2010年01月03日
ほのぼのとした話や見失っていた歴史を特集・・・西日本、熊日
昨年の途中から全国紙は購読していない。自分の主な行動範囲をカバーする西日本新聞と熊本日日新聞だけを読むようにしている。
この不況の中で新聞経営も相当厳しいということだが、西日本と熊日の元旦号を読み、「少し新聞が変わるかも知れない」と思ってしまった。
西日本新聞で最も印象深かったのは、「デスク日記」である。新年企画のきっかけが「社会面ばかり読んでいると、世の中の少年がみんな悪(わる)に見えてくる」という警察官の言葉だったことを披露している。
社会面は「残念ながら今も心温まる話題は少ない。話題がないわけではなく、ニュースかどうかが紙面掲載の優先順位だからだ」そうである。「だったら固定のコーナーを作りましょうよ」から新コーナー「あなたの物語 青空」を始めたという。
第一回目は、地域の見守りを日課にしている73歳の男性の話。筑紫野市の562世帯を軽トラックで回っているという。もちろんボランティアである。「あなたを支えますよと言うなら、言葉だけでなく、こちらが繰り返し繰り返し出向いていこうと思うんです。そうすれば必ず返ってきます」。8年前の冬、中学生が自死。その前の冬には高校生が犯罪に遭う。もう一人の不幸も見逃したくない。その思いが体を動かしているという話だ。
このコーナーでは、「この世は捨てたもんじゃない」というメッセージを発信していくという。
勝ち組や優秀な人の話など競争社会のエリート話だけでなく、目立たないけど人間らしい取組みを拾っていこうという視点だと思う。
西日本の記事を読んで、「たぶん熊日の記者たちも今年は違った動きをするだろう」と期待を持って読んでみた。
すると、やはり。「時代のコントラスト 熊本・1960年から半世紀」というシリーズ企画がスタートしていた。
記事は50年前の岩戸景気の繁盛ぶりを書いた後、熊本の有名企業「コンゴー」の創業者の談話を載せていた。
「今のような派遣労働もなく、社員は兄弟や家族のようなものだった」。増産続きの工場はランニング姿の従業員の熱気であふれ、新製品の開発・改良などで徹夜の残業もしょっちゅうだった。・・・確かに規則通り型にはまった仕事では売れる商品なんて作れない。
「人が人らしく泣き、笑い、怒っていた60年代の幕開けから半世紀。あらゆる分野でシステム化が進む一方、不況と社会の閉そく感が長引く中で、人々の心から喜怒哀楽がかすれてしまったように思える。世の中の色が「明」も「暗」もくっきりしていたころを振り返り、置き去りにしてきたもの、見失っていたものを考える」そうである。
だれかのせいにしたり、自分の責任は果たさずに権利ばかり主張、仲間意識も皆無で第3者的で評論家的な話を長々とする、規則や法律をすぐ盾に取る・・・。こんな雰囲気では「夢や熱」(コンゴーの創業者)などは出てこない。
個人的には、置き去りにしたもの、見失っていたものをシリーズで紹介してもらうことで、“あのころは”でなく“今”夢と熱のある人づくりのヒントを得たいと思っている。
この不況の中で新聞経営も相当厳しいということだが、西日本と熊日の元旦号を読み、「少し新聞が変わるかも知れない」と思ってしまった。
西日本新聞で最も印象深かったのは、「デスク日記」である。新年企画のきっかけが「社会面ばかり読んでいると、世の中の少年がみんな悪(わる)に見えてくる」という警察官の言葉だったことを披露している。
社会面は「残念ながら今も心温まる話題は少ない。話題がないわけではなく、ニュースかどうかが紙面掲載の優先順位だからだ」そうである。「だったら固定のコーナーを作りましょうよ」から新コーナー「あなたの物語 青空」を始めたという。
第一回目は、地域の見守りを日課にしている73歳の男性の話。筑紫野市の562世帯を軽トラックで回っているという。もちろんボランティアである。「あなたを支えますよと言うなら、言葉だけでなく、こちらが繰り返し繰り返し出向いていこうと思うんです。そうすれば必ず返ってきます」。8年前の冬、中学生が自死。その前の冬には高校生が犯罪に遭う。もう一人の不幸も見逃したくない。その思いが体を動かしているという話だ。
このコーナーでは、「この世は捨てたもんじゃない」というメッセージを発信していくという。
勝ち組や優秀な人の話など競争社会のエリート話だけでなく、目立たないけど人間らしい取組みを拾っていこうという視点だと思う。
西日本の記事を読んで、「たぶん熊日の記者たちも今年は違った動きをするだろう」と期待を持って読んでみた。
すると、やはり。「時代のコントラスト 熊本・1960年から半世紀」というシリーズ企画がスタートしていた。
記事は50年前の岩戸景気の繁盛ぶりを書いた後、熊本の有名企業「コンゴー」の創業者の談話を載せていた。
「今のような派遣労働もなく、社員は兄弟や家族のようなものだった」。増産続きの工場はランニング姿の従業員の熱気であふれ、新製品の開発・改良などで徹夜の残業もしょっちゅうだった。・・・確かに規則通り型にはまった仕事では売れる商品なんて作れない。
「人が人らしく泣き、笑い、怒っていた60年代の幕開けから半世紀。あらゆる分野でシステム化が進む一方、不況と社会の閉そく感が長引く中で、人々の心から喜怒哀楽がかすれてしまったように思える。世の中の色が「明」も「暗」もくっきりしていたころを振り返り、置き去りにしてきたもの、見失っていたものを考える」そうである。
だれかのせいにしたり、自分の責任は果たさずに権利ばかり主張、仲間意識も皆無で第3者的で評論家的な話を長々とする、規則や法律をすぐ盾に取る・・・。こんな雰囲気では「夢や熱」(コンゴーの創業者)などは出てこない。
個人的には、置き去りにしたもの、見失っていたものをシリーズで紹介してもらうことで、“あのころは”でなく“今”夢と熱のある人づくりのヒントを得たいと思っている。
Posted by わくわくなひと at
15:28
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