2011年12月30日
経営者の視点で観た映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」
「聯合艦隊 山本五十六」を博多駅のシネコンで観ました。
CGや特撮の技術がずいぶん進化しており、往年の聯合艦隊がスクリーン上で復活した様に驚きました。零戦などの飛行機や長門などの戦艦、赤城や飛龍などの航空母艦などのディティールが忠実に再現してあり、少年時代のプラモデルマニアとしては満足のいく出来だったと思います。
もう一つ驚いたのは、ストーリーの読み方というか、どんなところに自分が関心を持って映画を観たかということです。
経営学者の野中郁次郎さんの『失敗の本質』という本があります。この本では太平洋戦争での日本軍の失敗事例を分析しています。映画で特に印象深かったことを思い出してみると、まさに『失敗の本質』の視点で観ていたことに驚きました。
事が起こった後で人を批判するのはたやすいことですが、いざ、自分が限られた情報の中でいかに判断や決断をしていくかと思うと何とも心許ない。判断や決断力を養うには、人や環境、歴史のせいにしないで、自らができることは何か、自分だったらどう判断したか-など機会を見つけて自分を真摯に鍛える以外にないと思いました。
特に注目した点は、以下の通りです。
■聯合艦隊司令長官の人事
・山本五十六が聯合艦隊司令長官に就任すると同時に、空母などで構成する機動部隊の司令長官(第一航空艦隊司令長官)には「艦隊派(戦艦を中心とした戦い方を推進)」の南雲忠一が就任。山本は当時、補助兵力と考えられていた飛行機や空母の拡充を進めた人ですが、飛行機や空母で構成する機動部隊は艦隊派の中心人物が指揮する人事とな映画ではこの人事が後々大きな影響を与えていくように描いてありました。
・海軍内の派閥のバランスをとった人事がなされた。もしくは山本が聯合艦隊司令長官となっても艦隊派の軍令部の意向で指揮がとれるような人事がなされたということです。映画のストーリーは、これが“失敗”の大きな要因として描かれているような感じがしました。
・戦争が終わって、後からみると、「なんでこんな人事をするのか」となりますが、日本の大きな組織では今もこういう人事は行われていそうですね。それも、組織の崩壊をきたすような過激な人事をあえて行えるかどうか?自分の感覚では、山本のようなイノベーター的な性格を持った人は人事にあまり関心がない人が多いような気がします。
■ミッドウエー沖で敵空母の存在を知らせる電波を傍受
・機動部隊の後方に位置する戦艦を中心とした主力部隊が味方潜水艦から「敵空母らしき通信を傍受」という報告が山本のもとに届きます。山本は「南雲(空母赤城)に伝えなくてもよいか」と参謀に打診しますが、参謀は「おそらく赤城も傍受している。しかも、主力部隊の位置を敵に知られないため無線は封鎖中です」と回答。山本も、うなづきます。
・聯合艦隊司令長官という立場が、実際の作戦(現場の作業)は部下に任せるということでしょうか。ハワイ攻撃の時も、参謀が「第二次攻撃」を進言するなかで南雲司令長官は「全艦無傷で帰投する」選択肢を選びます。この時も山本は「南雲にも考えがあるのだろう」と部下の決断を消極的に認めます。
・一方、昭和19年のレイテ沖海戦の際、ハルゼーが率いるアメリカの機動部隊が日本の囮艦隊にまんまと引き寄せられている間に、日本の主力艦隊が攻撃目標であるレイテ湾近くに迫っていくという場面がありました。この時、アメリカ海軍の総指揮者であるニミッツ提督が暗号ではなく平文で「世界中がハルゼーの機動部隊がレイテ湾近くに戻ることを望んでいる」というような電信を送っています。
・リーダーは部下の判断をどの程度まで容認すべきか。リーダーは現場の作業にどこまでコミットすべきか。なかなか結論がでない重要な課題です。
CGや特撮の技術がずいぶん進化しており、往年の聯合艦隊がスクリーン上で復活した様に驚きました。零戦などの飛行機や長門などの戦艦、赤城や飛龍などの航空母艦などのディティールが忠実に再現してあり、少年時代のプラモデルマニアとしては満足のいく出来だったと思います。
もう一つ驚いたのは、ストーリーの読み方というか、どんなところに自分が関心を持って映画を観たかということです。
経営学者の野中郁次郎さんの『失敗の本質』という本があります。この本では太平洋戦争での日本軍の失敗事例を分析しています。映画で特に印象深かったことを思い出してみると、まさに『失敗の本質』の視点で観ていたことに驚きました。
事が起こった後で人を批判するのはたやすいことですが、いざ、自分が限られた情報の中でいかに判断や決断をしていくかと思うと何とも心許ない。判断や決断力を養うには、人や環境、歴史のせいにしないで、自らができることは何か、自分だったらどう判断したか-など機会を見つけて自分を真摯に鍛える以外にないと思いました。
特に注目した点は、以下の通りです。
■聯合艦隊司令長官の人事
・山本五十六が聯合艦隊司令長官に就任すると同時に、空母などで構成する機動部隊の司令長官(第一航空艦隊司令長官)には「艦隊派(戦艦を中心とした戦い方を推進)」の南雲忠一が就任。山本は当時、補助兵力と考えられていた飛行機や空母の拡充を進めた人ですが、飛行機や空母で構成する機動部隊は艦隊派の中心人物が指揮する人事とな映画ではこの人事が後々大きな影響を与えていくように描いてありました。
・海軍内の派閥のバランスをとった人事がなされた。もしくは山本が聯合艦隊司令長官となっても艦隊派の軍令部の意向で指揮がとれるような人事がなされたということです。映画のストーリーは、これが“失敗”の大きな要因として描かれているような感じがしました。
・戦争が終わって、後からみると、「なんでこんな人事をするのか」となりますが、日本の大きな組織では今もこういう人事は行われていそうですね。それも、組織の崩壊をきたすような過激な人事をあえて行えるかどうか?自分の感覚では、山本のようなイノベーター的な性格を持った人は人事にあまり関心がない人が多いような気がします。
■ミッドウエー沖で敵空母の存在を知らせる電波を傍受
・機動部隊の後方に位置する戦艦を中心とした主力部隊が味方潜水艦から「敵空母らしき通信を傍受」という報告が山本のもとに届きます。山本は「南雲(空母赤城)に伝えなくてもよいか」と参謀に打診しますが、参謀は「おそらく赤城も傍受している。しかも、主力部隊の位置を敵に知られないため無線は封鎖中です」と回答。山本も、うなづきます。
・聯合艦隊司令長官という立場が、実際の作戦(現場の作業)は部下に任せるということでしょうか。ハワイ攻撃の時も、参謀が「第二次攻撃」を進言するなかで南雲司令長官は「全艦無傷で帰投する」選択肢を選びます。この時も山本は「南雲にも考えがあるのだろう」と部下の決断を消極的に認めます。
・一方、昭和19年のレイテ沖海戦の際、ハルゼーが率いるアメリカの機動部隊が日本の囮艦隊にまんまと引き寄せられている間に、日本の主力艦隊が攻撃目標であるレイテ湾近くに迫っていくという場面がありました。この時、アメリカ海軍の総指揮者であるニミッツ提督が暗号ではなく平文で「世界中がハルゼーの機動部隊がレイテ湾近くに戻ることを望んでいる」というような電信を送っています。
・リーダーは部下の判断をどの程度まで容認すべきか。リーダーは現場の作業にどこまでコミットすべきか。なかなか結論がでない重要な課題です。
Posted by わくわくなひと at
12:45
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