2010年05月17日

昭和の原風景が蘇る「信さん 炭坑町のセレナーデ」

昭和の原風景が蘇る「信さん 炭坑町のセレナーデ」 土曜日、キャナルシティで観た映画です。
 昭和38年の福岡の炭坑町での話を映画化した作品です。
 どこででも観られる映画ではなく、地元福岡県でもキャナルのほかはもう一箇所しか上映していませんでした。
 たぶん40代以上の福岡ゆかりの人にとっては、原風景とも言える場面がたくさん出てきました。西日本新聞ではなく、これは意外ですが熊日新聞に、井上陽水が炭住の暮らしを原風景のように書いていました。私も叔父がかつて嘉穂の炭坑で働いていましたので、炭住やそこでの暮らし、子どもの遊び、ボタ山などを覚えています。福岡ゆかりの人は自分が炭住に住んでいなくとも、親戚の一人くらいは関わっていたのでは思うほどです。
昭和30年代の繁栄と30年代末から40年代にかけての衰退。子どもにとって、怖いと思うほどの人のエネルギーを感じながらも、どこか惹かれる活気がありました。そして閉山となり、人々が立ち去った後のペンペン草が生えた炭住とボタ山。そんな風景を見る時は、目に映っている様子だけでなく、必ず昔の思い出が蘇ってきて二重映しになってしまう自分がいます。
 この映画を一言で言えば、「昭和の炭坑町を舞台にそこで暮らす人々の息遣いや力強さを感じさせる作品」(北橋健治北九州市長)、「忘れていた何かを思い出す、観終わって少しだけ強くなれる、この作品には、そんな温かい人生への鍵があるような気がします」(小雪)です。
 映画に出てくる子どもたちは、私よりも5歳くらい上の人たちですが、かつての子ども時代の自分をたくさん見つけ出すことができました。そして、この映画の主役とも言える“信さん”のように貧しくいたずら小僧だけど面倒見のよい少年、自分にとっては“カズオさん”がいました。
 キャナルの席の6割くらいが埋まっていたでしょうか。最初から最後まで福岡弁の映画です。“せぇからしかぁ”“ばかちんがぁ”という、なつかしい言葉に、思わず苦笑するかつてのガキ大将たちがたくさんいました。
 駄菓子屋のおばさん役の中尾ミエの福岡弁の流ちょうさは、さすが地元出身!同じく福岡出身の光石研が、子どもの信さんを怒るときの台詞は迫力がありました。
 ふるさとと言えば農漁村が定番ですが、炭坑で基礎が築かれてきた福岡では、炭坑もふるさとのような気がします。
 写真は映画の撮影が行われた荒尾市と大牟田市の境にある万田坑の竪坑です。
 原作は辻内智貴の『信さん』。1956年、福岡県生まれの作家です。監督も1950年、福岡県生まれの平山秀幸です。リアルな炭坑町を知っている最後の世代ですね。
 辻内さんのことは知りませんでしたが、今度、本屋さんに行ったら、たぶんいくつか買うことになるでしょう。不器用ながら温かい人物が登場する世界が人気を呼んでいるということです。
・「信さん」(小学館)
・「セイジ」第15回太宰治賞最終候補作(1999年発表)
・「多輝子ちゃん」第16回太宰治賞(2000年)
・「青空のルーレット」(筑摩書房)
・「ラストシネマ」(光文社)
・「帰郷」(筑摩書房)
・「野の風」(小学館)
昭和の原風景が蘇る「信さん 炭坑町のセレナーデ」




Posted by わくわくなひと at 20:05│Comments(0)
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