2010年01月24日
文学者のような文章で語る歴史家・中島岳志
最近は歴史ブームだと言われる。昨年は“歴女”などの言い方も流行ったし、今年はあちこちで福山雅治の龍馬の姿を見かけるようになった。司馬遼太郎も再びブームだ。私の場合、周辺から司馬ファンとして認知されていることもあり、「竜馬がいく。読み出したら、結構面白いね」「坂の上の雲。緻密な描写がすごい!」など、よく耳にするようになった。
識者によれば、先が見通せない時に、人は歴史に関心を持つという。そう言われてみれば、国内外で極めてダイナミックな動きが見られ、今までとは違う世の中になってしまうかも知れない、今までの常識が通用しない世界になるかもしれないなど、半分不安な気持ちになってしまいがちである。もちろん、福山雅治のイケメンぶりが、それに拍車をかけているのだろうけど・・・。
しかし、いつまでも司馬遼太郎さんにネタを頼っているわけにはいかない。司馬さんが文章を書いた時と、国の成熟度合いも違うし、外交関係も中国やアジアの台頭により、大きな変化を見せてきている。
今の世の中がどうなっていくのかを考える際に、新たな状況の中で事実の発掘や解釈をする歴史家が必要とされている。
23日付けの西日本新聞に、北海道大学準教授の中島岳志さんが紹介されていた。北海道に住みながら九州にゆかりのある人物についての論文や著書が多い。このことが、西日本新聞がわざわざ取材した理由だろう。
しかし、記事を読んで驚いた。九州にゆかりのある人物を調べているということよりも、今の時代が要請している歴史家であることが分かったからである。
大佛次郎論壇賞を受賞した『中村屋のボース』の「ラース・ビハーリー・ボースは頭山満ら旧福岡藩士が中心となった政治団体「玄洋社」と関係が深かった」という。昨年出版した『朝日平吾の鬱屈』も佐賀県佐世保市で育った国粋主義者の生涯を追っているという。
私自身、30年ほど前は史学科の日本近代史専攻の学生だったので、右翼も左翼もなく、いろんな本を読んでいた。当時は左翼の本はまだ人前でも読みやすかったが、右翼の人を扱った本や資料は周りの人から勘違いされないか心配だったことをおぼえている。しかし、中島氏は橋川文三や竹内好といった思想家たちの「左や右といった思想的立場と関係なく、一方を断罪せずに内在的に理解を深めながら問題を探っていく手法に引かれた」と書いてある。今求められている新たな解釈や視点は、このような態度から生まれてくるのではなかろうか。
史学科の学生の時、“司馬遼太郎”は評価されていなかった。「あれは小説。歴史学は事実を探求する科学である」という理由からである。
しかし、中島さんの文章は、次の通りだと、西日本新聞に書いてあった。
「朝日-」は神奈川県・大磯の次のような描写で始まる。
<大磯の空は広い。海岸には、サーフィンを楽しむ若者があふれ、山側には閑静な住宅地が広がる>
文体も学者というよりは、文学者やジャーナリストのそれに近い。学者の文章としては「軽い」とみる向きもあるかもしれないが、平易な文章で読者に分かりやすく切り込んでくるのが彼の魅力でもある。
さっそく「中村屋のボース」と「朝日平吾の鬱屈」をアマゾンで注文してしまった。
識者によれば、先が見通せない時に、人は歴史に関心を持つという。そう言われてみれば、国内外で極めてダイナミックな動きが見られ、今までとは違う世の中になってしまうかも知れない、今までの常識が通用しない世界になるかもしれないなど、半分不安な気持ちになってしまいがちである。もちろん、福山雅治のイケメンぶりが、それに拍車をかけているのだろうけど・・・。
しかし、いつまでも司馬遼太郎さんにネタを頼っているわけにはいかない。司馬さんが文章を書いた時と、国の成熟度合いも違うし、外交関係も中国やアジアの台頭により、大きな変化を見せてきている。
今の世の中がどうなっていくのかを考える際に、新たな状況の中で事実の発掘や解釈をする歴史家が必要とされている。
23日付けの西日本新聞に、北海道大学準教授の中島岳志さんが紹介されていた。北海道に住みながら九州にゆかりのある人物についての論文や著書が多い。このことが、西日本新聞がわざわざ取材した理由だろう。
しかし、記事を読んで驚いた。九州にゆかりのある人物を調べているということよりも、今の時代が要請している歴史家であることが分かったからである。
大佛次郎論壇賞を受賞した『中村屋のボース』の「ラース・ビハーリー・ボースは頭山満ら旧福岡藩士が中心となった政治団体「玄洋社」と関係が深かった」という。昨年出版した『朝日平吾の鬱屈』も佐賀県佐世保市で育った国粋主義者の生涯を追っているという。
私自身、30年ほど前は史学科の日本近代史専攻の学生だったので、右翼も左翼もなく、いろんな本を読んでいた。当時は左翼の本はまだ人前でも読みやすかったが、右翼の人を扱った本や資料は周りの人から勘違いされないか心配だったことをおぼえている。しかし、中島氏は橋川文三や竹内好といった思想家たちの「左や右といった思想的立場と関係なく、一方を断罪せずに内在的に理解を深めながら問題を探っていく手法に引かれた」と書いてある。今求められている新たな解釈や視点は、このような態度から生まれてくるのではなかろうか。
史学科の学生の時、“司馬遼太郎”は評価されていなかった。「あれは小説。歴史学は事実を探求する科学である」という理由からである。
しかし、中島さんの文章は、次の通りだと、西日本新聞に書いてあった。
「朝日-」は神奈川県・大磯の次のような描写で始まる。
<大磯の空は広い。海岸には、サーフィンを楽しむ若者があふれ、山側には閑静な住宅地が広がる>
文体も学者というよりは、文学者やジャーナリストのそれに近い。学者の文章としては「軽い」とみる向きもあるかもしれないが、平易な文章で読者に分かりやすく切り込んでくるのが彼の魅力でもある。
さっそく「中村屋のボース」と「朝日平吾の鬱屈」をアマゾンで注文してしまった。

Posted by わくわくなひと at
14:27
│Comments(0)