2009年12月15日
陽明学でつながる歴史上の人物達・・・14日付熊日夕刊を読んで
(長文お許しください。)
浅学非才ながら14日付け熊日夕刊を読んで、「陽明学で三島由紀夫までつながるのか?」と驚いてしまった。大げさに言えば、「電光のような戦慄が身内を走った」。
夕刊の記事は「南洲残影」「死を賭して西郷が守ったもの」という見出し付きで、戦後の文壇の大御所、江藤淳の熊本での取材内容が書いてあった。
この記事によると、江藤は20代で斬新な夏目漱石論で文壇に登場。以来、常に文壇中枢にあって、晩年には文芸家協会理事長も務めていたという。江藤の名前は学生時代によく耳にしていた。しかし、同氏が書いたものは、せいぜい雑誌の記事程度で、これまで本を読んだことはない。
その江藤が晩年に「南洲残影」という本を書いているそうだ。西南戦争で敗れた西郷隆盛。その死の意味を読み直そうとしたかのような内容だという。
江藤の田原坂での取材の様子が以下の通り書いてあった。
『雨に煙る田原坂。「崇烈」と題された高さ6㍍の戦役記念碑から草地の間の小道を10㍍ほど下ると、自然石を割ったような高さ1㍍くらいの歌碑があった。脇の石柱には「蓮田善明先生文学碑」と刻まれている。
「ふるさとの 駅におりたち 眺めたる かの薄紅葉 忘らえなくに」
歌碑を見た江藤は立ちすくんだ。「電光のような戦慄が身内を走った」と後に書く。』
※この記事によると、蓮田善明は、三島由紀夫を文壇デビューさせた文学者である。終戦直後に連隊長を射殺し、自決した人という。「こうのとりのゆりかご」で有名になった蓮田医師と関係があることも書いてあった。
(中略)
『歌碑を見た江藤の中で、西郷と蓮田と三島、3人の死が、戦慄とともに一瞬にしてつながった。江藤は4年後の自身の死も見越したのかもしれない。「南洲残影」には、そんな遺書めいた気配もある。』
(中略)
『蓮田、三島も、自決して滅びることで西郷と同じものを守ろうとした。その同じものとはなにか。
それは「蓮田の碑に刻まれた三十一文字の調べ」、「ふるさとの駅」の「かの薄紅葉」だった、と江藤は言う。
不思議で、不可解な一節だ。・・・』
この記事を読んで、“守ろうとした”のは陽明学ではないかと思った。
陽明学は知行合一。「おのれが是と感じ真実と信じたことこそ絶対真理であり、それをそのようにおのれが知った以上、精神に火を点じなければならず、行動をおこさねばならず、行動をおこすことによって思想は完結するのである。行動が思想の属性か思想が行動の属性かはべつとして行動をともなわぬ思想というものを極度に卑しめる。」(司馬遼太郎)という思想である。
この学に殉じた人たちは、中江藤樹、熊沢蕃山、山鹿素行、赤穂藩主浅野内匠頭長直、赤穂藩城代家老大石良欽、その弟大石頼母、大石内蔵助良雄、大塩平八郎中斎、越後長岡藩家老河井継之助、吉田松陰、西郷隆盛、乃木希典という。
驚くべきことに、日本史の教科書に出てくる大スターたちであり、その多くが非業の死をとげている。江戸期から明治を理解するには、この陽明学を知ることにより、断片的な歴史の事件が一つの線で結ばれることになる。
そして、陽明学に殉じた人として、蓮田善明と三島由紀夫と、江戸や明治期の歴史上の人物たちが、私の頭の中で“戦慄とともに一瞬にして”つながってしまう経験をした。
戦後、タブー視されてきた陽明学であり、歴史の講義でも、このような話は聞いたことがない。しかし、司馬遼太郎は恐らく後世まで残された江戸や明治の資料を見ながら、陽明学を奉じている人なら、どう思いどう行動するかを、小説という想像の世界で描いて見せたのではなかろうか。
その代表的な小説が河合継之助を描いた「峠」、乃木希典を描いた「殉死」である。
浅学非才ながら14日付け熊日夕刊を読んで、「陽明学で三島由紀夫までつながるのか?」と驚いてしまった。大げさに言えば、「電光のような戦慄が身内を走った」。
夕刊の記事は「南洲残影」「死を賭して西郷が守ったもの」という見出し付きで、戦後の文壇の大御所、江藤淳の熊本での取材内容が書いてあった。
この記事によると、江藤は20代で斬新な夏目漱石論で文壇に登場。以来、常に文壇中枢にあって、晩年には文芸家協会理事長も務めていたという。江藤の名前は学生時代によく耳にしていた。しかし、同氏が書いたものは、せいぜい雑誌の記事程度で、これまで本を読んだことはない。
その江藤が晩年に「南洲残影」という本を書いているそうだ。西南戦争で敗れた西郷隆盛。その死の意味を読み直そうとしたかのような内容だという。
江藤の田原坂での取材の様子が以下の通り書いてあった。
『雨に煙る田原坂。「崇烈」と題された高さ6㍍の戦役記念碑から草地の間の小道を10㍍ほど下ると、自然石を割ったような高さ1㍍くらいの歌碑があった。脇の石柱には「蓮田善明先生文学碑」と刻まれている。
「ふるさとの 駅におりたち 眺めたる かの薄紅葉 忘らえなくに」
歌碑を見た江藤は立ちすくんだ。「電光のような戦慄が身内を走った」と後に書く。』
※この記事によると、蓮田善明は、三島由紀夫を文壇デビューさせた文学者である。終戦直後に連隊長を射殺し、自決した人という。「こうのとりのゆりかご」で有名になった蓮田医師と関係があることも書いてあった。
(中略)
『歌碑を見た江藤の中で、西郷と蓮田と三島、3人の死が、戦慄とともに一瞬にしてつながった。江藤は4年後の自身の死も見越したのかもしれない。「南洲残影」には、そんな遺書めいた気配もある。』
(中略)
『蓮田、三島も、自決して滅びることで西郷と同じものを守ろうとした。その同じものとはなにか。
それは「蓮田の碑に刻まれた三十一文字の調べ」、「ふるさとの駅」の「かの薄紅葉」だった、と江藤は言う。
不思議で、不可解な一節だ。・・・』
この記事を読んで、“守ろうとした”のは陽明学ではないかと思った。
陽明学は知行合一。「おのれが是と感じ真実と信じたことこそ絶対真理であり、それをそのようにおのれが知った以上、精神に火を点じなければならず、行動をおこさねばならず、行動をおこすことによって思想は完結するのである。行動が思想の属性か思想が行動の属性かはべつとして行動をともなわぬ思想というものを極度に卑しめる。」(司馬遼太郎)という思想である。
この学に殉じた人たちは、中江藤樹、熊沢蕃山、山鹿素行、赤穂藩主浅野内匠頭長直、赤穂藩城代家老大石良欽、その弟大石頼母、大石内蔵助良雄、大塩平八郎中斎、越後長岡藩家老河井継之助、吉田松陰、西郷隆盛、乃木希典という。
驚くべきことに、日本史の教科書に出てくる大スターたちであり、その多くが非業の死をとげている。江戸期から明治を理解するには、この陽明学を知ることにより、断片的な歴史の事件が一つの線で結ばれることになる。
そして、陽明学に殉じた人として、蓮田善明と三島由紀夫と、江戸や明治期の歴史上の人物たちが、私の頭の中で“戦慄とともに一瞬にして”つながってしまう経験をした。
戦後、タブー視されてきた陽明学であり、歴史の講義でも、このような話は聞いたことがない。しかし、司馬遼太郎は恐らく後世まで残された江戸や明治の資料を見ながら、陽明学を奉じている人なら、どう思いどう行動するかを、小説という想像の世界で描いて見せたのではなかろうか。
その代表的な小説が河合継之助を描いた「峠」、乃木希典を描いた「殉死」である。
Posted by わくわくなひと at 20:51│Comments(3)
この記事へのコメント
次回作の執筆中で、時々、ネットをいろいろと眺めるのですが、以前から気になっていた三島由紀夫と陽明学について、今回触れようと思い、ネットを見ているうちに、御ブログと出会いました。
出会うたびに、コメントしているわけでは決してありません。正直、そんなことをしていたら、きりがないのですね(笑)。
ただ、御ブログの記事は、気になりました。
どうか、拙著、いくつもありますが、を一読の上、ブログの記事を、再度お書き頂ければと存じます。
私は、陽明学をテーマに長年、本を書かせて頂いております。
私たちの一挙手一投足は、有名無名を問わず、私たちの周囲の人々を、地域社会を、日本を、さらには世界を、確実に変革しているからです。
又、是非、今後も、いい記事を発表ください(嬉)。間違ったら、素直に誤ればいいんです。又、きっと、誰かが教えてくれます。
でも、御ブログは、なかなかいいブログです。だから、気になったんです。
出会うたびに、コメントしているわけでは決してありません。正直、そんなことをしていたら、きりがないのですね(笑)。
ただ、御ブログの記事は、気になりました。
どうか、拙著、いくつもありますが、を一読の上、ブログの記事を、再度お書き頂ければと存じます。
私は、陽明学をテーマに長年、本を書かせて頂いております。
私たちの一挙手一投足は、有名無名を問わず、私たちの周囲の人々を、地域社会を、日本を、さらには世界を、確実に変革しているからです。
又、是非、今後も、いい記事を発表ください(嬉)。間違ったら、素直に誤ればいいんです。又、きっと、誰かが教えてくれます。
でも、御ブログは、なかなかいいブログです。だから、気になったんです。
Posted by 林田明大 at 2010年12月16日 03:10
申し訳ない。
謝れば、を「誤れば」と記してしまいました。
本当に、申し訳ございません。
なお、拙著は、硬軟ありますが、読みやすいのでは『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学』(三五館)があります。
謝れば、を「誤れば」と記してしまいました。
本当に、申し訳ございません。
なお、拙著は、硬軟ありますが、読みやすいのでは『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学』(三五館)があります。
Posted by 林田明大 at 2010年12月16日 03:15
陽明学の先生からコメントをいただき驚愕しております。ありがとうございます。著書は年末年始に時間を作って1冊は拝読したいと思います。どんな衝撃や驚きがあるか楽しみです。私事で恐縮ですが、30年前、日本近代史の研究者、藤村道夫に師事し、日満財政経済研究会、統制派などの資料をかじっておりました。今は、このようなこととは何の関係もない中小零細企業の経営者ですが、戦前と戦後の連続性や非連続性というテーマには心の中で密かに関心を寄せております。今後とも、ご指導の程、よろしくお願い申し上げます。
Posted by わくわくなひと at 2010年12月16日 13:17