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Posted by おてもやん at

2011年07月26日

見えないものの価値 太宰府の宮司さん暗黙知を語る?

 趣味と実益を兼ねてですが、この数ヵ月、かなり無意識的な欲求も混じりながら「人は言葉より多くのことを知ることができる」という話しや事柄を追い求めています。山本安英さんの本に行き着いたのも、今の自分の流れであり、出会いは必然なのかも知れません。
 マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』を読んだのも、その欲求のなせること。序文の「・・・私は科学を感覚的認識の一変種と考え、・・・」を思わせる文章が24日付け西日本新聞一面「提論 明日へ」にありました。
 西高辻信宏さんという太宰府天満宮の宮司さんの一文です。東大、國學院大大学院、ハーバード大ライシャワー研究所の各員研究員という経歴。さすが学問の神様の宮司さんです。
 イギリス在住のアーティスト(概念芸術・観念芸術)、ライアン・ガンダーさんの質問を紹介しています。
「神道に匂いや音があるとすれば、それはどんな感じですか?」
「日本人は、なぜ目に見えない神様にお祈りするのか」


 この問いに衝撃を受けながらの西高辻さんの深い思索が書き留められていました。我々がふだん何気なく権威や拠り所としてきた「科学を感覚的認識の一変種と考え」るならば、こういうことだろうということが書いてありました。

 目に見えるものしか信じられないのではなく、「目に見えないもの」に大きな価値を見出す。目に見えなくても大切なもの、目に見えないからこそ大切に守り伝えなくてはいけないものを大事にする。そのような我々の潜在的な感覚をもう一度掘り起こし、日本人が本来兼ね備えている、「モノ」ではなく「見えないもの」を大切にする価値観を輝かせることが今後より一層求められているのではないだろうか。

 具体的には、お願いごとや感謝の気持ち、森羅万象の自然現象を肌で感じること、生かされているという深い感謝と畏敬の念、絆・思い遣り・敬意・感謝・礼儀・・・などが挙げられています。極論すれば、目に見えるものしか信じられない見方は、数字しか信じない人間力も評価力もないサラリーマン上司かも知れませんね(こんなのがいたなぁ)。
 今度、太宰府に行った時は、真摯に神様と向き合うようにしたいと思います。梅が枝餅は帰りに買うものだと思います。
  


Posted by わくわくなひと at 00:04Comments(9)