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Posted by おてもやん at

2010年05月30日

5月30日付け熊日新聞は読み応えがありました!

 5月30日付け。つまり、今日の熊本日日新聞は読むところがたくさんありました。
 日々の時間的な余裕、問題意識にもよりますが、「きょうは、いっちょん、面白かところはなかばい!」と思うこともあります。テレビ欄は、ほとんど毎日、こんな感じです。
 今日付けの西日本新聞、日本経済新聞も眺めました。3紙とも32ページ。今日の西日本新聞は切り抜くような記事はなし。日本経済新聞は、仕事上関係ある「高齢者の安否見守りお任せ 民間サービス多彩に」(7段の記事)を切り抜きました。
 熊日新聞はどうかというと、たまたま波長が合ったのか、32ページのうち10ページ程度は釘付けになりました。日曜版を充実させるという意図でしょうか?私が生きていく上で無視できない記事が次々と掲載されていました。
 具体的には、以下の通りです。個人的な備忘録にするため、長文になりました。

■1面「発進!2011九州新幹線(第5部) JRの戦略① ターミナルの開発」
・熊本駅の出口名をJR九州が決定したころから、JR九州がどのようなことを考えているか気になってきました。公共交通といえども企業であることから意思決定には市場原理が大きな影響を及ぼすことと思います。社会や地域に貢献することが企業の使命でもありますが、市場原理の中で熊本がどう位置づけられ、どのような駅周辺の開発が進んでいくのか。今日の記事で、「重点投資は博多、鹿児島へ」など、おおよそのJR九州の戦略イメージが見えてきたような気がしました。福岡と熊本の境界人の私が言うのも僭越ですが、JR九州や他の大手資本に対し、熊本をいかに魅力的に見せていくか。熊本側の動きや価値観を示す必要がありそうです。
※この記事と呼応するかのように、16と17面の見開きで熊本のリーダーの方々のインタビュー広告が掲載されています。ほとんどの人が九州新幹線に言及しています。

■6面「サンデー特報 「区バス」導入3年・・・見直し進む新潟市 利用低迷、不採算で路線半減」
・熊本市にとって人口減少・高齢社会の中での都市交通、公共交通の再構築は重要な課題と思います。福岡の天神、博多、小倉などと比べて、公共交通機関が感覚的に非常に使いにくいし、便利な乗り物は自動車しかないというのでは政令市としては困りものです。熊本市が政令市移行に合わせ、区役所へのアクセス改善策として「区バス」の導入を表明しており、熊日の記者が先進事例の新潟市の事情をレポートしています。5年、10年、20年先を見据えた総合的な交通政策と戦略が欲しいところです。熊日の記者の方々にも、こういった地域課題にどんどん入ってきてもらいたいと思います。熊本市あたりの計画策定委員会などにも最初から最後まで傍聴されると、いろんな地域課題のネタがあると思います。

■7面「くまにち論壇 熊本大学文学部の徳野貞雄教授 人口増加型モデルからの脱却」
・人口増加型発展モデルから人口減少型パラダイムへの転換をうったえています。これは熊本だけでなくどの地域も、そして企業も考えなければならない課題です。行政関係でも「人口減少社会の経営」についての具体的な議論がそうとう行われています。「では、どうするか。」について、徳野教授のご意見をもっと具体的に聞いてみたいと思いました。この文章を読んで、数ヶ月前にメーリングリスト仲間で「ぜったい面白い。一気に読んでしまった」など反響を呼んだ本をつん読していることを思い出しました。以下の本です。

・岡田知弘『地域づくりの経済学入門 地域内再投資力論』自治体研究社

■8面「文学への扉 5月 藤沢周」
・「なぜ、私はここにあるか。なぜ、自分は自分なのであろうかと。」「自己なる「謎」をさまざまな手法で巡る作品群が今月も光る。」として、紹介しています。本屋ででも見かけたら、買い置きしたいと思いますので、リストにしました。

・夢野久作『ドグラ・マグラ』・・・「すべての近代小説は探偵小説である」とした奇怪なる大長編
・東浩紀『フォンタム・ファミリーズ』新潮社、第23回三島由紀夫賞・・・「量子家族」という意で、核家族にすらならない家族をシミュレートして描く。
・浅川継太「朝が止まる」『群像』6月号、群像新人文学賞・・・主人公がある女性をストーキングしながら後方視覚を得てしまうという突拍子もない設定。つまり、自らの後ろが見えてしまうのである。追われる女の方も同じだとしら、自分自身も見られていることになる。見るとは何だ?ここにあるとは何だ?
・フランツ・カフカ『変身』・・・「謎」が「謎」のままという不条理の祖。「カフカを読むことは、見慣れた広い道を捨てて、まだ道がない見知らぬ森の中へと入っていくようなもの」(イ・スンウ)。
・イ・スンウ「ナイフ」『新潮』6月号・・・カフカに影響を受けた作品群を書き続けている作家による“父殺し”の短編。
・島田雅彦「死都東京」同・・・「都市」というテーマのもと、死後、「昭和」の時代にワープする。
・蘇童「香草営」同・・・勤める病院脇の貧民窟に逢い引きのための部屋を借りる医師と大家の男との何気ないやりとりの裏に、人なるものの「謎」が張りついていて、あいさつ程度のフレーズにさえ恐怖を覚えてしまう。
・広小路尚祈「塗っていこうぜ」『すばる』6月号・・・元ヤンキーの兄ちゃんたちが寂れた町のシャッターを茶色に塗っていく愚かさと悲哀が、文学の死角を突くチャールズ・ブコウスキーばりの筆致で読ませる。
・高沢秀次「百年後の大逆事件」『文学界』6月号・・・あの時代の血糊を乾かせず、現在の文学が引き継がねばならない必然を抉りだして秀逸。

■8面「葭の渚 石牟礼道子 第2部⑭」
・石牟礼さんの自然、子供心、自然と一体となった昔の人の思いを、やまとことばで綴っていく文章には驚くばかりです。「ただの茨だと思っていた蔓草が、木いちごの蔓にかわっていて、それを引っ張ると、山の地肌の深いにおいがして、真っ赤に熟れた山いちごが行く先々の草の陰に光っていた。」。自然の描写もさることながら、“山の地肌の深いにおいがして”の一文で私の嗅覚が刺激され、子どもの頃、里山で遊んでいたころの記憶が蘇りました。「禁断の道をゆくのに似て、」「お供え物に手を出したような気分」「神域を護る草の兵隊の大軍」「かみなりさま方の大会議」・・・。自然にも魂の存在を思う日本人ならではの文章を楽しませてもらいました。

■9面「本を歩く 髙山文彦 長期の記録と執筆 かくも強靱な意志」
・今年の大宅壮一ノンフィクション賞である、上原善宏『日本の路地を旅する』(文藝春秋)と川口有美子『逝かない身体』(医学書院)の書評。「上原氏は10年、川口氏は12年、ものすごい時間と労力と金銭を費やしている。ここに慢心と怠惰など、つけいる隙がない。ノンフィクション作品を仕上げるまでには、かくも持続する強靱な意志力が必要なのだ。ネットで買い物をするようになった人間は、手間暇を惜しむ。結論をすぐに欲しがるのだ。でもこの著者ふたりは、結論を求めて書き出したのではない。結論は見事に放棄されている。そして見事な森が生まれている。」。

■9面「読んでくれますか? えのきど いちろう 他人の人生に目を向ける」
・「ずーっと自分だけ、自分の苦しさだけを見つめる時間はしんどいですよ。僕はそんなとき、最高の休息は「他人の人生」を見つめることだと思っている。・・・それは実は小説を読むことなんですね。」
・米原万里『オリガ・モリゾウナの反語法』集英社

■10面「北川フラムが読む 外資が買いあさる地下水資源」
・本の書評だと思って読み進むうちに、「これは熊本の地域社会にとって大事件」が書かれていることに気づきました。平野秀樹・安田喜憲『奪われる日本の森 外資が水資源を狙っている』新潮社の書評です。元林野庁の企画マンと環境考古学の研究者の共著ですが、「2020年に人類の3分の2にとって水不足が深刻になる。その為に日本の周辺の国々を中心として日本列島の豊かな水資源に目をつけ、その水資源が狙われだしたのだ。」と書いてありました。日本列島といってもどこかよその話と思っていたら、「熊本も売買が全国で五指に入り、阿蘇久重が要注意とのこと。熊本市は地下水に100%依存する人口では最大の自治体だ。」。そう言われてみれば、一年くらい前に福岡で世界的な水道会社の人と会ったことがあります。ちょっとただごとではないと思いますが、いかがでしょうか。これは書評ではなく、地域社会のために熊日さんに頑張って取材してもらい報道していただきたいと思います。行政の環境関係の審議会でも重要事項ではないでしょうか。

■10面「ちっちゃいけど、世界一誇りにしたい会社 坂本光司著」
・この一月余り気になっていた本です。自分たちの会社が目指すべきヒントが書いてありそうな感じです。「人を助け、幸せにし、人に喜ばれる仕事をしている」企業。「本書は、そうした尊敬される8企業を取り上げて、それらの企業がなぜ評価されるのか。そこにはどんな企業の物語があるのかを分かりやすく紹介している。それらを読むと、人間の“心に響く経営”とはこのことかと、目からうろこが落ちるように気付かされる。」そうです。
ダイヤモンド社、1,500円。総務部長さん。やっぱ会社や社員のために、こうちゃり!
  


Posted by わくわくなひと at 19:18Comments(2)

2010年05月29日

『新聞が消える』。すると地域社会も崩壊します!

 アレックス・S・ジョーンズ『新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか』朝日新聞出版(2010年4月30日第1刷)。Losing the News:The Future of the News That Feeds Democracy(Oxford University Press,2009)の全訳です。
 日本版の帯にはテレビでよく見かける鳥越俊太郎さんの写真と、「リーマンショックからわずか1年半で全米で150紙が消滅!35%の記者が失業!」「新聞人としてあまりにショッキングな現実がここにある(鳥越)」と書いてありました。
 私もかつて新聞業界と関係のある会社にいましたので、つい夢中になって読んでみました。その当時を思い出し、読み進むうちに、これは遠いアメリカだけの話ではないと思いました。特に、在職中からマーケティングリサーチャーとして、近い将来に思いをはせることが多かっただけに、リーマンショックはあくまできっかけであり、それよりもネット社会の構造的な変化が急速に進んでいることを実感していました。その近未来が現実のことになり、すごいことになったと。
 ただ、この本には新聞社が抱える深刻な問題だけが書いてあったわけではありません。生き残りのヒントも書いてありました。
 それは私なりの解釈で言うと、新聞社が長年培ってきた強み、つまり先輩たちから厳しく受け継がれてきた取材ノウハウとプロとしての書き手としての人材、他のメディアを寄せ付けない取材網、書かれた記事を何回もチェックしていく編集体制、“不偏不党”など行動指針としての編集方針や社是を大事にすべきだということです。
 新聞閲読率調査の結果などでは、1面を読む人はほとんどいない。新聞の最終ページにあるテレビ面から読み始め、社会面、スポーツ面をちらほら見て、社会の大きな動きが書いてある経済面や政治面はほとんど読まない。そんな人が年々増えているし、新聞を購読しない人も増えています。しかし、読む人が少なかろうが社会にとって大事なことが書いてある記事があるからこそ、新聞社への信頼はあついし、住民にとっては新聞社が社会の動きをチェックしていてくれるという安心感が生まれるものだと思います。
 この本には、“鉄心のニュース”という聞き慣れない言葉がたくさん出てきます。これは、『政府をはじめとした権力に説明責任を課すことを目的としているという意味で「説明責任ニュース」とも呼ばれる日々のニュースの集合体』と著者は説明しています。新聞社の崩壊で説明責任ニュースがなくなれば、民主主義は機能不全に陥ることになると、警告しています。
 「ニュースはネットで見るから新聞なんていらない。」「文字は150字以内でないと人は読まない。」そんな声を聞くことがあります。しかし、ネットで流れている社会の根幹に関わる情報の発信源の多くは、新聞社です。新聞社がなかったら広範な取材網もなくなりますので、芸能記事や商品記事、スポーツ記事だけになってしまいます。しかも、民主主義を守っていくために必要な、“目撃証言としてニュース”“なぜの疑問に答える追跡調査”“複雑な内容をきちんと把握するための説明のジャーナリズム”“調査報道”などは150字で収めることはできません。
 新聞がなくなると、社会やまちをつくっていくための確かな情報は得られなくなります。それよりももっと怖いのは、「大衆は確かで高品質の情報は求めていない」ということで、一部の人しか確かで高品質の情報は仕入れることしかできないという世の中になることです。知らないうちにゆでガエルかも知れません。
 「あなたのニーズに応える、読みやすい暮らしに密着したお得な情報をお届けします」。こんな情報だけで大丈夫ですか?ネットやツイッターさえあれば、あなたの未来は大丈夫でしょうか?マーケティング・リサーチャーとして一言申せば、ニーズに応えるとは人の表面的な発言にそのまま答えることだけではありません。本当に、この人たちが求めているものが何であるか探索し想像するなどして、商品やサービスを目にした人たちが「あ!気づいてなかったけど、これを求めていた」と言わせるものなんです。
 最近、新聞社の決算発表の記事が新聞に載っています。一部の新聞は、構造改革や経費節減により、赤字から黒字に転換したようで、何よりです。これは社会にとって非常に大事なことで、新聞社の経営基盤が弱くなると、訴訟費用や大手広告主のことを気にして、確かで高品質な情報が我々大衆に届かなくなる可能性が高くなるからです。
 我々一般企業も含めて経営は、くれぐれも経費削減や売上が第一目標ではなく、社会貢献が第一だと思います。私も先輩経営者の方々から、売上や利益はその経営体がいかに社会から必要とされるものを提供したかという結果であって、世の中のお役に立つというのが建前ではなく本音であらねばならないと、くどいように言われ続けています。
  


Posted by わくわくなひと at 15:25Comments(0)

2010年05月27日

「梅澤伸嘉・出版記念講演会」無事終了!

 今日、27日、アクロス福岡で、梅澤伸嘉・出版記念講演会「ヒット商品を生む!消費者心理のしくみ」を開催しました。
 梅澤先生は20冊以上の本を出版されていますが、近年は毎年1冊は上梓されています。ここ5から6年くらいは、毎年、弟子筋の居住する地域で開催されてきており、東京と京都では毎年のように出版記念講演会及び交流会が開催されています。
 今回のような出版記念講演は、九州では初めて。梅澤先生の弟子筋の方々はメーカーの方が多く、九州の有名メーカーさんたちも来られましたが、さまざまな分野のコンサルタントの方々も多くお見えになりました。
 最初はどのくらい人に来ていただくか心配しておりましたが、会場が狭かったせいか満員御礼でした。40名来場で20冊本を用意していましたが15冊の本が売れました。
 「消費者心理のしくみ」は日本だけでなく韓国、中国、台湾、インドなどのメーカーさんに広く知られるようになった梅澤理論をビジュアルに分かりやすく解説した本です。メーカーや商品開発分野以外の方でも、消費者ニーズをどのように活用したらヒット商品ができるか、消費者ニーズとはそもそもどのようなものかなどが、目から鱗のように分かる内容です。
 今日の講演会では、そのような理論はさておき、先生がこれまで出してこられたヒット商品がどうやって出来上がったかを中心に話されました。トニックシャンプー、カラクリン、スキンガード、カンターチ、ジャバ、カビキラー、テンプル、禁煙パイポなど、みなさんご存じのヒット商品ばかりです。私は知りませんでしたが、今、話題になっているJTさんの無煙たばこの開発にも携わっておられたんですね。この無煙たばこの開発プロセスを説明してもらいたいという会場の声がありましたが、さすがに今、関東限定で発売されたばかりの商品ですのでノーコメントでした。
 後半は私が今開発を進めている「AHAゲーム」試作品の体験会を行いました。このゲームも梅澤先生が1974年に発想された独創力訓練ツールであり、実は大手メーカーの商品開発担当の方々には広く知られているツールです。
 近いうちに少量ですが限定発売する予定です。


  


Posted by わくわくなひと at 20:13Comments(0)

2010年05月26日

富合の九州新幹線の基地はすごそう!

 久しぶりに熊本市より南に行ってきました。
 熊本市内もふだんは白山通り周辺や中心市街地しか行きません。
 今日は国道3号を南下し、宇城市に行きました。
 その途中で目にした九州新幹線の基地はすごそうですね。
 少し“鉄ちゃん”が入っている私は、新幹線の整備工場らしき大きな建物と
 線路と架線が幾重にも張り巡らされた光景を見てわくわくしました。
 ここに「つばめ」や「さくら」が何編成も並ぶことになるのでしょう。
 鉄道ファンにとっては、すごい光景です。
 それも国道3号から眺めることができると思うと、すごいですね。
 そんな日まで一年もありません。  


Posted by わくわくなひと at 01:24Comments(0)

2010年05月24日

博多→飯塚→直方→折尾→小倉→博多がnimoca1枚で

 この一つ前のブログで福岡県北部を周遊したことを書きました。
 そこで威力を発揮したのが西鉄のnimocaです。
 西鉄は一度も利用していません。
 朝、最寄りの赤坂駅から博多まで地下鉄を利用。博多駅から飯塚経由門司港行き(JR福北ゆたか線)の快速に乗り直方へ。直方から若松行きのJR各停に乗り折尾駅着。折尾から小倉まではJR鹿児島本線の快速を利用。小倉から博多までJR鹿児島本線の準快速。博多から赤坂まで地下鉄。
 以上、すべてがnimoca一枚で済み、切符を買ったり、「直方までなんぼかかる?」など煩わしさを一切感じないですみました。
 ただ、一つだけ落とし穴がありました。私のnimocaはオートチャージなので残高を気にする必要がありません。福岡市営地下鉄やJR九州の各駅でもオートチャージしてくれると勝手に思っていましたが、そうではありませんでした。「ICカードは便利だ。しかも、ワシのはオートチャージだから、もっと便利」と思ってた矢先、最後の博多駅の改札口でドアがバタンと閉まって捕まってしまいました。
 小倉~博多間は1250円。最初、3000円くらいあったはずのnimocaの残高がすりきれていたわけです。それで博多駅の精算機で1,000円をチャージ。無事、赤坂駅にたどり着くことができました。
 昨日、西鉄天神駅の隣の薬院駅に用事がありましたので、nimocaを使いました。後、数十円しか残高がありませんでしたが、オートチャージで3,000円が補給されました。
 nimocaで他社を利用する時は、あらかじめ5,000円くらいチャージしていく必要がありますね。Suicaの領地である東京に行く前は、オートチャージといえども、こういった準備が必要なんですね。
 それと、もう一つ。土曜日の旅の最後、小倉~博多間は準快速を利用しました。1,250円で約1時間近くかかったような気がします。ところが土日の小倉~博多間は新幹線が往復切符を買うと、片道1,500円ですむそうです。時間は30分もかからないので、次回からは新幹線を利用したいと思います。  


Posted by わくわくなひと at 10:32Comments(0)

2010年05月22日

旦過市場のぬかみそ炊き!いけますよ。

いやー、今日は福岡県北部を周遊しました。
直方で知り合いの社長の父君の葬儀がありました。
博多駅から福北ゆたか線で直方に行きました。
葬儀の後に直方駅前の定食屋さんで昼食をとりました。
その店では筑豊弁をたくさん聞き、「これが福岡ばい!」と思いました。
その後、よくよく考えれば私の母の里である小倉南区は一山越えたところですので、
筑豊線を折尾まで北上。折尾で鹿児島線の快速に乗り換えて小倉駅に向かいました。
私の母のふるさとは、小倉駅からモノレールで徳力嵐山入り口まで行き、そこからさらに南に5キロほど行ったところです。徳力嵐山入口まで行き、「あそこが母の里のある山本だ!」と目視した後、再びモノレールに乗って旦過に行きました。
 モノレールの駅を降りると、すぐ旦過市場です。京都の錦小路?に似ている昭和のアーケード街です。うまそうなものがいっぱい売ってます。ここで名物のぬかみそ炊きを買いました。旦過市場を過ぎると魚町のアーケード街です。この街を抜け小倉駅に着きました。
 小倉の町は九州にどっぷり浸かっている者から見ると、本州の匂いを感じます。それが何なのか分かりません。人の雰囲気、言葉、店の様子。本当、本州を感じてしまいます。
 このことは博多駅に帰ってきてから、改めて実感しました。福岡市内の方が九州の匂いが強いですね。何でしょうか。純然たる近代日本ではなく、アジアの香りが福岡でするでしょうか。
 よく分かりませんが、直方は昭和の九州の香りがしました。小倉は独特の香りがしました。福岡市内もです。  


Posted by わくわくなひと at 22:28Comments(0)

2010年05月19日

日々ドラッカーは役立ってます!

 経営者の私も含めてわずか8人の会社ですが、組織としての意思統一、組織文化の大事さをひしひしと感じています。
 4月以来、社員と話し合い事業計画への落とし込みを続けてきましたが、そんな時、ドラッカーの語録があると意を強くすることができます。
 福岡のドラッカリアンの方から毎日メールで今日のドラッカーを送ってもらってます。
 昨日、今日と、我々がこの一月余り話し合ってきたこと、そのものの内容でしたので、いささか感動しました。
 以下は、その内容です。

■本日の「デイリー・ドラッカー」は、「マーケティングの心得」です。

マーケティングは、顧客を知ることから始まります。そもそもわが社の顧客は
誰か、どこで何を買っているのかを問う必要があります。そして顧客の価値と
なっていることは何か、顧客の満足をもたらすためにわが社が果たすべき役
割は何かを知る必要があります。

そのためには顧客となるべき人たちが顧客となっていないのはなぜか、ター
ゲットである顧客の購買動向、わが社の製品サービスの顧客にとっての購買
価値や効用などの分析をとおして、顧客の現実を理解することが必要です。

顧客が結局のところ合理的であることを理解することは、マーケティングの第
一歩です。

※「合理的」については議論が分かれるところです。「理にかなった行動をする」「企業側の行動が結果として顧客の行動になるなど因果関係的な意味」でしょうか・・・筆者(註)

このことをドラッカー博士は、次のように述べています。

「心得るべきマーケティング上の教えが四つある。第一のしかも最も重要な心
得は、顧客を買収するなかれである」

「第二の心得が、製品を定義せよである」

「第三の心得が、マーケティングは、自社の顧客だけでなく、市場におけるあら
ゆる顧客について行えである」

「第四の心得が、人口構造の変化をマーケティングの機会にせよである」


■本日の「デイリー・ドラッカー」は、「販売よりもマーケティング」です。

私たちは一般的にマーケティングというとき、販売関係の職能を組織だって
遂行することを意味しています。

このようなマーケティングは、わが社の製品サービスの品質と効用の高さを
いかにアピールするか、わが社の製品サービスの市場はどこにあるのかと
いった、わが社の製品サービスから出発します。これでは「販売」でしかあり
ません。

マーケティングを本当に理解するならば、マーケティングとはその組織が何
をもって社会に貢献しようとしているのかを最も端的に表現しようとする活動
であることがわかります。

すなわちマーケティングとは、「顧客が買いたいと思うのは何か」、「これこそ
顧客が探し求め必要としているものである」ということを、組織が理解しその
ことに貢献するための活動であることを知る必要があります。これこそが組
織の存在意義を明確にするからです。

このことをドラッカー博士は、次のように述べています。
「ドラッカー365の金言」171頁 7月26日「販売よりもマーケティング」からの
引用です。

「マーケティングの重要性が繰り返し説かれているにもかかわらず、あまりに
多くの企業でマーケティングが行われていない」

「マーケティングの理想は販売を不要にすることである。マーケティングが目
指すものは、顧客を理解し、顧客に製品とサービスを合わせ、おのずから売
れるようにすることである」
  


Posted by わくわくなひと at 18:08Comments(1)

2010年05月18日

88%の女性が「また使いたい」と答えた謎のシャンプー

 先週土曜日のことです。福岡・天神周辺で新商品らしきもののサンプリングが行われていました。
 天神周辺でのサンプリングはしょっちゅう行われていますので、別に珍しいことではありません。配る対象は女性のみ。ただ、『88%の女性が「また使いたい」と答えた謎のシャンプー』というキャッチや、大きく「?」をデザインしたパッケージが目をひきました。
 「謎のシャンプーの正体は5月下旬発売で明らかに!」。ネットで「謎のシャンプー」を検索し(応募すると)、「抽選で5000名様に最高10万円相当のプレゼントが当たる!」。
 パッケージ自体もいい香りです。だれが仕掛けているかというと、プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパンさんでした。
 「髪の深部のケア」「キューティクルのケア」「髪の保護膜の構築」のトリプルレイアーケアができるので、80%以上の人が「枝毛・切れ毛がおきにくい」「手先までしっとり」「まとまる」「さらさら」「手触りがなめらか」「シャンプーの泡立ちがよい」と評価など、「また使いたい」と回答した理由が説明してあります。
 私は一応男性なので関係ありませんが、少し遊び心が感じられるセールスプロモーションは街の刺激になりますね。
  


Posted by わくわくなひと at 18:08Comments(0)

2010年05月17日

昭和の原風景が蘇る「信さん 炭坑町のセレナーデ」

 土曜日、キャナルシティで観た映画です。
 昭和38年の福岡の炭坑町での話を映画化した作品です。
 どこででも観られる映画ではなく、地元福岡県でもキャナルのほかはもう一箇所しか上映していませんでした。
 たぶん40代以上の福岡ゆかりの人にとっては、原風景とも言える場面がたくさん出てきました。西日本新聞ではなく、これは意外ですが熊日新聞に、井上陽水が炭住の暮らしを原風景のように書いていました。私も叔父がかつて嘉穂の炭坑で働いていましたので、炭住やそこでの暮らし、子どもの遊び、ボタ山などを覚えています。福岡ゆかりの人は自分が炭住に住んでいなくとも、親戚の一人くらいは関わっていたのでは思うほどです。
昭和30年代の繁栄と30年代末から40年代にかけての衰退。子どもにとって、怖いと思うほどの人のエネルギーを感じながらも、どこか惹かれる活気がありました。そして閉山となり、人々が立ち去った後のペンペン草が生えた炭住とボタ山。そんな風景を見る時は、目に映っている様子だけでなく、必ず昔の思い出が蘇ってきて二重映しになってしまう自分がいます。
 この映画を一言で言えば、「昭和の炭坑町を舞台にそこで暮らす人々の息遣いや力強さを感じさせる作品」(北橋健治北九州市長)、「忘れていた何かを思い出す、観終わって少しだけ強くなれる、この作品には、そんな温かい人生への鍵があるような気がします」(小雪)です。
 映画に出てくる子どもたちは、私よりも5歳くらい上の人たちですが、かつての子ども時代の自分をたくさん見つけ出すことができました。そして、この映画の主役とも言える“信さん”のように貧しくいたずら小僧だけど面倒見のよい少年、自分にとっては“カズオさん”がいました。
 キャナルの席の6割くらいが埋まっていたでしょうか。最初から最後まで福岡弁の映画です。“せぇからしかぁ”“ばかちんがぁ”という、なつかしい言葉に、思わず苦笑するかつてのガキ大将たちがたくさんいました。
 駄菓子屋のおばさん役の中尾ミエの福岡弁の流ちょうさは、さすが地元出身!同じく福岡出身の光石研が、子どもの信さんを怒るときの台詞は迫力がありました。
 ふるさとと言えば農漁村が定番ですが、炭坑で基礎が築かれてきた福岡では、炭坑もふるさとのような気がします。
 写真は映画の撮影が行われた荒尾市と大牟田市の境にある万田坑の竪坑です。
 原作は辻内智貴の『信さん』。1956年、福岡県生まれの作家です。監督も1950年、福岡県生まれの平山秀幸です。リアルな炭坑町を知っている最後の世代ですね。
 辻内さんのことは知りませんでしたが、今度、本屋さんに行ったら、たぶんいくつか買うことになるでしょう。不器用ながら温かい人物が登場する世界が人気を呼んでいるということです。
・「信さん」(小学館)
・「セイジ」第15回太宰治賞最終候補作(1999年発表)
・「多輝子ちゃん」第16回太宰治賞(2000年)
・「青空のルーレット」(筑摩書房)
・「ラストシネマ」(光文社)
・「帰郷」(筑摩書房)
・「野の風」(小学館)

  


Posted by わくわくなひと at 20:05Comments(0)

2010年05月15日

おしゃれな中高年もけっこう見かける福岡パルコ

 立地のよいところにオープンしたんでしょうね。
 福岡パルコの店の中には、もう10回くらい入りました。
 いろんな用事があるときも、何となく目的地の途中にあるので、
 店の中に入って、つい商品を手にとったりします。
 昨日も今日も行きました。
 パルコというと、若者しか行かないイメージを持っています。
 熊本パルコにも、そんなイメージがあるので、この2年くらいは素通りしたこともありません。
 でも、福岡パルコでは、けっこう中高年を見かけます。子ども連れは少ないような感じです。
 中高年と言っても、いかにも、おじさん、おばさんという感じではない。
 多少、裕福な感じでおしゃれな中高年です。
 福岡パルコは渡辺通りと明治通りの交差点にあります。
 渡辺通りを挟んで斜め向いに天神コアをいうファッションビルがあります。
 若者向けのビルです。ここと福岡パルコとどう違うのでしょうか。
 パルコには、おしゃれでクールな商品がずらりと並んでいます。
 私が、「これ欲しいな」と思う商品がけっこうあります。
 天神コアには、たぶん、そんな商品はありませんし、ビートの効いた音楽がズンズン響いています。
 おじさんやおばさんを寄せ付けないエネルギーで満ちています。
 少子高齢社会に向けたパルコの実験店舗なんでしょうね。
 今日、土曜日の福岡パルコは、開店時ほどではありませんが、
 1階から2階に上がるエスカレーターは数珠つなぎのようになっています。
 そのエスカレーターの列に、中高年の人がぽつぽつと混じっています。
 パルコの実験は今のところうまくいっているようです。
 パルコ、ソラリア、三越など天神の渡辺通りの西側がビルが、地下、地上、階上でつなぐルートができたのも便利ですね。  


Posted by わくわくなひと at 16:48Comments(2)

2010年05月13日

福岡市、熊本市、鹿児島市連携に北九州市は入れるか?

 九州新幹線が開通することを見越して、福岡市、熊本市、鹿児島市が連携しました。
 たぶん3つの市が連携して西九州の縦軸を盛り上げていくための取組みをするという意味でしょう。
 お互いの広報誌に連携市の話題や情報を載せたり、3市共同で何かやっているようです。

 以下は福岡での知り合いとの話題です。
 「この連携に北九州市も仲間に入れてもらいたいと申し出をしたが、今のところ実現していない。
 それで、北九州が怒って下関市あたりに連携しようと動いている。
 だって北九州市の小倉駅はJR西日本の管轄。福岡~熊本~鹿児島はJR九州のエリア。そんなことが関係して北九州の仲間入りはできない」

 そんな話があることも知らないし、それがJR各社の管轄が影響している。びっくりしました!

 実は私の血の50%は北九州の小倉。残り25%は玉名。そのまた残りの25%は葦北なんです。
 今の生活に北九州はほとんど関係ありませんが、血というものは何というか、気になるのです。
 「北九州が何で入れんのやろう?」と、つい思ってしまいます。
 福岡・大名にいると、テレビや新聞で北九州の情報はたくさん入ってきます。しかし、熊本にいる時はほとんど入ってきません。入ってくる時は全国的な凶悪事件などマイナス情報が圧倒的に多いような気がします。
 北九州市の人口は100万近くですよ。98万か99万人。145万の福岡市、73万の熊本市、65万の鹿児島市。これに北九州市が加われば、九州のリード役的な役割が果たせると思います。
 個人的には北九州市が望むなら、仲間に入れてよ。と思いますが、みなさん関心はないか?  


Posted by わくわくなひと at 22:46Comments(1)

2010年05月12日

30日!白山マックが先着100名にタオルをプレゼント

 最近のマクドナルドは動きがあります。いつも何か仕掛けてきますね。
今度は、5月30日(日)12時から13時の1時間に限定。ドライブスルーで来店した人、先着100名に「マクドナルドオリジナルスポーツタオル」をプレゼントするそうです。
 今日、ドライブスルーを使ったら、A5判のハンドチラシをレシートといっしょにもらいました。しかも、このチラシによると「白山通り店」限定イベントです。いかにもお店の人がワードで手作りしたような感じ。経費もかけずに地域社会の人間味のあるお店であることをアピールすることが狙いかも知れない。
 そうでなくても、日曜日のマックは混み合ってそう。さて、どのような状況が出現するやら。
  

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2010年05月12日

「わかる」とはどういうことか-認識の脳科学

 山鳥重『「わかる」とはどういうことか-認識の脳科学』ちくま新書(2002年4月20日第1刷、2007年3月25日第10刷)。
 実は一年以上前に読んだ本である。それから、この本の内容をまとめておきたいと思い、一部分メモをとったりしていたが、なかなかまとめることができなかった。
 しかし、ここでこの本と一区切りを付けておく必要がある。なぜなら、これから今野雅方『深く「読む」技術』を読み始めるからである。新たに「わかる」「わかりやすい」を探求する私の旅の支度のようなものである。
 「わかる」とは、どういうことなんだろう?ずいぶん昔から、このことが頭をよぎってきた。今でも、そのことを思わされる機会が案外と多い。
 例えば、ドラッカーの読書会。さまざまな人が同じ本の同じ箇所を読んで、読んだ感想を語る会である。参加するたびに、「そんなとらえ方があるんだ」「そんな視点でも読めるのか」と思ってしまう。同じところを読んでも伝わり方や感じ方が違う。だから、「わかる」っていうのは、どういうことなんだろうという思いに至る。
 セミナーなども同じ。同じ講師から同じ内容の話を聞く。そして、「この人。本当にセミナーで話を聞いていたのだろうか?」と思うことがある。逆に、「このことは講師が口を酸っぱくして言ってたじゃないですか」と同僚に叱られることもある。
 一口に「わかる」「わかった」というが、その内容は相当違うのである。

さて、この本の内容を一口で言うと、『われわれは、どんなときに「あ、わかった」「わけがわからない」「腑に落ちた!」などと感じるのだろうか。また「わかった」途端に快感が生じたりする。そのとき、脳ではなにが起こっているのか-脳の高次機能障害の臨床医である著者が、自身の経験(心像・知識・記憶)を総動員して、ヒトの認知のメカニズムを、きわめて平明に解き明かす刺激的な試み。』と書いてある。
『考えるというプロセスがなんらかの形で終結すると、わかった・わからないという比較的はっきりした心の変化を感じることが出来ます。わかる・わからないという感情が湧くのです。』。つまり、意識的、無意識的に考えていて、その作業が終わった時の感情の一つが「わかる」「わからない」ということらしい。
いろいろ面白いこと、驚くこと、発見がいっぱい書いてある本ですが、以下のことを書き残しておくだけでも、私の「わかる」への旅はもっと面白くなっていくと思います。

■「わかる」にもいろいろある
・全体像が「わかる」、整理すると「わかる」、筋が通ると「わかる」、空間関係が「わかる」、仕組みが「わかる」、規則に合えば「わかる」
・こんなに「わかる」がありますが、「この人は物語にしないとわからない」「この人は何でも規則に照らし合わせて考えている」など、どうも人によって「わかる」の好みがありそうな感じがしています。
■どんな時に「わかった」と思うのか
・直感的に「わかる」、まとまることで「わかる」、ルールを発見することで「わかる」、置き換えることで「わかる」
・これも人によって、よく直感を使ってそうな人、例え話を言わないとわからない人など、人によってクセがありそうですね。
■「わかる」ためにはなにが必要か
・「わからない」ことに気づく・・・これが「わかる」ための第一歩です。
・本当に「わかった」かどうかを確かめるには、行為(話す、文を書く、図や絵を描く)に移せるか、応用できるかを自分に問うてみる
  

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2010年05月11日

ドラッカー無料ガイドブックを書店でゲット!

 先日、福ビルの丸善に行った時、レジの前に「ドラッカー生誕100周年記念 無料ガイドブック」が置いてありました。
 B6判?8頁のペラペラしたチラシですが、「なんで、今ドラッカーなの?」と思っている人には格好のガイドチラシだと思いました。
 どこの本屋さんにも置いてあると思いますので、今なら手に入れることができるでしょう。
 表紙で「今、ドラッカー」である訳が解説してあります。
注目が集まっているのは『不況期の今こそ、「経営の神様」の知恵を活かして乗り切ろう、ということのようです』と書いてありました。表面的にはそうかも知れませんが、私は今ひとつ納得できません。それよりも、岩崎夏美さんが福岡での講演会で言われていた「行き過ぎた個人主義による閉塞感の中で人々が拠り所を求め始めている」という説が何となく「そうだな!」を思ってしまいます。ドラッカーが書いていることは経営の即効薬ではなく、日々の実践できる姿勢や哲学のことだと、今の私は思っています。
まあ、それはともかくとして、この小冊子にはドラッカーのミニ知識がたくさん書いてあります。

■ビジネスで「使っている」考え方は、ドラッカーが生みの親!?
・「マネジメント」「時間管理」「生産性」「戦略」「自己実現」「イノベーション」などはドラッカーが作った言葉ということです。
・「ともすれば机上の空論で終わりがちな概念を、個々人が使えるレベルにまで落とし込んで教えてくれる」ことが、今もなお読み継がれる大きな理由ということです。
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※確かに、ドラッカーの言葉が使えなかったら、ビジネスのコミュニケーションができませんね。

■あの人もこの人もドラッカーから学んだ!?
・「ユニクロ」の柳井正氏、「ほぼ日」の糸井重里氏のどちらもドラッカーの熱烈なファンだそうです。もちろん岩崎夏美氏も。人前で言うほどではないけど、そんな人はきっと周りにいると思います。
・「小難しい表現がない」「複雑な問題でも、驚くほどシンプルに物事の本質を描き出している」「すぐに実践に移せる」のが特徴です。
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※確かにそうです。分かりやすいと思いますが、ドラッカーを読んで「なるほど」と思ったとしても、後から実際に経験してみて書いてあることの深さを実感したことが何度かあります。人によっては英語で読む方がもっと分かりやすいという説もあります。

■築いた人脈と実績は、世界を動かした!?
・ドラッカーが1939年に発表した『経済人の終わり』を英国首相のウィンストン・チャーチルが激賞。フロイトにも会ったことがあるし、ヒトラーにインタビューをした経験もある。『断絶の時代』というドラッカーの著作に基づいて、英国首相のマーガレット・サッチャーが民営化政策を推進。アメリカのゴア副大統領がトラッカーの提言により情報政策を行う。GE会長のジャック・ウェルチなどにアドバイスする・・・。まさに20世紀を動かした人です。
 ↓
※100年近く生きた人の経験と知恵、知識は半端じゃありません。特に日本人は無宗教な人が多いので、不安を抱える中での心の拠り所的存在として読んでいる人は多いと思います。

 最後の頁は「あなたが最初に読むべきドラッカーはこれだ!」です。双六ゲームのような図が書いてあって、AかBの選択肢を選んでいくと、読むべき本に至るようになっています。
  

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2010年05月09日

6月!丸善福岡ビル店が閉店に

 今日、日曜日は久々福ビルの丸善に行きました。
 というのも、ドラッカーの『マネジメント 課題、責任、実践 上』を購入するためです。
 熊本と福岡で開催されているドラッカーの読書会で、来月からの課題図書が上記の本に決まったからです。
 ドラッカーがブームです。丸善でも『もしドラ』をはじめ、いろんなドラッカー関連本が処狭しと並べてあります。すごいですね。ブームとはほとんど関係ないのでしょうが、この読書会には福岡で20名近く、熊本は3名でしたが今月から2名の方が新規に参加されるそうです。
 日々、仕事やマネジメントに携わっていると、ドラッカーの本は本当!拠り所になります。
 そうそう。この福ビルにある丸善が6月中旬に閉店するそうです。非常に気に入ってました。ただベストセラー本を並べるだけでなく、書店の人がいろいろ工夫して我々来店者にいろんな提案をしてくれる店だったと思います。
 ネットや友人、知人、新聞だけでは本の情報は足りません。「え!こんな本があるんだ」とか「うわー絶対読みたい」という本に必ず出会えます。それとドラッカー名著集もそうですが必ず15巻全部が書棚に並んでいる本屋さんなんです。だから、福ビルの丸善に行けば手にとって買おうと思う本を吟味することができるという、私にとっては頼りになる存在でした。しかし、今回が最後の買い物になるかも知れませんね。
 私自身、福ビルから丸善がなくなることになった戦犯の一人かも知れません。けっこう月2万円近く本を買って読んでいますが、今は半分近くはアマゾンから購入しています。はっきり「この本が欲しい」と、情報が比較的はっきりしている時は、つい便利だからネットでの購入をしていました。私のようなものが例えば100人いて、月1万円をネットで買っていたら、福ビルの丸善さんは毎月100万円の減収になってしまいます。
 無責任ですが、勝手に申し訳ない気分になってしまいました。
 後、最後の買い物になるかも知れませんが、以下の本を買いました。

■今野雅方『深く「読む」技術 思考を鍛える文章教室』ちくま学芸文庫(2010年4月10日第1刷)
・自分で読んだつもりになっていても、果たしてどこまで理解できのだろうか?そんなことはありませんか。理解するというのが知識や情報レベルなのか、体験を伴ったものかで、「わかった!」の内容がずいぶん違うような気がします。この本はそんな疑問に応えてくれるかも知れません。
■アレックス・S・ジョーンズ『新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか』朝日新聞出版(2010年4月30日第1刷)
・私自身サラリーマン時代は新聞の関連会社にいまして、会社を辞める前の数年間は、今のような未来が予想されるデータを集めたり、ちんけなレポートを書いたりしていました。ということもあり、早く読みたいですね。
■佐々木俊尚『電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』ディスカバー携書(2010年4月15日第1刷)
・2011年、新聞・テレビ消滅?では、本はどうなる?上の本と近い問題を扱った本だと思います。本はどうなり、書店はどうなる。そして我々の生活やショッピングはどうなるのでしょうか。
  

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2010年05月04日

『もしドラ』岩崎夏美・講演会メモ

 ずいぶん月日が経ちましたが、04月17日(土)の13:30から、福岡百道浜のTNC放送会館のVSQスタジオで岩崎夏美講演会がありました。あのベストセラー「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(通称『もしドラ』)の著者による講演会です。
 私の周辺の人から感想は書かないのか、いくつか催促がありましたので、書くことにしました。
 以下は感想というより、講演会での私なりのメモの要旨です。
今、ちょうどチクセントミハイやドラッカーを読む機会が多いのですが、岩崎氏の考え方と同じようなことが書かれています。こういった書物をよく読み込んで、自分の頭で考え抜き、実践してきたのが岩崎氏ではないでしょうか。

~物静かそうなスキンヘッドのおじさんが登場~
 今、旬の人ということで、どのような展開になるか予想もつかなかった。200席余りの会場は20~30歳代の若い人たちが多い。
 そんな中、スキンヘッドの眼鏡をかけた一見物静かそうなおじさんが登場。“夏美”という名前から、何となく女性を想像していた自分に改めて気づく。
 今の時代を読み解く鍵は?世の中、何となく閉塞感が漂っている。何か元気がないのは何が原因か。東京や都会の人に多い早口でまくしたてるような感じではなく、ゆっくり、ときどき天井を見ながら、考えながら、マイペースで話す。

~今の閉塞感は行き過ぎた個人主義が要因~
 モノが売れない。テレビもダメ。ITも不況。映画もよくない。新聞とラジオはもっとひどい。しかし、2009年にはメガヒットも生まれている。1Q84、ドラゴンクエスト9、アバター・・・。実は売れているものは売れている。格差が生まれていることが、今の時代を読み解くヒントだ。
 生きにくくなっているのは規範や規律がない、共通の価値観がないから。こういったことの価値に気づかずに、一人ひとりが分断されて、孤独を感じている。これが閉塞感や元気がない本当の要因だ。
 「なぜ人を殺してはいけないのか」という子どもの疑問に答えられない。何かかっちりとした答えが欲しい。拠り所がなく気持ち悪さだけが残る。登校拒否に対して、「行きたくなったら行きなさい」と言う。しかし、根本的には学校に行かないと問題解決はできない。
 根底には“行き過ぎた個人主義”がある。価値観の多様性がみなさんを幸せにしたか。実はそうではない。皆さんもうすうす感じてきている。

~手近な解決法では根本的な解決に至らない~
 価値観の多様性は何をもたらしたか。うまい生き方がクローズアップされる。手近に、こうしたらいいという情報があふれている。多くのビジネス書が皆さんに受け入れられている。
 生きづらさを感じた時に、パッと答えが見つかるので、手近な、その場限りの小手先のテクニックで解決している。自分のトラウマをひもとき始める。テレビや雑誌でその原因を見つけてきて、生きづらさの原因を見つけたと思って落ち着く。しかし、肝心の生きにくさは全然解決されていない。自分を慰める情報や道具が手近にあるばっかりに根本的な解決に至らない。
 自分の生きるためのセンサー、生きるための力、野生、目や鼻など五感も鈍っている。自分が面白いと思っているのか、健康なのか、気持ちいいのかさえ分からなくなっている。
 自分が何に対して、嬉しいのか、喜びを感じるのか分かっていない。

~働くこと。これがなくなると人間は生きられない~
 働くことをネガティブに感じている人がいる。楽して生きたい、お金をガンと儲けて後は楽して生きたい。そんな人がいる。
 働くということは、つらい、難しい、面倒と思うが、これがなくなると人間は生きられないようになっているし、働くことは喜びをもたらす。やらなければならないことが喜びをもたらす。仕事がなくなったら幸せにならない。働くことが人間にどれだけの喜びをもたらすのか気づいていない。
 
~「自分の手柄でない方が嬉しい」。これが人間の本質~
 みなさん!幸せとは何か。多くの人が幸せを勘違いしている。自分が何か成し遂げることが幸せになると思っている人が多いが、それは幸せをもたらさない。
 オリンピックでメダルをとった人が言っていた。「自分がメダルをとったときよりも、コーチとして弟子がメダルをとった時がもっと嬉しい」。ここに人間の本質がある。
 人は他人に何かを成し遂げさせたり、誰かに貢献したとき、組織が成し遂げた時が、一番嬉しく感じるものだ。
 さくほど亡くなった巨人の木村拓哉さんが若い巨人の選手に向かって言っていた。「14年別のチームでプレイをしてきたが嬉しくなかった。巨人で初めて優勝を経験した。優勝とは、こんなに嬉しいものか。そういうことを目指して欲しい。いかに個人が組織に貢献するか」。
 ホームランを打ったダイヤモンドを黙々と走る選手より、実はベンチのチームメイトの方が盛り上がっている。「自分の手柄でない方が嬉しい」。これが人間の本質ではないか。
 人間は社会的に生きていくことに喜びを見出すように刷り込まれている。本当は、これが喜びであるはずなのに、今の社会はそれを感じない人が出てきており、これが生きづらさの原因か?
 自分が成果を上げるために、他人を蹴落とすことで自分が幸せになると考えることが、不幸せになる。

~自分を信じるのは害悪。誰かに貢献を~
 自分自身を疑ってみませんか?自分の信じた道、やりたいことをやっても幸せにはなれない。誰かに貢献しないと不幸になる。
 JPOPでは、「自分を信じろ」、「あきらめるな」と繰り返し歌われている。みんな勘違いしている。自分を信じるというのが害悪。自分の感覚を信じてニートになる。自分だけが儲ければいい。彼等は幸せでしょうか。
 自分の感覚は正しくないのではないかと、疑ってみる必要がある。

 私は、かつて「自分が」「自分が」という気持ちがあったが、四面楚歌になった。37歳の時に、自分を疑い信じたものを捨てる作業がいると気づき、3つのことを始めた。

一つは、プライドを捨てる。プライドが人間の邪魔をする。例えば、心からへりくだって、「ありがとうございます」と声をかけてみる。すると6~8時間の労働が楽しくなる。幸せになる。
 二つ目は、「人は自分のことが一番知らない」ということを知る。人間の気持ちは他人の方がよく知っている。人間は客観的に見ることは不可能。自分の判断は間違う。自分を過大評価する。自分はこういうのが面白いと思っているが、本当はそうではなもと疑ってみる。自分は間違うという前提で見直してみると、真実が見えてくる。
 三つ目は、我慢が足りない。我慢をしてはいけないという価値観が蔓延している。次はダイエットの本を書く。ダイエットは食べないことが一番。食べないから不健康になるというのはウソ。「楽して」とか何かうまい話はないかと、みなさん思うだろうが、有史以来、そういうことがあった試しがない。
 我慢こそが尊いという価値観を持つことが壁を乗り越える要素となる。

 これ以外では福岡の素晴らしさについての話や質疑応答などがありました。
後、書き留めておきたかったことは、以下の通りです。

Q:岩崎さんの考えを広めるには、どうしたらいいか。
A:広まらなくてもいいやと思うことが大事。井上陽水の歌に「さがすものをやめたとき よく見つかる話で」というのがある。あまり広めようと思わず、面白いものをつくり、皆さんを巻き込んでいく。これが近道ではないでしょうか。興味があることが必ずしも正しいことはではない。
Q:友だちなど自分のしがらみを捨てるという話があったが・・・。
A:自分として成功しないことが成功です。私は自分として成功するという概念が納得できない。自分として成功する必要はないと思う。
Q:ドラッカーが真摯であることを強調していますが・・・。
A:真摯とは何か。そう問い続けることが大事。絶対的な答えはないが絶対的な問いはある。重要なのは質問の方だ。
Q:テレビ番組がつまらなくなった要因は?
A:視聴率という評価軸の問題。つまんないけど視聴率が高いことが問題。テレビを面白くするためには新しい評価軸をつくることが必要。
Q:規範という強い価値観が失われた。回復するには?
A:みんなが謙虚になる必要がある。昭和30~40年代を無批判に賛美しているが、この時代を支えていたのは教育勅語で育った人たちです。武士道のことを書いた『葉隠』に絶対的な基準として「死ぬことと見つけたり」があります。今は死が身近でなくなったことが問題だと思っています。
  

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