2010年12月19日
「ビジョナリーカンパニー」 起業が先でアイデアは後から

3日前、TSUTAYAに立ち寄った際に、つい購入した。「経営理念は大事」と、いろんな人が言う。確かにそうだと思う。会社を立ち上げて今年の12月でまる3年。ありがたいことに年末の駆け込み需要に追われているが、正月休みも近くなったところで、会社について、少し立ち止まって考えてみたい。そんな気持ちから読む気分になったと思う。
この本を購入して自宅に帰って驚いた。M.E.ポーターなど経営戦略関係の本棚の中に、この本が並んでいた。ちょうど10年くらい前、経営戦略関係の修士論文を書いて、さらに経営学を勉強したくなり、この本も購入していた。経営学のいろんな論文に引用されているし、当時も「ぜひ読みたい」と思っていたことを思い出した。しかし、今は視点も立場も違う。
昨日の夜中に少し読んでみた。最初の「謝辞」から驚いた。この本が完成するまでに実に100人くらいの人が関わっていることがうかがえる。私が今非常に気になっているアメリカ人が得意とするプロジェクトマネジメントから生まれた本であることが分かった。
ビジョナリー・カンパニーとは何か?
「・・・ビジョンを持っている企業、未来志向の企業、先験的な企業であり、業界で卓越した企業、同業他社の間で広く尊敬を集め、大きなインパクトを世界に与え続けてきた企業である。重要な点は、ビジョナリー・カンパニーが組織であることだ。」
そして、多くの人々が参画した、このプロジェクトの成果として、「どのようにして会社がはじまったのか。小さな企業から世界規模の大組織に成長するまで、さまざまな困難をどう乗り切ったのか。そして、大企業になったとき、ほかの大企業と比べて際立っている共通の特徴とは何か。これらの企業の歴史から、このような会社を設立し、築き、維持したいと考えている人に役立ちそうな教訓を得ることができるのか。」という疑問に答えてくれるという。そして、巷でよく聞く経営に関する12の神話を崩していく。
私が昨日読んだのは2章まで。さっそく神話1の「すばらしい会社をはじめるには、すばらしいアイデアが必要である。」を崩してくれた。
「基本理念が必要である」。確かにそうであり、自分にはそうたいした内容のものはつくれない。つくれないということは、会社を経営する資格がないかも知れないという不安が常によぎっていた。しかし、これを読んで安心した。
(ヒューレット・パッカードの話)
「・・・最初に会社を始めることを決め、そのあとで、何をつくるか考えた。二人は、まず一歩を踏み出して、ガレージから抜け出し、電気料金を払えるようなになりそうなことを、手当たりしだいやってみた。」
「たまに、ビジネス・スクールで講演する機会があるが、会社をはじめたときに、なんの計画もなく、臨機応変になんでもやったというと、経営学の教授はあぜんとする。わたしたちは、カネになりそうなことは、なんでもやってみた。」
(ソニーの話)
「・・・井深大が一九四五年八月に会社を設立したとき、具体的な製品のアイデアはなかった。それどころか、井深大と七人の社員は、会社がはじまったあとで、どんな製品をつくるか、意見を出し合った。」
(ウォルマートの話)
「サム・ウォルトンも、すばらしいアイデアを持たずに会社をはじめた。自分の会社を持ちたいという強い意欲と、小売業に関するごくわずかな知識、そしてあふれんばかりの情熱だけで、事業を起こした。」
「やっぱりそうなんだ」と納得した。つまり、カリスマやビッグアイデアを思いつく人だけが起業の有資格者ではない。企業や経営の話、それもコンサルタントなどの話は、「結果から話をつくっている」ことが多いようだ。「先見性のある起業家が、製品アイデアや市場についてのビジョンを武器に会社を設立する・・・」という神話は、例外はあるにしても、経験も知識も限られた凡人にはあり得ないことではなかろうか。しかも、コンサルタントも含めて多くの人々は何が先見性であるかは見抜けないし、結果論で実績を見て賞賛するというパターンが余りにも多すぎる。うがった見方をすれば、卓越した企業を自分の商売ネタにしているだけではなかろうか?
しかし、そうは言っても、そろそろ自分の会社が位置づけられている市場のことや、自らの強みと弱み、自分の会社に求められていることなど、まる三年という時間が膨大な量を与えてくれたと自覚している。
次の飛躍のために、そろそろビジョンを描く作業を始める時期には違いない。第三者ではなく、起業や経営という日々の真剣勝負にさらされ思い悩むことが卓越したビジョン形成に至る唯一の道であることを改めて思い知ることができた。
Posted by わくわくなひと at
18:16
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