喜びを味わうとともに、今の世の中で流れている情報がいかに短期間の情報だけで構成されているかを思い知ることになった。
 この通史の視点は以下の通りである。歴史は趣味や受験のための道具だけでなく、人の生き方や世界観を養うための知識であることを、今さらながら思い知った次第である。

まえがき(一部抜粋)
 本書は、日本が東アジア国際政治の舞台に強国のひとつとして登場するとともに、アジア最初の立憲国家として議会政治をはじめた一八九〇年から今日までの九〇年間の通史である。
 すでに戦後三五年を経過したが、戦後史を戦前と一連の歴史過程としてえがき、日露戦争および満州事変に熱狂した国民と安保闘争に決起した民衆を、ともに視野にいれようとした通史はほとんど存在しなかった。戦前と戦後の連続性を認めることを前提とする歴史叙述は、日本ファシズムの戦前と主権在民の戦後という八・一五による断絶のみを強調する二元史観からは発想しがたく、ましてワシントン体制打破の熱狂と安保闘争におけるハガチー事件の興奮にナショナリズムの同質性を発見することは、タブーですらあった。
 本書は、それに成功したか否かは別として、二〇世紀初頭の日英同盟から今日の日米「同盟」にいたる歴史を、軍部と議会・政党の抗争を軸とする国内の政治的対立と、東アジア国政政治の相互関連からとらえ、そのなかで民衆があるときは侵略に動員され、別のときは平和運動にたちあがるさまを叙述しようとした。この過程は後進国であり、また小国であった日本が、近代化と自立という国民的課題を、福祉社会をめざす「軍備なき平和」と名誉価値優先の「力による平和」のヂレンマになやみながら達成しようと苦闘した歴史であった。それは見方をかえれば、日本が帝政ロシアの軍事力、中国の民族運動、アメリカの生産力につぎつぎと直面し、それをのりこえるために、強力な軍隊、徹底した義務教育、組織された産業のネットワークづくりに熱中し、それにゆきすぎて失速した過程であったといえるかも知れない。なぜ日本人はゆきすぎるか、そのためにいかなる代償をはらわねばならなかったか、これこそ日本現代史の明らかにすべき課題であろう。
  


Posted by わくわくなひと at 20:08Comments(0)