2012年01月03日

趣味ではなく“世界観形成”の素材として「日本現代史」を読む

 趣味ではなく“世界観形成”の素材として「日本現代史」を読む昨年は、大震災や国境紛争、混迷する政治など厳しい現実を見せつけられた一年だった。そういった中、世の中の混乱に対して無力感をおぼえながらも、錯綜する目の前の仕事に埋没した一年だったと思う。
 数日だが、年末年始は本を読む機会に恵まれた。昨年の秋ごろから“歴史像再構成の課題”という唯物史観の学者が書いた本のタイトルが思い浮かぶようになっていた。それは日本人の歴史観や世界観が変化しつつあるとの思いからだが、恩師・藤村道生(故人)の労作、『世界現代史1 日本現代史』山川出版社(1981年9月21日1版1刷、絶版)を読みたくなっていた。
 「まえがき」に、「本書の執筆依頼をうけてから五年になる。」と書いてある。1981年の出版であるから、1976年のことだと思われる。私が恩師に出会ったのが1977年の4月、そして大学を去ったのが1981年のことである。大学の歴史学徒として「日本近代史概説」や「日本近代史特講?」を聴き、あるいは研究室で開催される大学院生を交えたゼミや酒場での議論を通じ、漠然と抱いていた日本近代史の唯物史観的な常識が恩師によって崩されていくプロセスと、この本の原稿が書かれていた時期が一致することになる。
 ちなみに恩師の講義は当時、好評を博していた。一年を締めくくる最終講義となると教室が満席となり、講義が終了するや否やスタンディングオベーションとなっていたことをつい先日のことのようにおぼえている。あの時の他の学生(いわゆる外資系大学の学生ではあるが・・・)の思いを今や知る術もないが、知的興奮を経験するか否かは、その後の人生に大きな影響を及ぼすと思う。何と自分は幸運で恵まれていたかと今更ながら思う次第である。
 この本が出版された1981年の秋は、社会人一年生であった。友人より本が出版されたことを聞き、即刻、購入したが、「まえがき」以外は読んでいなかった。30年間、封印していた本の扉を開く、そんな思いでおそるおそる読んでいった。
 内容は1890年の日清戦争前夜から1970年代までの通史となっている。高校の日本史の授業では、時間切れで割愛されることが多い時期である。日本近代に関する断片的な知識がつながっていく喜びを味わうとともに、今の世の中で流れている情報がいかに短期間の情報だけで構成されているかを思い知ることになった。
 この通史の視点は以下の通りである。歴史は趣味や受験のための道具だけでなく、人の生き方や世界観を養うための知識であることを、今さらながら思い知った次第である。

まえがき(一部抜粋)
 本書は、日本が東アジア国際政治の舞台に強国のひとつとして登場するとともに、アジア最初の立憲国家として議会政治をはじめた一八九〇年から今日までの九〇年間の通史である。
 すでに戦後三五年を経過したが、戦後史を戦前と一連の歴史過程としてえがき、日露戦争および満州事変に熱狂した国民と安保闘争に決起した民衆を、ともに視野にいれようとした通史はほとんど存在しなかった。戦前と戦後の連続性を認めることを前提とする歴史叙述は、日本ファシズムの戦前と主権在民の戦後という八・一五による断絶のみを強調する二元史観からは発想しがたく、ましてワシントン体制打破の熱狂と安保闘争におけるハガチー事件の興奮にナショナリズムの同質性を発見することは、タブーですらあった。
 本書は、それに成功したか否かは別として、二〇世紀初頭の日英同盟から今日の日米「同盟」にいたる歴史を、軍部と議会・政党の抗争を軸とする国内の政治的対立と、東アジア国政政治の相互関連からとらえ、そのなかで民衆があるときは侵略に動員され、別のときは平和運動にたちあがるさまを叙述しようとした。この過程は後進国であり、また小国であった日本が、近代化と自立という国民的課題を、福祉社会をめざす「軍備なき平和」と名誉価値優先の「力による平和」のヂレンマになやみながら達成しようと苦闘した歴史であった。それは見方をかえれば、日本が帝政ロシアの軍事力、中国の民族運動、アメリカの生産力につぎつぎと直面し、それをのりこえるために、強力な軍隊、徹底した義務教育、組織された産業のネットワークづくりに熱中し、それにゆきすぎて失速した過程であったといえるかも知れない。なぜ日本人はゆきすぎるか、そのためにいかなる代償をはらわねばならなかったか、これこそ日本現代史の明らかにすべき課題であろう。




Posted by わくわくなひと at 20:08│Comments(0)
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