2010年05月29日
『新聞が消える』。すると地域社会も崩壊します!
アレックス・S・ジョーンズ『新聞が消える ジャーナリズムは生き残れるか』朝日新聞出版(2010年4月30日第1刷)。Losing the News:The Future of the News That Feeds Democracy(Oxford University Press,2009)の全訳です。
日本版の帯にはテレビでよく見かける鳥越俊太郎さんの写真と、「リーマンショックからわずか1年半で全米で150紙が消滅!35%の記者が失業!」「新聞人としてあまりにショッキングな現実がここにある(鳥越)」と書いてありました。
私もかつて新聞業界と関係のある会社にいましたので、つい夢中になって読んでみました。その当時を思い出し、読み進むうちに、これは遠いアメリカだけの話ではないと思いました。特に、在職中からマーケティングリサーチャーとして、近い将来に思いをはせることが多かっただけに、リーマンショックはあくまできっかけであり、それよりもネット社会の構造的な変化が急速に進んでいることを実感していました。その近未来が現実のことになり、すごいことになったと。
ただ、この本には新聞社が抱える深刻な問題だけが書いてあったわけではありません。生き残りのヒントも書いてありました。
それは私なりの解釈で言うと、新聞社が長年培ってきた強み、つまり先輩たちから厳しく受け継がれてきた取材ノウハウとプロとしての書き手としての人材、他のメディアを寄せ付けない取材網、書かれた記事を何回もチェックしていく編集体制、“不偏不党”など行動指針としての編集方針や社是を大事にすべきだということです。
新聞閲読率調査の結果などでは、1面を読む人はほとんどいない。新聞の最終ページにあるテレビ面から読み始め、社会面、スポーツ面をちらほら見て、社会の大きな動きが書いてある経済面や政治面はほとんど読まない。そんな人が年々増えているし、新聞を購読しない人も増えています。しかし、読む人が少なかろうが社会にとって大事なことが書いてある記事があるからこそ、新聞社への信頼はあついし、住民にとっては新聞社が社会の動きをチェックしていてくれるという安心感が生まれるものだと思います。
この本には、“鉄心のニュース”という聞き慣れない言葉がたくさん出てきます。これは、『政府をはじめとした権力に説明責任を課すことを目的としているという意味で「説明責任ニュース」とも呼ばれる日々のニュースの集合体』と著者は説明しています。新聞社の崩壊で説明責任ニュースがなくなれば、民主主義は機能不全に陥ることになると、警告しています。
「ニュースはネットで見るから新聞なんていらない。」「文字は150字以内でないと人は読まない。」そんな声を聞くことがあります。しかし、ネットで流れている社会の根幹に関わる情報の発信源の多くは、新聞社です。新聞社がなかったら広範な取材網もなくなりますので、芸能記事や商品記事、スポーツ記事だけになってしまいます。しかも、民主主義を守っていくために必要な、“目撃証言としてニュース”“なぜの疑問に答える追跡調査”“複雑な内容をきちんと把握するための説明のジャーナリズム”“調査報道”などは150字で収めることはできません。
新聞がなくなると、社会やまちをつくっていくための確かな情報は得られなくなります。それよりももっと怖いのは、「大衆は確かで高品質の情報は求めていない」ということで、一部の人しか確かで高品質の情報は仕入れることしかできないという世の中になることです。知らないうちにゆでガエルかも知れません。
「あなたのニーズに応える、読みやすい暮らしに密着したお得な情報をお届けします」。こんな情報だけで大丈夫ですか?ネットやツイッターさえあれば、あなたの未来は大丈夫でしょうか?マーケティング・リサーチャーとして一言申せば、ニーズに応えるとは人の表面的な発言にそのまま答えることだけではありません。本当に、この人たちが求めているものが何であるか探索し想像するなどして、商品やサービスを目にした人たちが「あ!気づいてなかったけど、これを求めていた」と言わせるものなんです。
最近、新聞社の決算発表の記事が新聞に載っています。一部の新聞は、構造改革や経費節減により、赤字から黒字に転換したようで、何よりです。これは社会にとって非常に大事なことで、新聞社の経営基盤が弱くなると、訴訟費用や大手広告主のことを気にして、確かで高品質な情報が我々大衆に届かなくなる可能性が高くなるからです。
我々一般企業も含めて経営は、くれぐれも経費削減や売上が第一目標ではなく、社会貢献が第一だと思います。私も先輩経営者の方々から、売上や利益はその経営体がいかに社会から必要とされるものを提供したかという結果であって、世の中のお役に立つというのが建前ではなく本音であらねばならないと、くどいように言われ続けています。
日本版の帯にはテレビでよく見かける鳥越俊太郎さんの写真と、「リーマンショックからわずか1年半で全米で150紙が消滅!35%の記者が失業!」「新聞人としてあまりにショッキングな現実がここにある(鳥越)」と書いてありました。
私もかつて新聞業界と関係のある会社にいましたので、つい夢中になって読んでみました。その当時を思い出し、読み進むうちに、これは遠いアメリカだけの話ではないと思いました。特に、在職中からマーケティングリサーチャーとして、近い将来に思いをはせることが多かっただけに、リーマンショックはあくまできっかけであり、それよりもネット社会の構造的な変化が急速に進んでいることを実感していました。その近未来が現実のことになり、すごいことになったと。
ただ、この本には新聞社が抱える深刻な問題だけが書いてあったわけではありません。生き残りのヒントも書いてありました。
それは私なりの解釈で言うと、新聞社が長年培ってきた強み、つまり先輩たちから厳しく受け継がれてきた取材ノウハウとプロとしての書き手としての人材、他のメディアを寄せ付けない取材網、書かれた記事を何回もチェックしていく編集体制、“不偏不党”など行動指針としての編集方針や社是を大事にすべきだということです。
新聞閲読率調査の結果などでは、1面を読む人はほとんどいない。新聞の最終ページにあるテレビ面から読み始め、社会面、スポーツ面をちらほら見て、社会の大きな動きが書いてある経済面や政治面はほとんど読まない。そんな人が年々増えているし、新聞を購読しない人も増えています。しかし、読む人が少なかろうが社会にとって大事なことが書いてある記事があるからこそ、新聞社への信頼はあついし、住民にとっては新聞社が社会の動きをチェックしていてくれるという安心感が生まれるものだと思います。
この本には、“鉄心のニュース”という聞き慣れない言葉がたくさん出てきます。これは、『政府をはじめとした権力に説明責任を課すことを目的としているという意味で「説明責任ニュース」とも呼ばれる日々のニュースの集合体』と著者は説明しています。新聞社の崩壊で説明責任ニュースがなくなれば、民主主義は機能不全に陥ることになると、警告しています。
「ニュースはネットで見るから新聞なんていらない。」「文字は150字以内でないと人は読まない。」そんな声を聞くことがあります。しかし、ネットで流れている社会の根幹に関わる情報の発信源の多くは、新聞社です。新聞社がなかったら広範な取材網もなくなりますので、芸能記事や商品記事、スポーツ記事だけになってしまいます。しかも、民主主義を守っていくために必要な、“目撃証言としてニュース”“なぜの疑問に答える追跡調査”“複雑な内容をきちんと把握するための説明のジャーナリズム”“調査報道”などは150字で収めることはできません。
新聞がなくなると、社会やまちをつくっていくための確かな情報は得られなくなります。それよりももっと怖いのは、「大衆は確かで高品質の情報は求めていない」ということで、一部の人しか確かで高品質の情報は仕入れることしかできないという世の中になることです。知らないうちにゆでガエルかも知れません。
「あなたのニーズに応える、読みやすい暮らしに密着したお得な情報をお届けします」。こんな情報だけで大丈夫ですか?ネットやツイッターさえあれば、あなたの未来は大丈夫でしょうか?マーケティング・リサーチャーとして一言申せば、ニーズに応えるとは人の表面的な発言にそのまま答えることだけではありません。本当に、この人たちが求めているものが何であるか探索し想像するなどして、商品やサービスを目にした人たちが「あ!気づいてなかったけど、これを求めていた」と言わせるものなんです。
最近、新聞社の決算発表の記事が新聞に載っています。一部の新聞は、構造改革や経費節減により、赤字から黒字に転換したようで、何よりです。これは社会にとって非常に大事なことで、新聞社の経営基盤が弱くなると、訴訟費用や大手広告主のことを気にして、確かで高品質な情報が我々大衆に届かなくなる可能性が高くなるからです。
我々一般企業も含めて経営は、くれぐれも経費削減や売上が第一目標ではなく、社会貢献が第一だと思います。私も先輩経営者の方々から、売上や利益はその経営体がいかに社会から必要とされるものを提供したかという結果であって、世の中のお役に立つというのが建前ではなく本音であらねばならないと、くどいように言われ続けています。
Posted by わくわくなひと at 15:25│Comments(0)
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