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Posted by おてもやん at

2010年07月16日

焼酎に血栓溶解効果!WHO指針は逆風

 地域流通経済研究所の冊子「ウインドウ」2010年7月号を読みました。
なかでも、業界レポート「今後も縮小が予想される清酒、焼酎市場 ~広く浅く市場を開拓する必要性あり~」は興味深く読ませてもらいました。
サブタイトルの「広く浅く市場を開拓する必要性あり」という処方箋が正しいかどうか分かりませんが、長期トレンドをみると、今後、清酒や焼酎市場は縮小に向かうことが予想されていることは理解できました。それも、フランスやイタリアなど多くの欧州の国々のアルコール消費量が激減していること、アメリカも減少しているそうです。これらに比べれば日本の減少傾向は小さいということです。
 私の事務所がある福岡・大名周辺を眺めると、若い世代の酔っぱらいがたくさん闊歩しています。しかし、世界的な傾向をみると、人が酒をだんだん飲まなくなってきているということでしょうね。日本や九州も、いずれそうなるのでしょうか?酒好きの私としはあまり想像したくありません。
 それと、知りませんでしたが、今年5月、世界保健機関(WHO)の総会で、飲酒による健康被害や未成年者の飲酒を防ぐことを目的して、「酒税の引き上げ、飲食店での飲み放題の制限、安売り防止、広告の内容と量の制限など」を盛り込んだ指針が全会一致で採択されたと、このレポートに書いてありました。「強制力はないが、各国の業界は自主規制に向かうものと思われる」らしいですが、世界の趨勢としてはタバコ並の業界バッシングへと進むのでしょうか?これは球磨焼酎をはじめ関係業界や地場産業にとっては由々しき事態ですね。
もう一つ、「本格焼酎(単式焼酎の別名)は、血栓溶解効果が高いということが科学的に
証明」されているそうです。このレポートには、科学的と言うにはやや標本数が少ないと思いますが、「血栓溶解酵素の平均活性」という数値が本格焼酎1160、ビール712、ワイン801、日本酒855、ウイスキー(標本数18人)510となっています。よく分かりませんが、本格焼酎の血栓溶解効果が高いということを示す数値だと思います。
 酒は百薬の長と言いますように、本格焼酎を薬用化した新商品やカプセルなど、今後、これまでにない新商品の開発を予感させる内容だと思います。芋や麦焼酎よりも米焼酎の方が血栓溶解効果が高いという科学的な結果が得られれば、もっと熊本が盛り上がると思いますが、そんな結果はないのでしょうか。
  


Posted by わくわくなひと at 14:37Comments(0)

2010年07月16日

【ニュース】生活保護者が激増中!問われる地域経営と地域自治

 私が参加しているメーリングリストからの情報です。
 少子高齢化・人口減少が進展していく中で、生活保護世帯がもの凄い勢いで増加し続けているそうです。
 厚生労働省の発表によると、今年3月に生活保護を受けた世帯は前の月より増え、全国で134万3944世帯に上り、過去最多。月平均でみると、09年度は約127万世帯で、前年度の約115万世帯を約12万世帯上回っている。一方、生活保護を受けている人数は、09年度が約176 万人で、前年度のより約17万人増加。増加傾向に歯止めがかかっていないそうです。
 福岡市の博多区だけで21年度は前年度比1,000世帯増加、約100億円の補正予算をつぎ込んだそうです。
 自己責任、実力主義・・・。エリートさんに都合のよいルールが世の中の基準となって、社会が急速に二極分化し始めています。
 そうでなくても、少子高齢・人口減少社会では、構造的に社会保障費が増加の一途をたどることが予想されます。(専門家曰く、)このため、これまでのように国や誘致企業に頼ってばかりでは成り立たず、地域経営や地域自治が不可欠になってくるそうです。地域が自律的に支え合う仕組みをしっかり構築し、税金の使い方を抜本的に変えていかないと、大変なことになりそうです。
 こういった中で、福岡市では、この3月、人口減少・少子高齢社会に対応していくための全国初の議員提案条例が可決されています。
 「公共交通空白地等及び移動制約者に係る生活交通の確保に関する条例」という名称で、行政と市民や事業者が「共働」して、コミュニティバスや乗合タクシーなど、さまざまな手段で市民生活に欠かせない生活交通を守り、地域社会の再生を目指すことを目的にしているそうです。
 具体的には、この条例の成立によって、路線バスや鉄道駅から1キロ以上離れている地域を「公共交通空白地」、バス停から500メートル以上離れた地域を「公共交通不便地」として指定し、高齢者や障がい者等のうち移動に関し制約を受ける人たちの生活交通を確保するような施策・取組みが行われることになりそうです。
 この福岡市の取組みは、地域経営、地域自治の典型的な例ではないでしょうか。
 熊本市が現在、策定中の「わくわくシルバープラン」の構想を見ても、このような生活交通の確保策や高齢の生活保護者の住宅確保策など、地域経営や地域自治の視点がたくさん盛り込まれており、これまでの老人保健福祉計画とは違った画期的な計画になりそうな感じがしました。最終的にどのような計画になるか楽しみです。
 ある意味、今は地域の知恵比べの時代ですね。
  


Posted by わくわくなひと at 11:24Comments(0)

2010年07月15日

日々気をつけよう!時間の浪費

 世の中、時間だけは平等に与えられていると思います。
 日々過ごしていて、「ひょっとして浪費してるかも?」と思うことがあります。
 時間の使い方がまずいために、夜中まで残業するはめになったり、はたまた他の人に過分な負担をかけてしまったり・・・。ときどき反省してしまいます。

 私の知り合いから、土日と祝日を除き、毎日、「今日のドラッカーの一言」をメールで送ってもらっています。朝、目覚めた時、一読するようにしています。
 今日の分は、自分にもかなりあてはまりますので、改めて記録しておくために、このブログに掲載することにしました。

時間の浪費には、様々な要因があります。

第一に、仕事で起きる混乱の繰り返しです。これは直ちに処理のルーティン化が必要です。

第二に、気づかない人員過剰も時間の浪費を招きます。
人間関係の処理に多くの時間を使っている組織は人員過剰の疑いがあります。

第三に過剰な会議です。
会議の過多は組織の欠陥を教えます。

そのほか
仕事の仕方にも時間浪費の要因があります。
成果を生まない仕事、他の人に任せてよい仕事、他の人の時間を浪費させているだけの仕事などがあります。

このことをドラッカー博士は、次のように述べています。
「ドラッカー365の金言」171頁 9月2日「時間浪費の中止」からの引用です。

「成果を上げるための第一歩は、時間の使い方を記録することである」

「継続して時間の記録をとり、その結果を毎日見ていく」

「そして、日々の日程を再検討し組み替えていく。やる必要のない仕事、成果を生まない時間の浪費となる仕事を見つけ排除する」

「そのような時間の浪費を見つけるためには、記録に出てくるすべての活動について、まったくやらなかったらば何が起きるかを考えればよい。やめても何も起こらないのであれば、明きらかに結論はやめよである
  


Posted by わくわくなひと at 11:46Comments(0)

2010年07月13日

重大ニュースでは?介護保険特定施設の総量規制が廃止

 新聞やテレビで報道されていたんでしょうけど、知りませんでした。
 世の中、消費税増税や選挙で大騒ぎでしたから、今日までまったくノーマークでした。

 6月18日閣議決定「規制・制度改革に係る対処方針」
規制改革事項 ⑭介護施設等の総量規制を後押ししている参酌標準の撤廃
対処方針:参酌標準を撤廃し、第5期介護保険事業計画(平成24~26年度)から、各都道府県が地域の実情に応じて策定可能とする。<平成22年度中検討・結論、結論を得次第措置>

 つまり、平成24年度から、都道府県の実情に合わせて、介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)、介護老人保健施設、介護療養型医療施設、認知症高齢者グループホーム、介護専用型特定施設を供給できるようになるということだと思います。
 これまでは参酌標準により、「要介護2以上の認定者の37%以下」という実質的な規制のもとで高齢者向け介護施設の量が制限されてきました。その規制がなくなるということです。
 地方分権の進展という意味では喜ばしい限りですが、地方の責任において施設を供給していくという意味でもあります。
 当然、施設を数多く供給していけば地域の介護保険料は高くなるような仕組みになっています。しかし、施設入所の待機者もたくさんおられる。
 このバランスをどのような基準や評価で、どうとっていくのか?
 これからは「参酌標準で決まっているから」という理由は使えません。
 自治体職員や地域住民自身の責任に重くなるということです。
 消費税論議も大事ですが、施設の供給をどうするかという議論も地域で生活していく上では極めて重要なことだと思い、一筆啓上させてもらいました。
   


Posted by わくわくなひと at 21:12Comments(2)

2010年07月11日

消えた長岡城址、小山内薫堂、宮本武蔵正伝に反応!

 今日11日付けの新聞では、西日本新聞さんの読書ページに多く反応しました。
 個人的な記録のために、以下の内容を記しておきます。

■「消えた長岡城址と統帥権」「本郷」7月号(吉川弘文館PR誌)
・長岡と言えば、山本五十六と河合継之助が有名です。司馬遼太郎の「峠」を読み、河合継之助の生き方に感動したことを覚えています。その伝統ある長岡で、「こともあろうに精神的拠り所でもある城郭を壊して駅とし、線路は市街地を分断した」そうです。著者は、城を迂回しなかったことに明治政府の「強い意志」を感じるとしています。
・熊本で熊本城の面影すらないという状況を想像できますか?

■小山内薫堂企画『なおかつ、お厚いのがお好き?』扶桑社・分厚くて敬遠されがちな名著を身近な例えで説明する人気テレビ番組の内容に文庫化した本ということです。
・小山内さんと言えば、今、熊本で旬の人です。内容も面白そうです。

■加藤廣『求天記 宮本武蔵正伝』新潮社
・作者はもともと経営コンサルタントで、『信長の棺』でベストセラー作家になった人です。書評委員の「読みはじめて間もなく、カラーマーカーを引き、付箋を貼る自分がいた。語られる視点の新しさとともに、時代背景にたいする作者の目配りと読み込みの深さにはっとさせられて、居ずまいを正されてしまったのだ。」という一文を読み、読みたくなりました。

  


Posted by わくわくなひと at 17:12Comments(0)

2010年07月11日

熊本で東京や福岡をさし置くような話題を!

 福岡市で「国際知識経済都市会議」が開かれていました。
 この会議の発端は覚えています。二年くらい前だったと思います。何やら、米国のあの有名なシアトル市から福岡市に仲間に入らないかという打診があり、その仲間にはシアトルのほか、大田(テジョン)、メルボルン、バンクーバー、ストックホルム、ヘルシンキ、ダブリン、ミュンヘン、バルセロナがある。福岡の役所の人たちが「そんな中に福岡市も入れてくれるのか」と大喜びしていたのを記憶しています。
 その仲間が集まって、ついに福岡市で会議が開かれることになったんだと思います。
 今日11日付け西日本新聞に、「福岡がトップになるには 知識経済都市」というタイトルで社説が書かれていました。「国際知識経済都市会議」。何やら難しそうですが、社説曰く、“要は「才能ある人々を引きつける世界で最も魅力ある都市の一つになるためには、どうすればいいか」を学ぶ場”ということです。
 社説には『「福岡市で仕事がしたい」。日本で1番人気がある。アジア、世界からも「日本で働く、学ぶ、暮らすなら福岡市だな」と評価される。これが目標となる。』と書かれていました。“東京をさし置いて「フクオカ」が日本を代表する都市になる。うつむき加減の世の中で、こんな発想があってもいい。そのために何が必要か、何をするか考え、実際に課題に取り組めばもっといい。”とも書いてありました。
 近く政令市になる予定の熊本市にも、東京や福岡市をさし置くような、こんな話題が欲しいですね。ドイツのハイデルベルグなど古城を中心に環境と共生したまちづくりを進めている都市などとの、もっと踏み込んだ連携などがあれば、もっと面白くなるかなぁと思いました。
  


Posted by わくわくなひと at 16:27Comments(0)

2010年07月10日

「世界の中心で、愛をさけぶ」の作者は福岡在住です。

 興味がなかったせいでしょうが、知りませんでした。
 小説「世界の中心で、愛をさけぶ」の作者、片山恭一さんは福岡市東区に住んでおられるそうです。
 10日付けの西日本新聞を見ていたら、メガネをかけた大人しそうな中年男性が大きく載っており、そう書いてありました。51歳だそうです。
 まあ、それだけなら、私もわざわざブログに書き留めることはないのですが、今度、書かれた長編小説に興味を持ってしまいました。やはり、作家はすごいことを考えているもんですね。以下は西日本新聞からいただきです。
 執筆3年。タイトルは『静けさを残して鳥たちは』(文藝春秋)です。
 構想の発端になったのは「現代における『喪』とは何だろう」という思いだそうです。
 今の普段の生活では弔いの意識は希薄です。「今の日本社会では、人の死をどうとらえればいいか分からない人が大半だと思う。生死が分からない状況を抱え込んだ一人の女性が、日々何を考えるのか。そこから『喪』を描こうとした」そうです。
 次の言葉もすごいと思いませんか?
 「現代では、常に誰かとつながっている状態。恋愛の前提にあったすれ違いや齟齬が無くなり、“不在”を感じさせることで思いの深まりを描くことは難しくなってしまった。どんなにツールが発達しても埋められない“不在”が、死だった」。
 「『恋』という言葉はもともと、死者へ思いを寄せる『魂乞(たまご)い』から来ていると言われている。魂に呼びかける歌、言葉から、文字が生まれて、ひょっとすると文学も、死者との関係から始まったのではないか」。
 “セカチュー”には興味ありませんでしたが、今度の長編は読んでみたくなりました。
  


Posted by わくわくなひと at 19:54Comments(0)

2010年07月10日

デザインとは優れたビジネス戦略の一部であって、芸術ではない

 ハルトムット・エスリンガー『デザインイノベーション デザイン戦略の次の一手』翔泳社(2010年5月10日初版第1刷)。
 この本も丸善でないと出会えなかったと思います。店から入って5メートルほどの新書本新刊コーナーの横の棚に立てかけてありました。
 帯の裏に、「デザインとは優れたビジネス戦略の一部であって、芸術ではない」と書いてありました。今、産業デザイナーといっしょに仕事をしていますが、彼も似たようなことを言っていたので手に取りました。私のコンテクストと丸善の人のコンテクストがシンクロした瞬間でした。まあ、一般向きではない本ですが、私の目が届く好位置に置いていただき丸善さんには感謝しています。
 特に私の仕事のかなり部分は商品開発であり、デザイナーさんとのやり取りが今後ますます増えていきそうな感じです。そんなときの自分の姿勢を考える上で、とても大事なことだと思い、しばらく書棚に置いていましたが、読み始めることにしました。
 帯の前には「iPadのプロトタイプはすでに1983年に存在していた」とあります。
 スティーブ・ジョブズに信頼され、アップル製品の一時代を築いたエスリンガーが提言する「デザイン手動のイノベーション」とは?
 「自己陶酔型の芸術家のひらめきでは、持続可能なビジネスモデルは築けない。」。では、どうしたらよいか?が、この本に書かれているはずです。
  


Posted by わくわくなひと at 19:14Comments(0)

2010年07月10日

政治家を翻弄する世論調査の数字・・・西日本新聞

 10日付けの西日本新聞1面に「世論調査 数字に翻弄」「見えない有権者、強まる依存」「小泉政権発足後、頻度増す」、「世論調査「政治を左右」」「蒲島郁夫・熊本県知事に聞く」など、世論調査の結果に翻弄される政治家についてのレポートが載っていました。
 小泉内閣以降、人気投票に似た世論調査の結果が次の首相選びまで左右する、調査結果を見て出馬を断念する政治家の話など、政治全体が世論調査の数字に振り回されている状況がレポートされています。「政治が世論調査に過度に左右されると、政治家が自信の理念に従って行動しにくくなるのではないか」という記者の問いに対し、蒲島知事は「ポピュリズム(大衆迎合主義)はおかしい、信念に基づく政治をといわれるが、政治家になって分かったことだが、県民がどう考えているかは正直に言って気になる」「政治家は選挙が怖いから、民意、世論に敏感にならざるを得ない。それからどのくらい精神の自由を保てるかが大事。政治家が精神の自由を保つには、長期的なビジョンや信念が必要になる。私は政治方針を決める要因の一つと考えている」と答えています。
 政治が世論調査の数字に翻弄されているように見える。これでいいのかという趣旨の記事だと思います。
 昔の選挙を思い出すと、世論調査とは関係なく、選挙参謀の票読みで結果がだいたい予測できていたと言います。
 例えば、こんな感じです。「今回の選挙の投票率は70%前後。それでいくと50,000票が当選ライン。どこの組織、団体、企業、どこの地域を抑えたので、55,000票は固い。これでいける。」。この事務所を取材した記者も、この候補が当選すると踏み、当選直後の万歳三唱のカメラの位置取りや取材記者の配分も決めていたということでしょう。
 ところが今は、選挙事務所も報道機関も、世論調査や出口調査しか、しっかりした情報源がない。昔は選挙事務所にも報道機関にも選挙の神さまみたいな人材がいたわけですが、その神さまが世論調査になってしまったのではないでしょうか。
 自分の投票行動が選挙事務所や報道機関に把握されている社会がいいと思うか。有権者の動きが見えづらい社会がいいと思うか。個人的には、今の社会がいいかなぁと思っています。
 蒲島知事が言われているように、ビジョンや信念は企業でも大事です。しかし、これまで生き残ってきている企業の多くは、商品などの調査結果をそのまま鵜呑みにして右往左往するようなことはしていないと思います。ビジョンや信念を実現するための、あくまで参考情報として調査結果を活用しているのではないでしょうか。もちろん、リサーチ結果で右往左往している企業もあると思います。余計なお世話ですが、政治家や報道機関も、情報やデータに対するリテラシーが必要になってきたということでしょうか。
  


Posted by わくわくなひと at 18:46Comments(0)

2010年07月10日

Discover携書は直取引の書店しか置いていない!

 東京・品川の「品川イーストワンタワー」に用事で行ってきました。
 品川駅から回廊で結ばれている30階?建てくらいの今風の高層ビルです。
 このビルの2階に「あおい書店」という本屋さんがあります。
 店の広さは、熊本で言えば「まるぶん」さんくらいか?福岡の新天町周辺にいくつかある本屋さんよりも大きいスペースです。
 この本屋さんで「え!そうなんだ」と、思うことがありました。
 佐々木俊尚さんの『電子書籍の衝撃』をちょうど読んでいる最中でしたので、特に目が止まりました。
 『電子書籍の衝撃』は置いてないけど、同じ佐々木さんが書いた『2011年新聞・テレビの消滅』文春新書はあります!みたいなPOPが貼ってありました。
 熊日新聞か何かのベストセラーランキングで、東京のある書店のトップ10の中に『電子書籍の衝撃』は入っていたことを記憶しています。
 なぜ、こんな比較的大きな書店に『電子書籍の衝撃』が置いてないのか?調べてみたくなりました。
 すると、ディスカバー21の本は直取引する本屋さんしか仕入れられないらしいということが分かりました。つまり、取次(本の卸会社)を経て本を品揃えしている本屋さんには、Discover携書は置いてないということでしょうか。
 あおい書店さんは、東京や愛知県を中心に全国展開している本屋さんです。福岡市内にもあります。そんな大きな書店チェーンにも置いてない本らしいということが分かりました。
 そう言えば、『電子書籍の衝撃』は天神の丸善で買いました。熊本の書店でも置いてあるところは限られているのでしょうね。
 それで、佐々木さんの本があまりにも面白かったので、POPにつられて、ほぼ同じコンテキストの二冊購入しました。

■佐々木俊尚『2011年 新聞・テレビの消滅』文春新書(2010年4月20日第8刷、2009年7月20日第1刷)・・・(帯)ビジネスモデルは崩壊した 米国ではNYタイムズでさえ倒産寸前。同じことが日本でも必ず起きる
・帰りの飛行機で途中居眠りしながら80頁読んでます。
■上杉隆『記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争』小学館(2010年4月6日初版第一刷)・・・(帯)官僚に操られる新聞・テレビは死んだ!国民から知る権利を奪う「記者クラブ問題」とは何か?  


Posted by わくわくなひと at 15:43Comments(0)

2010年07月10日

本や若者に対する常識を覆す“すごい本”・電子書籍の衝撃

 佐々木俊尚『電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』ディスカバー携書(2010年4月15日第1刷)を読みました。この本は、けっこうすごいことを書いています。佐々木さんという毎日新聞出身のジャーナリストが書いたものですが、若い人たちの意識と行動についての考察を面白く読ませていただきました。
 木曜日に福岡から東京へ向かう飛行機の中で半分読んで、帰りの飛行機で読了するつもりでした。実際は50頁くらい読んだら意識がなくなり、気づいた時は着陸態勢。それでも、けっこう面白かったので、夜中に起き出して読んでしまいました。
 何が面白かったか。10歳代から20歳代の若い人々の情報やメディアに対する意識と行動がさりげなく分析されていたことに驚きました。インターネットや携帯、ブログ、ツイッターなど情報ツールを取り巻く環境が激変しています。そういう中で若い人の意識と行動がどんな風になっているか?
私の娘は17歳ですが、ネットや携帯の使い方が明らかに私とは違う。たぶん若い人たちは、自分たちが私のような世代と違った意識や行動をしているという自覚は持っていないでしょう。情報やメディアに対する接し方が違うと感じるのは、過去のものとなりつつある古い接し方をしている我々の世代だけかも知れません。
 本は売れなくなっている。それは若者の文字離れが原因でもなければ、本というコンテンツそのものの問題でもなく、徹底的に流通構造の問題であるというのが著者の主張です。
 本というコンテンツを流通させるプラットフォームが、いまの日本では恐ろしいほどに劣化してしまっているから、本は売れなくなっていることが、この本で明らかにされていきます。
 劣化の要因は、本を雑誌と同じようにマス的なやり方で流通させてしまったこと。二つ目は、書店が本を出版社から買い取るのではなく、預かる「委託制」という仕組みを導入してしまったこと、としています。
 そのような状況の中で、若い人の意識と行動が変化している上に、これに応えるような電子書籍が登場し、流通構造が変化せざるを得ない状況が出現したということです。
 本というコンテンツは生き残りそうです。しかし、出版社、取次、書店という、本を取り巻く業界は根本的な変革を迫られているのではないかということが、この本を読むと想像できるようになっています。

 以下は、本の主張とは別に、特に私が書き留めておきたかった内容です。興味のある方は、お読みください。

■大量に本を読む秘訣は“寝ころんで読むこと”
■読書量を加速させる電子ブックの登場
■マスマーケティングの崩壊とコンテンツの細分化
■活字離れしていない若者。対応できていない出版、新聞業界
■ケータイ小説本の売れ方
■往来堂書店と丸善・松丸本舗


■大量に本を読む秘訣は“寝ころんで読むこと”
 一年間に「たぶん百冊以上はちゃんと読んでいる活字中毒者」という筆者ですが、私もまったくそうなんです。
 よく質問を受けます。「いつ読んでるんですか?」と。「暇見つけて読んでるだけ」と私は答えますが、この本を読んで、説明が足りなかったと思いました。
 実は数学関係の本(自分なりに計算とかしたいので電卓とかパソコンが必要です)を除けば「ソファやベッドで寝ころんだ状態」で私は読んでいるのです。机に向かって背筋を伸ばして読んでいるわけではありません。もう10年近く前になりますか。ゴールデンウィークの間、3日間くらいで司馬遼太郎の「坂の上の雲」8巻?とそれ以外にも3冊くらいの本を読んで、3カ月くらい両手が上がらなくなりました(40肩と言われましたが、ちょっと違うかな?)。すべて寝ころんだ状態で読んだために体が異常をきたしたというワケです。
 近く日本でも市販されるというキンドルは、「ソファやベッドで寝ころんだ状態でも読める手ごろな大きさと軽さで、しかも紙の本の大きさと同じくらいの画面と読みやすさを備えている」そうです。この本によると、キンドルは300グラム足らず、iPadは700グラム。本はリラックスして寝ころんだ状態で読むものですので、この差は大きいですね。本読みにとってのポイントは、だれも公言はしませんが“寝ころんだ状態”やリラックスして読めるかどうかだと思います。

■読書量を加速させる電子ブックの登場
 電子ブックの登場によって、いつでもどこでもどんな場面でも、自分が読みたいと思った文章を読めるようになるのです。これで外泊するときに何冊か必ずバッグに入れて、ふうふう言うこともありません。このことを本のアンビエント化と言うそうです。

■マスマーケティングの崩壊とコンテンツの細分化
 ふつう書店では新刊本が目立つように並んでいますが、電子ブックになると既刊本も有名でない本も同じようにリストに並ぶことになります。iTunesを使っている若い人の間では、何が今流行っている曲かよりも、自分が聞きたい曲、自分に心地よい曲を選んで聴くという行動が主流になってきているそうです。今、聞いている曲がいつ作曲されたのかも知らないで聞いているそうです。本もそうなる可能性が高いと、著者は予言しています。つまり、「みんなが買っているから私も」という付和雷同的な「記号消費」(ジャン・ボードリヤール)とは違った消費者行動が広まってきて、マスマーケティングが通用しなくなることを意味しています。つまり、音楽業界のようにメガヒットは少なくなり、買う本が個性化、多様化するということです。
 新聞も新聞紙というパッケージに基づいて、政治面、経済面、文化面、社会面という流れで読むのではなく、多くのネットユーザーはRSSリーダーから拾い読みするか、あるいは記事を紹介するブログのリンクからたどって新聞記事に直接たどり着くような方法にシフトしているようです。新聞記事や動画、音楽などのコンテンツがバラバラに細分化され、断片化して流通するというマイクロコンテンツ化が、消費者の行動によって促進されています。

■活字離れしていない若者。対応できていない出版、新聞業界
 出版業界や新聞業界の人、評論家などが「若者の活字離れが深刻化している」「教養が失われた」と眉をひそめているという話をよく聞きます。しかし、小学生が図書館で本を借りた冊数は2009年11月時点で過去最高を記録。高校生の図書館の利用回数や本を読んだ冊数も増えているそうです。統計から言えることは、「いまの若い人たちは、ものすごく本を読んでいる。」。ブログや掲示板やSNSでの「読む」という行為を含めれば、現在の若者は活字にきわめて親和性の高い世代であると、著者は指摘します。
 「インターネットの文なんて断片的で短いものばかりだろう。そういう短絡的なものばかり読んでいたら頭が悪くなる。」といった誤った思いこみをしている人は多いと思います。私も、そう思っていました。しかし、私のブログもそうですが、「ブログやニュースサイトを中心にものすごく長い記事が大量に配信されており、それらの多くはパソコンの液晶画面で読まれています。」ということです。若者は活字離れしていないが、出版業界や新聞業界など活字のビジネスが対応しきれていないと著者は主張しています。

■ケータイ小説本の売れ方
 ケータイ小説の読者は、自分の好きな小説が書籍化されると、ひとりで4冊購入するというのが読者の典型的なパターンだそうです。一冊は自分が読むため、二冊目は自分の部屋に飾っておくためのもの、三冊目は保存用で、四冊目は友人に貸すための在庫だそうです。「読むコンテンツ」というよりは「宝物」的な存在であり、宝物を購入することによって、自分の好きな作家さんの夢を支えてあげようという気持ちを持っているそうです。ケータイ小説の魅力は、村上春樹のような現実に存在しないような男の話ではなく、谷川流の明らかにオタクの文脈の中でしか描かれない表現でもなく、日常の会話や情景など圧倒的なディテールのリアリティにあるそうです。これが特に地方に住んでジャージを着ているような男の子や女の子に支持されている理由ということです。「私と同じ会話をしている」「私と同じ経験をしている」と感じることで、自分と他の人々が同じ空間を共有しているような感覚につながるとしており、コンテンツではなくコンテキスト(文脈)としての要素を持っていると分析しています。
 バーチャル空間でプロフを読み、掲示板を読み、モバゲータウンで他人の日記を読み、どんどん活字文化の世界に入り込むという行動(たぶん私の娘もこれにはまってます)。それまで文字文化とほとんど関わっていなかった「地方の若者」というマスの集団が、ネットを経由して一気に活字の世界に流れ込んできているそうです。

■往来堂書店と丸善・松丸本舗
 平台や書棚の本が何かよくわからないけど、惹き付けられるということがあります。逆に、どこにでもありそうな匂いの本屋さんがたくさんあります。何か惹き付けられる理由の一つが書いてありました。
東京・千駄木にある往来堂書店と丸善の松丸本舗のやり方です。取次のデータ配本とはまったく異なる、独自の考え方がこれらの店では実現されています。往来堂書店の安藤さん曰く「書棚は管理するものではなく、編集するものだ」。食品関連の事件が話題になっている時は、食品衛生法の本を並べ、そしてその周囲にはその食品の歴史をひもといた本など関連本を次々と並べるそうです。往来堂は「文脈」を店の側が編集し、店内をひとつの空間メディアとして見せているそうです。自分が買った本を振り返ってみると、自分の関心事や好み、思考パターンに沿った何らかの共通項や関連性があることが分かります。確かにそういった「文脈(コンテキスト)」というのがあり、それと共鳴すると、ついたくさん本を買うことになります。
 丸善の松丸本舗は松岡正剛さんの「文脈」に沿って書棚がつくられているそうです。もう閉店しましたが、天神の丸善書店でも、独自のメッセージを感じとったものです。
 これが今後の書店の生き残り策の一つでしょうね。熊本では、新市街の玉屋通りにある小さい本屋さんがそうだと思います。上通りの長崎書店さんからも多少、そのような香りが漂ってきますね。
  


Posted by わくわくなひと at 15:02Comments(0)

2010年07月08日

羽田から品川までnimocaは使えません!

あ~あ!
今日は四ヶ月ぶりに東京に来ています。
ICカードのnimocaが東京のsuicaのエリアで使えると聞いてましたので、
羽田から京急に乗って品川までnimocaが使えると思ってました。
そしたら改札でバシッ。私鉄には使えないですね。
だからpasmoを急遽バッグから取り出して品川まで使いました。
品川から大森まではJRですので、nimocaが使えました。
pasmoとsuicaは提携しているので、東京周辺ではJRや私鉄かまわずに、どちらかのカードで大丈夫です。
しかし、nimocaとpasmoは提携していないので、私鉄やメトロはだめなんでしょうね
早く提携してもらいたいですね。  


Posted by わくわくなひと at 20:27Comments(0)

2010年07月08日

『もしドラ』90万部突破!仕掛けもすごい!

 先日、私の娘が『もしドラ』を読みたいという話を書きました。
 どいやら娘が特に変わっているというわけではなく、本当に高校生の間でも読む人が増えているような情報を見つけました。
 今日、8日付け西日本新聞2面に、『もしドラ』の半5段広告が載っていました。
 版元はダイヤモンド社というビジネス系の本や雑誌の大手ですが、実に、いろんな仕掛けをやってます。

■電子書籍化
・ダイヤモンド社iPhone版電子書籍
・App Storeブックカテゴリで、発売1カ月間首位独走
・iPhone/iPod touch 版もApp Storeで発売中

■twitter
・「もしドラ」公式twitterアカウント @moshidora ハッシュタグ#moshidora

■「もしドラ」公式ウェブサイト http://moshidora.jp

■「もしドラ」夏の読書感想文コンテスト
・社会人の部、大学生の部、高校生以下の部
・グランプリは社会人の部・ドラッカー塾「ペア」受講資格、大学生の部・JTB旅行券20万円分、高校生以下の部・IGNIO電動ハイブリッド自転車
・優秀賞は部門を問わず5名・iTunes Card 5000円分

■ダイヤモンド社のビジネスWEBマガジン http://diamond.jp
・すべて無料!野口悠紀夫、山崎元、上杉隆・・・他、強力執筆陣の連載、週間ダイヤモンドの記事など毎月300本の記事掲載

 この本自体が萌え系とドラッカーという一見異質なものを結びつけた実験的な試みですが、電子書籍、twitter 、読書感想文コンテストなど、ダイヤモンド社がいろんな実験をしているような感じです。
 高校生の娘とオヤジが同じコンテンツが共有できる。これまでにない現象だと思います。あんまり本を読んでこなかった20から30代の社会人が、そのうち慌てることになりそうな予感です。
 これから東京に行きますが、機内で佐々木俊尚『電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』を読むことにします。

  


Posted by わくわくなひと at 09:32Comments(0)

2010年07月07日

世の流れが分かった気分に!一気に読める地域開発政策批判論

岡田知弘『地域づくりの経済学入門 地域内再投資力論』自治体研究者(2008年11月20日第3刷、2005年8月10日初版第1刷)。
半年くらい前、私が参加しているメーリングリストで話題になった本です。
メーリングリストの知り合いが福岡から熊本にJRで来る際に、「電車で一気に読み進んだ。帰りの電車で最後まで読んでしまう。」ということを聞いて、「それなら」と私も読むことにしました。
京都大学大学院経済学研究科の教授である著者が、高度成長期以降の地域開発政策を批判的にふり返り、例えばグローバル資本や大企業に地域がいかに振り回されてきたかを解説しています。
失われた10年と言われた時代から小泉改革、そして現時点をながめてみると、不況が続いてきたと言われる割りに「東京がずいぶん発展したな」と思うことがあります。
私が東京にいた頃は今から25年以上前になります。高層ビルが林立する地域は新宿であり、ほかは池袋、霞ヶ関、浜松町、田町あたりにポツッポツッと高層ビルが建っている程度でした。それが今は品川、新橋あたりを中心に、どでかい高層ビルがひしめき合うように建っています。このような東京の再開発は確かに失われた10年以降に加速したような感じがします。
東京に比べ九州はどうか?福岡の天神や博多あたりは元気ですが、福岡以外の九州内の都市はどうでしょうか。町村はどうでしょうか。どうみても疲弊しているという感じです。単に、車や電車から景色を見ているだけなんですが、色のはげた看板や補修していない家などが次々と目に飛び込んできます。
本書は、こういった今の現実が浮かび上がってきた背景を構造的に明らかにしてくれます。もちろん、官僚とは与しない在野の学者としての一方的な視点で書かれていることとは思いますが・・・。
では地方はどうすればよいか?筆者は地域内再投資力と地域内経済循環の確立、地域住民主権を処方箋として掲げています。
都市部から比較的離れている合併していない町村や零細中小メーカーの横連携の事例なども解説してあり、書棚に参考書として保存しておく価値くらいはあるかなぁと思いました。
著者の視点で私が一番印象に残った視点は、以下の通りです。
「資本は一方では、交易すなわち交換のあらゆる場所的制限を取り払って、地球全体を自己の市場として獲得しようと努めないではおられず、他方では、時間によって空間を絶滅しようと、すなわちある場所から他の場所への移動に要する時間を最小限に引き下げようと努める」『マルクス資本論草稿集』

 著者は昔言われていたマル経出身の方でしょうか。この文章を読んで、九州新幹線が何となく浮かんできました。
  


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2010年07月06日

“もしドラ”ついに高校生まで広がるか?

 昨日、高校三年生の娘が“もしドラ”を読みたいと言ってきました。
 “もしドラ”。正式には岩崎夏美著『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』です。
 「その本だったら、何ヶ月か前、家に置いとったよ」と答えました。
 私の周りでは、けっこう読まれている本だし、話題になっている本です。
 娘によると、友だちもけっこう読んでいるそうで、自分も読んでみたいと思ったそうです。
 「実際、高校生が読むかなぁ?」と思ってましたが、読むんですね。
 東野圭吾とかは、我が家に散乱していますが、ついに娘が“もしドラ”を読むと言い出しました。
 今日、娘に件の本を渡しますが、しばらくすると、家の床に転がっているかもしれません。  


Posted by わくわくなひと at 14:31Comments(0)

2010年07月04日

博多祇園山笠フィギュア発売!

 博多は今年も山笠シーズンに突入しました。
 博多から天神にかけては、7月1日から15日まで、むちゃくちゃ盛り上がります。
 私の知り合いのコピーライターさんは、この時期は仕事をしないそうです。
 2週間、仕事なしで祭り男になれる環境はうらやましい限りです。
 ところで、6月30日付け西日本新聞博多祇園山笠特集に載っていました。
 写真のフィギュアが新発売されたそうです。
 全5種(中洲流、千代流、東流、西流、大黒流)各7,875円だそうです。
 しかし、お土産品として、うまいところに気付きましたね。
 なかなか精悍な顔つき、男らしさがにじみ出ています。
 世の中にないもので、商品をみて、これ欲しいと思わせるアイデアは尊敬ものです。
 そう言われれば、昨年の今ごろは太宰府で阿修羅展が開催されており、
 フィギュアが売り切れ御免の状態でした。
 阿修羅フィギュアにヒントを得たんでしょうかね。  


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2010年07月04日

作者不詳の民芸品の美を発見!柳宗悦『手仕事の日本』

 久々に懐かしい岩波文庫を読みました。柳宗悦『手仕事の日本』という小さな文庫本です。岩波書店の本は、学生時代にはよく目に触れていましたが、最近はすっかりご無沙汰しておりました。便利さや易きに流れず物事の本質に触れるような快感がありました。
 この本を読みたくなったのは、最近、手仕事や手作りの商品に関わることが多く、それらのよさを先人はどのように表現しているかに関心を持つようになったからです。
 文章は太平洋戦争中に書かれたものです。
「機械では生まれないものが数々ある」「機械は世界のものを共通にしてしまう傾きがある」「人間が機械に使われてしまうためか、働く人からとかく悦びを奪ってしまいます。」
「・・・どうしても手仕事を守られねばなりません。その優れた点は多くの民族的な特色が濃く現れてくることと、品物が手堅く親切に作られることであります。そこには自由と責任とが保たれます、そのため仕事に悦びが伴ったり、また新しいものを創る力が現れたりします。それ故手仕事を最も人間的な仕事と見てよいでありましょう。ここにその最も大きな特性があると思われます。仮にこういう人間的な働きがなくなったら、この世に美しいものは、どんなに少なくなって来るでありましょう。」
「手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりするのであります。そうしてこれこそは品物に美しい性質を与える原因であると思われます。それ故手仕事は一面に心の仕事だと申してもよいでありましょう。」

 柳宗悦は、こんな視点を持って、20年余りかけて、北は東北から南は沖縄まで、日本全国の手仕事を見て回りました。そして、作者不詳、銘文なしの実用的な民芸品の中に本当の美を見つけ出していきました。某テレビ局の“お宝探偵団”?とは、まったく相容れない視点です。
 この本で紹介されている手仕事の中には、すでに絶えているものもたくさんあります。21世紀は行き過ぎた機械文明や効率・効果を重んじる思考の副作用に見舞われている時期ですので、ときどきは柳宗悦の本を読み返しながら、手作り品のよさを伝えていく役割を少しでも担いたいと思いました。
  


Posted by わくわくなひと at 12:46Comments(0)

2010年07月02日

シミュレーションでも福岡一極集中が顕著に!

 今日、7月2日(金)付けの熊日新聞で、「シミュレーション 福岡一極集中が顕著に」という見出しが目に飛び込んできました。
 市況とか株とか、一般の人には馴染みがない地味な紙面の中にある「くまもと経済教室」というコラムの見出しです。
 熊本学園大経済学部の坂上智哉教授が九州における最適ネットワークのシミュレーション結果を紹介しています。
 九州を北九州、福岡、久留米、佐賀、熊本、八代、鹿児島など17地域に分割し、各地域の域内総生産と、地域間の距離を求め、その上で、経済的・地理的要素に基づく評価基準を作成し、シミュレーションでその数値が最大となるような九州内のネットワークの姿を求めたそうです。
 坂上教授は当初、熊本は地理的な優位性が大きいと考え、九州の最適ネットワークは熊本を中心とする一極集中型になると予想されていた。しかし、実際にシミュレーションを行うと、福岡の経済的優位性に太刀打ちできず、福岡一極集中型が顕著に表れることが明らかに。さらに、地域間の移動費用をより低く設定すると、熊本の地理的な優位性は一層低下し、福岡一極集中型になりやすいということも分かったそうです。
 「地域間の移動費用をより低く設定する」ことは、実生活でも経験済みです。佐賀、長崎、大分などの北部九州の主要都市は福岡からの移動費用が現実に低くなるように設定されています。JRの料金(企画もの含む)を比べると、例えば長崎に行く場合、熊本よりも博多から行く方がはるかに安い料金となっています。多くの人が行き来するので安い運賃でもJRはペイするので、運賃は経済の原理で安くなっていきます。これも経済的優位性の一つだろうと思います。
 州都問題が論じられる時、熊本の地理的優位性が語られます。しかし、評価基準の恣意的(仮説)な設定など機械的、数学的な結果だとしても、熊本には厳しい結果ですね。
 今日のコラムが坂上教授による第3講となっており、第1と第2講も読みたくなりました。すると、前回は1週間前の金曜日でした。日経新聞の「経済教室」?にように、1回で読み切りにしてもらえれば、ありがたいと思いました。
 それで、熊本は、今後、どのような戦略を描けばよいか?来週金曜日に坂上教授から提案していただくことを期待しています。
  


Posted by わくわくなひと at 12:59Comments(0)