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Posted by おてもやん at

2010年12月04日

深山幽谷の孤屋 妖艶な異次元の世界・・・泉鏡花「高野聖」

 泉鏡花『高野聖・眉かくしの霊』岩波文庫(2010年5月6日第86刷、1936年1月10日第1刷)。
 学生時代から一度は読みたいと思っていた小説。

 飛騨から信州へ越える深山の間道で、丁度立休らおうという一本の木立も無い、右も左も山ばかりじゃ、手を伸ばすと達(とど)きそうな峰があると、その峰へ峰が乗り、嶺(いただき)が被さって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。

 こんな深山幽谷のくだりからはじまり、旅僧の世界に引き込まれていく。この僧は深山の間道で蛇や山蛭に襲われながらも、山中の孤家にたどり着く。
 そこで僧は女と出会う。

(何方(どなた)、)と納戸の方でいったのは女じゃから、南無三宝、この白い首には鱗が生えて、体は床を這って尾をずるずると引いて出ようと、また退った。
(おお、御坊様。)と立顕れたのは小造の美しい、声も清しい、ものやさしい。


 昔風の美しい文章であり、読むのにやや集中力を必要とする。しかし、旅僧が女と出会ったところから、さらにもう一度、違う次元に引きずり込まれたような感覚に陥ってしまう。
 妖艶な中年女の所作と、それに惑わされる僧の動きが見事。そのことを解説には「達せられようとして、刹那にはばまれる。・・・達せられぬ故に美しいのである。」と記してあった。

 婦人(おんな)は何時(いつ)かもう米を精(しら)げ果てて、衣紋(えもん)の乱れた、乳の端もほの見ゆる、膨(ふく)らかな胸を反(そら)して立った、鼻高く口を結んで目を恍惚(うっとり)と上を向いて頂を仰いだが、月はなお反腹(はんぷく)のその累々(るいるい)たる巌(いわお)を照すばかり。

 あり得る話ではないが、読む人に現実として迫ってくるような筆力に感服する。幾多の苦難を重ねながら、あちらの世界へ行き、再び元の世界に戻るという典型的な物語の構成になっている。
 明治33年の作品。この調子だと、何度も読みかけて挫折している夏目漱石の『草枕』も、今ならじっくりと味わうことができるかも知れない。
  


Posted by わくわくなひと at 17:08Comments(6)