2011年12月18日
ジュンク堂とアマゾンで散財!購入本リスト
12月16日(金)午前中
口火は新天町の書店。何となく立ち寄ったのがいけなかった。
■松波晴人『ビジネスマンのための「行動観察」入門』講談社現代新書(2011年11月4日第二刷、2011年10月20日第一刷)、税別760円。
・メーカーの人やグルインの分析者の多くが行動観察の知識を持っています。この知識というかノウハウを持っていると、本音に迫ることができます。著者は大阪ガス行動観察研究所所長です。どんなことが書いてあるか楽しみだから、合間あいまに読んでいきます。
12月16日(金)午後7時から同9時
日経新聞の広告で、佐藤可士和推薦!スコット・ベルスキ『アイデアの99% 「1%のひらめき」を形にする3つの力』を見ましたので、西日本最大の書店「ジュンク堂」へ。ビジネス、マーケティングあたりを散策しましたがありません。そしたらアイデア関係のコーナーにありました。その横に置いてあるトミタ・ジュン『センスいいね!と言われる人の思考術』もついで買い。その後、哲学コーナーをまわっていたら、マイケル・ポラニー『創造的想像力』の中身を見て、これまた欲しいということになりました。後は心理学、精神科、教育学方面をうろうろしていましたが、「もうこれ以上は」と踏みとどまりました。
しかし、『マインドサイエンスの思想 心の科学をめぐる現代哲学の論争』をめくっていたら、今知りたいことがいっぱい書いてある。しかし、意志が強いので「もう買いません!」。
■スコット・ベルスキ『アイデアの99% 「1%のひらめき」を形にする3つの力』英治出版(2011年10月25日第1版第1刷)、税別1,600円。
・帯に、次から次へと新しいひらめきを生みだす天賦の才がなくても、この「アイデアを実現する」能力は私たちのだれもが身につけることができます。→うーん。ガードナーやチクセントミハイが言っていることとは違います。どんなことを言っているか、読まんといかんです。
■トミタ・ジュン『センスいいね!と言われる人の思考術』アチーブメント出版(2011年9月30日第一刷)、税別1,400円。
・協力:慶応義塾大学SFC研究所 坂井直樹研究会、コシノジュンコ氏推薦!とありました。アメリカで活躍する日系デザイナーの本です。Thinking Techniques to Enhance Your Creative Sensesという英語の副題の方が具体的でもっと読みたくなりましたね。
■マイケル・ポラニー『創造的想像力』ハーベスト社(2007年7月1日増補版第1刷、1986年12月10日第1刷)、税別1,800円。
・“暗黙知”を言い出したポラニー先生の本は、目から鱗を感じることが多い。科学的な見方を絶対視しないポラニー先生が何と言っているか早く知りたいです。
12月17日(土)午前中
エドワード・デボノの本を手に入れたくてAmazonを検索。あれもこれも読みたい本が連鎖的に出てくるので、ついつい手が出てしまいました。すべて古本を購入。
■エドワード・デボノ『“水平思考の世界?”電算機時代の創造的思考法(1969年)』、1,492円(送料込み)。
■オズボーン、アレックス・F『創造力を生かす?アイディアを得る38の方法』、1,242円(送料込み)
■ポール・スローン『ポール・スローンのウミガメのスープ』、747円。
■ポール・スローン『イノベーション・シンキング』867円。
■星野匡『発想法入門』日経文庫、379円。
■川喜多二郎『「野生の復興」?デカルト的合理主義から全人的創造へ』、324円。
■川喜多二郎『発想法?創造性開発のために』中公新書、313円。
■川喜多二郎『続・発想法』中公新書、530円。
■川喜多二郎『創造性とは何か』祥伝社新書、450円。
■野口悠紀雄『「超」発想法』講談社文庫、77円
12月17日(土)夕方
やはり『マインドサイエンスの思想 心の科学をめぐる現代哲学の論争』が気になって仕方がない。それで再度、ジュンク堂書店へ。それと、独創力の評価尺度を何としても手に入れたい。
■石川幹人・渡辺恒夫編『マインドサイエンスの思想 心の科学をめぐる現代哲学の論争』新曜社(2004年11月15日初版第1刷)、2,800円(税別)
・行動主義、認知科学、認知神経科学が統合されるいく可能性があること、ゲシュタルト心理学が社会心理学として発展していること、精神分析が臨床心理学として発展していることなど、今の自分のポジショニングを知るための必読書でした。
■上里一郎『心理アセスメントハンドブック 第2版』西村書店(2008年3月20日第2版第3刷、1993年9月20日第1版第1刷)、14,000円(税別)
・午前中から午後にかけ、GuilfordのThe measurement of individual differences in originalityのことをネットで少し調べていました。たぶん今は下火になっていることだろうと思い、少しでも最近のThe measurement of individual differences in originalityはないかと思っていました。高価な本ですが、1973年に文部省の科学研究費助成を出発点にして出来上がった「TCT創造性検査」について触れてあったので購入することにしました。
もうしばらくは本屋さんから遠ざかります。アル中ではなく本中です。
Posted by わくわくなひと at
16:26
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2011年12月18日
創造力は訓練可能か?茂木健一郎とガードナーの考え
この本には、茂木健一郎『ひらめきの導火線 トヨタとノーベル賞』PHP新書(2008年9月2日第1版第1刷)に書いてあった以下の内容と異なると思われる見解が書いてあった。
「創造性を高めたければ、意欲と経験を結ぶ回路をうまくつなげるようにすればいい。回路は日々使えば使うほど太くなり、創造性は増強されていく。反対に、ごくたまにしか使わないと回路は細ってしまう。習慣化によって、だれもがひらめきの力を高めることができる。」
考察は別にして、「第4章 創造する心」の以下の内容は書き写して保存しておくことにした。pp108-111
かつて創造性といえば、「神や時の運によってもたらされるもの」といわれることが多かった。創造の理論を編む人々は好んで、「創造をもたらすのは、神秘的なインスピレーションを得た特別な人間に限られる」という考え方をした。だがやがて、その偶像を破壊しようとする人々も現れ始め(エドガー・アラン・ポーのように)、人間による創造は、解明できる、厳密な論理的過程に沿って進められていると主張した。それからさらに半世紀が過ぎると、心理学分野で、知性という観点から創造性をとらえる動きが始まる。
が、心理学者たちもつい最近まで、創造性はやはり限られた人々の特性で、しかも筆記試験で測れるものだと(どの分野であれ「創造的」といわれる人であれば、それを試験結果に表すはずだと)考えていた。創造性をテストする問題の原型を並べてみよう。「クリップの使い道を思いつくかぎり挙げよ」「この落書きのタイトルを想像してつけよ」「次の二つの言葉と結びつく言葉を選べ(「ねずみ」と「農家」を「チーズ」に結び付ける、など)・・・。どの知識分野であるかを問わず、こうした試験の最終結果で潜在的な創造力を測ろうとしたのだ。
この考え方はビジネスの世界にも応用された。立役者はおそらく、博識家のエドワード・デボノだろう。彼が強調したのは「水平思考」-思考の枠組みを入れ替えて「違う色の帽子(違う発想方法)」をかぶること-だ。それにより、日ごろから抱え込んでいるジレンマにも、数多くの独創的な解決策が出せるようになる(1)・・・。デボノは、思考について思考すること(「メタ思考」と呼んでもよいが)の重要性を説き、実に多くの興味深い問題とユニークな解決策を示している。その点では評価できる。だが、創造性は法則化できる能力で、すぐにでも引き上げられるものだとする見方には明らかに限界がある。
そのことを示すように、多くの社会学者が近年、デボノと意見を異にするようになった。彼らは次のような事柄を前提にする。
まず、各種の創造的な取り組みのあいだには、あまり強い関連性がないこと。一口に創造的な行為といっても、種類はさまざまだ。難しいとされてきた問題を解明すること(「DNAの構造」についてなど)、新しい謎や理論をしかけること(物理学の「ひも理論」など)、仕事の新しいジャンルを生み出すこと、オンラインで現実的または擬似的な戦いをくり広げること(値動きの激しい株の売買の決定など)・・・。つまり、「問題を解決すること」のために使われる創造性など、数ある創造性のなかの一種類にすぎないのだ(数学者としては創造的でも、討論者として創造的であるとはかぎらない。)。
次に、創造的な成果にも、小品(「生け花の新しいデザイン」)から大作(「関連性についての理論」)まで、さまざまな規模があること。
さらに、ここがとくに重要だが、分野が違えば、創造的な人間どうしであっても仕事を交換することはできないということ。モーツァルトやヴァージニア・ウルフに、ベラスケスやキュリー夫人の代わりはできない。
これらの前提は、標準的な心理学によって掲げられ、デボノによって広められた「万能サイズ」の創造性-とは対立することになる。
心理学者のミハイ・チクセントミハイの重要な考察によると、創造性とは一個人、あるいは一つの小さな集団によって形成されるものではない。そうではなく、次の三つの自立した要素が交わることで、ときとして姿を見せるものだ。
①個人:学問か熟練技能を駆使して、その分野に着実に変化を与えることのできる人(たとえば歴史学者、作曲家、ソフトウェア・エンジニアを指す)。
②文化圏:規範や規定が確立されている文化的領域(たとえば学術論文、楽譜、HTMLのプログラムそのものを指す)。
③社会領域:教育や実践の機会を得るところ。それぞれの領域を代表する人々(競技の審判、特許庁の事務員、本の出版を取り決める編集者や出版社など)が、個人の業績や創造物について最終的な判断を下す。「商業」という社会領域で最終的な判断を下すのは、もちろん「消費者」だ。(2)
チクセントミハイによると、創造性が実現したといえるのは次の場合だけだ。まず、ある「文化圏」から生まれたものが、「社会領域」のなかで画期的だと認められる。そしてその文化圏で行われる仕事に、遅かれ早かれ、目に見える形で影響が表れる・・・。
この見方は、分野や規模に関係なく、あらゆる創造物(「小品」から「大作」まで)にあてはめることができる。
1900年当時の世界では、数多くの卓越した物理学者や数学者が、光、重力、時間、空間の性質について未解明の問題に取り組んでいた。それぞれの学問の大家が、理論の構築や経験に基づく推測を進めていた。そして少し離れた場所では、特許局の無名の事務員であるアルベルト・アインシュタインが、画期的な論文の数々を書いていた。だが本当に優れた論文なのか、たんに奇をてらったものにすぎないのか、博学な編集者らがその価値を見出すまでだれにもわからなかった。その段階ではまだ、創造性が実現したとはいえないことになる。ジェームズ・ジョイスの作品も、ピカソの絵も、アルフレッド・P・スローン、マイケル・ポーター、ピーター・ドラッカーの経営理論も、ワーグナー、デューク・エリントン、ジョン・レノンの音楽作品も、ケインズとミルトン・フリードマンの経済理論も、同じような経過をたどってきたのだ。
創造性を確実に測るには、実はこの質問をするだけでよい。「その文化圏には、あなたの業績による影響がはっきりと表れていますか?」。
喜ぶべきことが一つある-法律で定められた判断基準があるわけではないのだから、自分自身が創造的でなかったという保証はどこにもないということだ。
Posted by わくわくなひと at
14:25
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