2011年08月11日
子ども・初心者向け=くだいた本、やさしく書いた本ではない
なだいなだ『心の底をのぞいたら』ちくま文庫(2006年5月10日第16刷、1992年1月22日第1刷)。一月前ほどに読んでいましたが、「そうか!なるほど」と思うことがたくさん書いてありました。
この本はもともと1971年に筑摩書房が刊行した「ちくま少年図書館12」の内容を文庫本にしたということです。
「著者自身による解説」をみると、
『子供向けの入門書、それぐらいなら平凡な臨床医のぼくにも書けそうだと思って、気軽に引受けた。しかし、このシリーズの本が次々と出はじめると、ぼくは後悔した。松田道雄氏の「恋愛なんかやめておけ」や藤森栄一氏の「心の灯」といった作品の持つ衝撃力に、子供の本というものを安易に考えていたぼくは、突きとばされたような気分だった。そして、いわゆる「くだいた本」「やさしく書いた本」を書いてはなるまい、と思ったのである。
「心の底をのぞいたら」は、だから、心理学の入門書ではない。ぼくが、心理学をどういうものと思っているか、を書いた本である。心理学の入門書として読むなら、こんな不完全な本はない。また、こんなにもかたよった本はないだろう。・・・』
この考え方には同感します。若いころに、子供向けだから入門者向けだからといって短絡的に「くだいて、やさしく書きなさい」とよく言われてきました。そう言う人の書いた文章を読んで、文章は平易に書いてあるが何も伝わってこないと思うことが少なくなかったようです。
なだいなださんの文章を読んで大学の講義を思い出しました。決して教科書のように定説ばかりを語るのではなく、研究者が思い悩み発見したことを語る時のエネルギーと衝撃を思い出しました。
子どもにこそバランスはとれていないかも知れないけれど、仮説を立てたり発見したりする時のエネルギーと衝撃を伝えるべきではないかと思いました。
次のおばけの話は、妙に印象的でした。そう言われればそうだなと。
(40頁)
おばけの話が人間によって作られたのは、昔だ。しかし、昔といっても、それほど大昔のことではない。かなり文明が進んできてからだ。それは、おばけの着ている服装を見てもわかる。原始時代のおばけなんて話は、あまり聞かない。はだかの女のおばけが出て、それが毛皮のこし巻きをしていたなんていわれても、あんまりこわくない。その時代には、人間がおばけを考えださなかったのだろう。「聖書」にも、おばけの話はないようだし、ギリシャ時代の本にも、怪物の話はあっても、おばけの話はない。そして、怪物もただこわがられることはなく、人間がたたかって勝ったり負けたりしている。
おばけらしいおばけが出てくるのは、中世になってからのようだ。宗教が、死んだあとの人間の生活を教え、いま自分の生きている世の中での道徳を、死んでからのちの生活のためにたいせつにするように教えたことと、おばけとは関係があるにちがいない。おばけの話は、よく聞くと、とても道徳的で、お説教くさい。おばけは、死んだものが復讐することで、正義を教えるようになっていたり、死者に対する儀礼をおもんじさせる意味があったりする。
後は、個人的な備忘録です。
(18頁)
・・・意志の強さや弱さを測るものさしはない。意志のかたさや、やわらかさを調べる機械があるわけではない。人間のやっていることや態度を見ていると、ただ、そんな感じがしてくるのだ。だから、お酒がやめられないでいる人を見ると「あの人は意志は弱い」という。そして、その人が、ある日から、ぷっつりとお酒を飲まなくなると、「あの人は、あんなに好きだったお酒をやめるなんて、たいへんに意志の強い人だ」という。意志が、ほんとうに、強かったり、弱かったりするものだったら、何十年も弱かったものが、一日で手品みたいに強くなるはずはない。木が鉄に変わるような、手品みたいなことが起こることはない。強い、弱いは、たとえで、その人の与える感じを説明することばであるだけだ。
(55頁)
・・・あるものは、人間は努力しだいで成功すると信じている。そう信じることで、安心している。
君は、それをどう思う。これは、ある意味ではいいことだ。人間は信じることで安心できるし、よい行動をするように仕向けられる。しかし、つごうの悪い面も持っていると、ぼくは思う。正直者はけっして不幸にならないと信じているものは、不幸になった人間は、不正直だと思うことになるからだ。人間は努力しだいで、かならず成功すると思っている人間は、失敗して苦しんでいる不幸な人間を、みんな努力のたりないなまけものだと、きめてしまう。こうした考えが、この世の中の不幸な人たちを罪のない、ただ運の悪いだけの人たちとして、みんなで助けて平和な世界を作ろうとするのを邪魔するのである。
この本はもともと1971年に筑摩書房が刊行した「ちくま少年図書館12」の内容を文庫本にしたということです。
「著者自身による解説」をみると、
『子供向けの入門書、それぐらいなら平凡な臨床医のぼくにも書けそうだと思って、気軽に引受けた。しかし、このシリーズの本が次々と出はじめると、ぼくは後悔した。松田道雄氏の「恋愛なんかやめておけ」や藤森栄一氏の「心の灯」といった作品の持つ衝撃力に、子供の本というものを安易に考えていたぼくは、突きとばされたような気分だった。そして、いわゆる「くだいた本」「やさしく書いた本」を書いてはなるまい、と思ったのである。
「心の底をのぞいたら」は、だから、心理学の入門書ではない。ぼくが、心理学をどういうものと思っているか、を書いた本である。心理学の入門書として読むなら、こんな不完全な本はない。また、こんなにもかたよった本はないだろう。・・・』
この考え方には同感します。若いころに、子供向けだから入門者向けだからといって短絡的に「くだいて、やさしく書きなさい」とよく言われてきました。そう言う人の書いた文章を読んで、文章は平易に書いてあるが何も伝わってこないと思うことが少なくなかったようです。
なだいなださんの文章を読んで大学の講義を思い出しました。決して教科書のように定説ばかりを語るのではなく、研究者が思い悩み発見したことを語る時のエネルギーと衝撃を思い出しました。
子どもにこそバランスはとれていないかも知れないけれど、仮説を立てたり発見したりする時のエネルギーと衝撃を伝えるべきではないかと思いました。
次のおばけの話は、妙に印象的でした。そう言われればそうだなと。
(40頁)
おばけの話が人間によって作られたのは、昔だ。しかし、昔といっても、それほど大昔のことではない。かなり文明が進んできてからだ。それは、おばけの着ている服装を見てもわかる。原始時代のおばけなんて話は、あまり聞かない。はだかの女のおばけが出て、それが毛皮のこし巻きをしていたなんていわれても、あんまりこわくない。その時代には、人間がおばけを考えださなかったのだろう。「聖書」にも、おばけの話はないようだし、ギリシャ時代の本にも、怪物の話はあっても、おばけの話はない。そして、怪物もただこわがられることはなく、人間がたたかって勝ったり負けたりしている。
おばけらしいおばけが出てくるのは、中世になってからのようだ。宗教が、死んだあとの人間の生活を教え、いま自分の生きている世の中での道徳を、死んでからのちの生活のためにたいせつにするように教えたことと、おばけとは関係があるにちがいない。おばけの話は、よく聞くと、とても道徳的で、お説教くさい。おばけは、死んだものが復讐することで、正義を教えるようになっていたり、死者に対する儀礼をおもんじさせる意味があったりする。
後は、個人的な備忘録です。
(18頁)
・・・意志の強さや弱さを測るものさしはない。意志のかたさや、やわらかさを調べる機械があるわけではない。人間のやっていることや態度を見ていると、ただ、そんな感じがしてくるのだ。だから、お酒がやめられないでいる人を見ると「あの人は意志は弱い」という。そして、その人が、ある日から、ぷっつりとお酒を飲まなくなると、「あの人は、あんなに好きだったお酒をやめるなんて、たいへんに意志の強い人だ」という。意志が、ほんとうに、強かったり、弱かったりするものだったら、何十年も弱かったものが、一日で手品みたいに強くなるはずはない。木が鉄に変わるような、手品みたいなことが起こることはない。強い、弱いは、たとえで、その人の与える感じを説明することばであるだけだ。
(55頁)
・・・あるものは、人間は努力しだいで成功すると信じている。そう信じることで、安心している。
君は、それをどう思う。これは、ある意味ではいいことだ。人間は信じることで安心できるし、よい行動をするように仕向けられる。しかし、つごうの悪い面も持っていると、ぼくは思う。正直者はけっして不幸にならないと信じているものは、不幸になった人間は、不正直だと思うことになるからだ。人間は努力しだいで、かならず成功すると思っている人間は、失敗して苦しんでいる不幸な人間を、みんな努力のたりないなまけものだと、きめてしまう。こうした考えが、この世の中の不幸な人たちを罪のない、ただ運の悪いだけの人たちとして、みんなで助けて平和な世界を作ろうとするのを邪魔するのである。
Posted by わくわくなひと at 16:54│Comments(0)