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Posted by おてもやん at

2012年06月28日

すべてが私の責任です!

韓国の方からの素晴らしい応援メッセージです。
以下の通りです。

昨年、佐賀新聞に載せたコラムですが、この頃の政治状況や東日本大震災などを考えた時に、皆さんに叫びたく、もう一度、送ります
くだらない話ですが、読み捨ててください

以下

すべてが私の責任です!
最近、テレビや新聞には、何一つ、嬉しい課題が無いような気がする。この頃は、
民主党政権になり、いわゆる無駄といわれている公共工事の中止や、官僚の天下り
問題、事業仕分けの話題などが紙面に埋め尽くしている。
他方、経済状況を見ていると、世界経済は低迷を続けており、今年の税収が予想を
はるかに下回り、38兆円までに落ち込むとの発表や、今の日本は緩やかなデフレー
傾向にあるとの政府関係者の発表もあり、経済状況の悪化も肌で感じるようになり
つつある。 特に地方の景気低迷はいうこともないところである。
一方、都市も地方も、実に豊かであった、この国の経済をここまで脆弱にさせたの
は、誰の責任なのか? しかし、とこからも私の責任です!と叫んでいる人は、見
たことも聞いたこともない。
私は1997年ころ、山一証券が破たんした時にテレビの前で、涙を流しながら、すべ
てが私の責任であり、わが社の社員は罪が無いです!叫んでいた山一証券の幹部の
姿が忘れられない。あのインタービューを見た、韓国人の殆どの人は潔く責任を背
負っている姿に、感動さえ、覚えていたに違いない。
あのころ、韓国も経済危機に落ちて、国が倒産をする寸前まで至り、韓国政府は世
界通貨基金(IMF)からお金を借りて、やっと経済危機から逃れることができた事件
は記憶に新しい。
当時、韓国人は皆が、国の倒産という事態が国民の生活にどのような影響を与える
のか、痛切な思いで、実感したのである。その時は誰の責任云々する余裕もなく、
目の前で展開される悲惨な状況に鬱憤を飲んでいた。数多い会社や銀行などが一カ
月の間に、一気に倒産に追い込まれ、道端にあふれていた。昨年の暮れの年越村の
話は、その時に比べれば、比較にならないくらいの状況であった。
その時に、韓国では全国民国債返済運動が起き、国民の皆さんが自分たちの金など
出し合い、それらを溶かして、世界市場に売り出し、30億ドルくらいの現金を作
り、国債を返した事件があった。その時私と家内、そしてお母さんまでもが結婚指
輪やネクレスなどを国に出した。もちろん、誰かから強制されたわけではなかった。
国民すべてが自発的に、自分達の大事な資産を出したのである。その際の悲しみや苦しみは言うまでもない。 なぜ、誠実に国民としての義務を全うしながら暮
らしていただけなのに、確かに、あの時にの経済危機は、無責任に国債発行を乱発
して、政府や大手企業の不実経営がもたらした危機なのに、普通の国民が犠牲をし
なければならないのか?悔しかった。2度とこのような屈辱的な事件を繰り返さな
いために、何をするべきなのか、真摯に考える機会になった。
それから12年が過ぎた今、韓国の経済が安定だとは言えないが、経済危機当時に
外貨は30億ドルしかなかった韓国は、外貨保有額が4000億ドルを超えてい
る。
今、韓国の事例を取り上げるのは韓国が素晴らしかったとかの自慢話をするため
に、この話を持ち出すのではなく、他山之石との言葉のように、今の日本に照らし
合わせて考えれば何かのヒントがあろうかと思うからである。山一証券の取締役が
泣きながら記者会見をしていたあの日本に比べて、今のところ、ここまで深刻な経
済危機や社会の諸問題について誰も、責任を取るのではなく無く、相手に責任を転
嫁するために声を荒げている現実が情けないと感じるからである。これでは日本再
生の道は遠くなるだけではないか?
すべての人が「すべてが私の責任である!」と叫んで、自分から何かを反省し、小
さいことから一つ一つ努力を重ねば、その時日本再生の道が開けるのではないかと
呟いてみる。
  


Posted by わくわくなひと at 03:26Comments(0)