2011年06月25日
“美にうたれる”・・・中井正一『美学入門』を読む
阿修羅像を見て感動して以来、頭のどこかで“美”というものや、なぜ阿修羅像に衝撃を受けたのかが気になってきた。
そういうこともあり、『美学入門』と書かれた背表紙に反応してしまった。中井正一『美学入門』中公文庫(2010年6月25日初版)という文庫本である。
「美しいこととは何であるか、芸術とは何であるかを考えたずねてゆくことが美学なのである。」と最初の頁に書いてあった。
しかし、次の頁に「第一に自然の美しさとは何であろう。空、海、山河、あの大自然の美しさ、鳥や花、あるいは人の体の美しさでもやはり自然の美しさなのである。それらのものがなぜ美しいのであろう。この問題はまだ解けきれてはいない。実に数千年の間、人々はこの難しい問題の前にわからぬままに頭をたれているのである。しかし、いろいろの疑問をなげかけている。この疑問の数々が、美学の歴史にほかならないともいえるのである。」とも書いてあった。つまり、永遠のテーマについての入門書が本書の中身ということらしい。
昨日、大牟田から天神に向かう西鉄電車の中で読了した。美をテーマにした哲学や歴史観が見事にまとめられている。この文庫の底本は、1951年、河出書房「市民文庫」と書いてあるので、ずいぶん前の文章ではある。しかし、今、読んでも今日的な内容であり、その思索の深さと教養の幅に驚いてしまった。
この本で「こうして、すべての研究が国家的なスケールでもって、部署的な組織でもって、構成されようとしているのである。ここに新しく機械時代の認識論の基礎が生まれ出ようとしているともいえる。何びともが、その組織に属することによってのみ、その対象の感覚的素材もはじめて適格に把握し得るという段階の文化が出現しようとしているのである。」と予言のように書いてあったが、今はまさにそうなっている(なろうとしている?)。しかし、システム化やプロジェクト化がうまくマネジメントされて進む中で、一人ひとりは部品と化し、思索力や教養の幅、人の力は中井さんにはるかに及ばないのではないかと思ってしまった。
著者の中井さんは、戦前は京都大学文学部大学院の教授で、日本史の教科書にも出てくる滝川事件とも関係ある方である。戦後は国会図書館や尾道市立図書館長を務められ、この本を書かれた翌年52歳で亡くなられたと解説に書いてあった。
以下は書き留めておきたい内容。美学そのものの内容より、特に認識論や独創性に関係する部分に、つい関心がいってしまった。見出しは個人向けの引き出し用(中井さん作ではありません)。
11頁 美にうたれる
・・・自然の景色の中につつまれ、「ああいいな」とうっとりとその中に吸い込まれていくことがある。この時私たちは、宇宙の秩序の中につつまれることで、その中に引き込まれて、自分の肉体もが意識しないけれども、じかに、直接に響きあっているのである。美に打たれるというこころもちはこんなことではあるまいか。
12頁 「しづかに観ずれば、物、皆自得す。」(芭蕉)
芭蕉が、「しづかに観ずれば、物、皆自得す。」といっているように、この時、物、皆の姿が、しみじみと芭蕉に伝わり、それを追求するために、年老いた彼をして、死を賭して旅に出しむるほど、美は強い力を持っているのである。
22頁 「ああこれだ」といえる充ち足りたこころ
この探し求めることの自由、そして探し得た時の「ああこれだ」といえる充ち足りたこころ、これがみんな、芸術家のもつ、自由へのもがきから生まれるのである。本当の自分にめぐり逢ったという自由への闘いなのである。
この境地を、芸術の美しさを求める苦しみというのである。人々は、その芸を見、聞いて、その芸術家を打ったものが自分に伝わり、また、芸に打たれるのである。
25頁 「しびれるようなよろこび」
・・・万人が見て、仰いでいよいよ高く感ずる、何ともいえない芸道を感ずる、芸の鬼といった凄みを感ぜしむることになるのである。この世界が本当は、自分が本当の自分にめぐり逢うかどうかを、定めることの出来る世界なのである。ほんとうの幸福、芸術だけにあるところの「しびれるようなよろこび」は、ここから生まれるのである。芸術のいわゆる醍醐味という世界である。
31頁 中宮寺の観音のような古代の微笑の数々
私も、戦争に反対したというので、特高に引っ張られて・・・突然、私には、この現実が巨大というか「現実とはそんなものだったのか」そうだったのか、自分の前にそそり立ったのを憶えている。それは巨大な現実ともいうべき世界が、眼前に現われた思いであった。そして突然、古代の微笑の数々が、例えば、中宮寺の観音のような、古代の彫刻によく彫られているほほえみが、自分の眼の前を横切ったように思ったのであった。
43頁 さらさら流れる水のような美しさ
日本人の美の理想は、芭蕉にいわしむれば、浅い川を流れる水のように、あくまですがすがしく、清らかで軽くて、とどこおりなく、明るくて、さやけさとでもいうようなものが、美しいとされるのである。もったいぶったものは、それがちょっとであっても、臭みとか、重みとかいって嫌うのである。万葉の「さやけさ」、中世の「数寄」あるいは「わび」あるいは「物のあわれ」、さらには江戸にいたっていう、「いき」にしても、皆、とどこおるもの、もったいぶるもの、野暮なものから脱け出して、さらさら流れる水のような美しさが、よろこばれるのである。中国の美しさから、日本の美しさに移るとき、ちょうど、いかめしい、重たい「漢字」の美しさから、さらさら流れる「仮名書き」の字の美しさにうつったような、そんな軽みが日本特有の美しさとして現われるように思われる。
茶室の柱や屋根は、ギリシャ建築の柱のように、いかめしくもなければ、教会建築のように、天を貫いてもいない。実に寂かに、軽く、宇宙の今と、ここに静まりかえっているといった感じでそこにあるのである。
48頁 「ハハア、これか」とわかること
誰がどういった、こういったと理屈をこねるよりも、この困難な訓練の中に飛び込んでみると、それらのもののいったことの中の、一番本当のことが「ハハア、これか」とはじめてわかって来るのである。行動と実践が大切だというのはこのことである。・・・
・・・
この訓練と行動を尊ぶ心は、実は、大きな現実への信頼があってはじめて出来ることである。現実の中に「論理的なもの」「正しいもの」が必ずひそんでいることを、信頼し切っている証拠なのである。
これは大変なことなのである。自分の肉体を信じ、この世界を信じ、歴史を信じ、人類全体を信ずることなのである。
50頁 「あっ」と叫ぶようなめぐり逢い
だから芸術は、時間だろうが、空間だろうが、光だろうが、音、言葉など、何でも媒介として、人々の感覚にうったえるもの全部を、生きている色々の調子で、どんなにでも変えてくるのである。しかし、これらのものを、自由に変える奔放自在な欲望が生まれ、またそれらのもを変える権利をもったものは、それを生みだすものが、つまり自分が、「今」と「ここ」に本当に生き、「あっ」と叫び声をあげるような生命にめぐり逢った時だけなのである。・・・
56頁 打ち寄せる波のような新しい自分とのめぐり逢い
美とは、自分にまだわからなかった自分、自分の予期しなかった、もっと深いというか、もっと突っ込んだというか、打ちよせる波のように、前のめったというか、自分が考えている自分よりも、もっと新しい人間像としての自分にめぐり逢うことである・・・
64頁 それはすでに止まれるもの
・・・例えばベルグソンの哲学のごとき、生命は常に脈動し、飛躍しておるものであるにもかかわらず、われわれがそれを捕えて見るとき、あるいは考えてみるとき、それはすれに止まれるもの、いわゆる過去のものとして捕えられるのである。・・・
65頁 真のリアルはリアルを超えるときも
・・・真にリアルであるためには、われわれはリアルを越えなければならないときもあるのである。→スピルバーグの戦争映画のスローモーション?リアルさを強調した映画でリアルさを感じないことがあるのは、このことか。
133頁 自分から抜け出したい自分の弱さ
自分から抜け出したい自分の弱さにあきあきしていながら、しかも、脱出しきることの出来ない嘆き、これが現代の自我の本当の姿ともいえるのである。そこには、一刻一刻と流れ去りつつある自分があるだけであって、本当の自分というものに巡り会えないでいる。こんな心持ちがいうにいえない現代の「不安のこころ」である。シュールリアリズムの芸術の底を流れる寂しさも、かかるものがその底を流れている。
プルーストがいつもいうところの「認識の達しない深みにおいて、自分自身に巡り会う」という言葉は、こんな淋しい魂が、今こそ、本当に生きているという時間を持ちたいという願いのあらわれである。彼が「時間から解放された一瞬間は、汝の心のうちに、時間界から解放された人間を創造した」といっているのもそれである。こういう時間をもちたいというのが現代人の切実な願いとなって来ているのである。
135頁 知識は死んだ時間、意志は未来の世界
・・・要するに、もはや、知情意といったような自分の中に三つの玉のような、「魂」がごろごろところがっているというような考え方は、もはや、私たちに用の無いものとなってしまったのである。むしろ「知識」とは、流れている時間を、ふりかえって、記憶として、固定してみる立場であって、もはや、死んだ時間である、・・・味気ないものであり、こわばった影の世界にしかすぎないと、考えられるのである。それに反して、「意志」の世界は、丸い玉のような魂でなく、時間でいうならば、未来のような世界である。存在でいうならば、これから可能な世界である。つまり、丸い玉(魂)ではなくして、それは、時間の中に、ばらばらにときほぐされてしまっていると考えられるべきである。
136頁 「はっ」と思うような美しい瞬間
日本の芸術論の中に、「人の神(シン)を見ること飛鳥の目を過ぐるが如し、その去ること速かなれば速かなるほどその神(シン)いよいよ全し」というような言葉があるように、「はっ」と思うような美しい瞬間、それをむしろ、現代では、芸術的時間とか、「永遠の一瞬」とか言って、特別の芸術の世界と考えるのである。ここでも、環状は、もはや「魂」ではなくして、時間の中に、ときほぐされて、とけ込んでしまっているのである。
かく考えてくると、もはや、知情意は、認識能力としての、「魂」の力ではなくして、時間の三つの姿と変わってしまっている。したがって、三つの「魂」を握りしめている自我は、分裂してしまって、時間の中にばらばらになり、宇宙の中に色々な角度で関係をする時間の在り方の中にとけ込んでしまうのである。芸術論も、その線にしたがって、その姿を変えて来たわけである。
「造化にしたがい、造化にかえる」とか、「竹にことは竹にならえ」など芭蕉がいっているが、何か造化に、今しも随順した、うちのめされた、「ああ、お前もそうだったのか」と手をさしのばしたくなる造化に触れた時、人々は、一つの長い息を吐くのではあるまいか。「寂かに観ずれば、物皆自得す」というここともちもそれはあるまいか。これは深浅もあり、大小もあろうが、多かれ少なかれこんな心持のあるとき人々は大いなる時間が、宇宙と共に流れており、それは時計で、はかりようもないと思わざるを得ないのではあるまいか。こんな心持ちを、ハイデッカーは「生きた時間」といっているのであろう。
・・・
山本安英さんの『鶴によせる日々』を読んでいると、次の文章にであった。
「しんとした空気の中に、さらさらという流れの音にまじって、何やら非常に微かな無数のさざめきが、たとえばたくさんの蚕が一勢に桑の葉を食べるようなさざめきが、いつの間にかどこからともなく聞こえています。
知らないうちに流れのふちにしゃがみこんでいた私たちが、ふと気がついてみると、そのさざめきは、無数の細いつららの尖からしたたる水滴が、流れの上に落ちて立てる音だったのです。そう思ってそこを見ると、その小さい水玉たちは、僅か三四寸の空間をきらめいて落ちて行きながら、流れている水面にまた無数の微かな波紋を作って、この美しい光の交響楽は、ますますせんさいに捉えがたいせんりつを織り出しているのでした。そうしてその、きらめきわたる光りの帯をとおして、澄み切った水の底に、若い小さい芹の浅緑が驚くほどの鮮やかさでつつましく見えていました。」
山本さんは、いつ思い出しても、夢ではないかと思われる美しい童話の世界だったと思いかえしている。そして、それをいかに演劇の世界に生かすべきか、または、この世界を知ったものが、いかに演劇の中で「生きて行く」べきかを思い悩んでいる。
まことに、ワイルドの言葉のように、
「今、見ていることが、一等神秘だ」
と思われる瞬間がある。神秘と思えるほどあざやかな現実が突如眼前にあらわれることがある。山本さんの場合も自然を通して認識の達しない深みにおいて、自分自身にめぐりあっているのではあるまいか。
それは、逆説的にいえば、また同時に、そのめぐりあったとは、その自分に袂別し、自分と手をわかち、新しい未来の中に、または永遠の中によろけ込む自分の中に見い出す新鮮さに身ぶるいを感触したことなのかもしれない。
自然はときどき、自分に、そんな飛躍をあたえてくれるスプリング・ボードなってくれることがある。
「袂別する時に、はじめて、ほんとうに遇えたのだ。」といえるような弁証法的な自分への対決を、自分に強いるときがある。
「美のもろさ」とはそれである。美は、飛んでいく鳥が、目をかすめるほど、たまゆらを閃くものであるというのはそれである。そこにはじめて、ほんとうの「今」があるのではあるまいか。
逆にいうならば、この「今」がなければ、美はないではあるまいか。私は俳句で、「季」が大切にされるのは、この「今」を大切にすることであると信じている。
150頁 見事な西欧に対する歴史観
1500年-1900年の時代とは、欧州の各国民がローマ法王の権力からのがれて、それぞれの民族がそれぞれの特有の生き方で民族化してゆき、商業が封建的な習慣をゆり動かし、さらに金融的な体制をととのえて行った時代である。あらゆる機構が商品化された時代である。この商品化された巨大な流れの中に、ローマ法王からのがれて、新大陸にメイフラワー号で上陸した人々から生まれ出たアメリカが、1950年代に至って、世紀に新しい担い手になってくるということを、幾人の人が予見し得たであろう。
これまでの世界の支配には、何か固有名詞、すなわち一ないし数名の英雄の名前が記されていたのであるが、1950年のこの変革には目立つ固有名詞がないのである。むしろ、大いなる機構が、その変革を行いつつある。そこに機械時代とでもいわれるものの本質があるのである。人間が機構を支配するか、機構が人間を支配するかという不安を感じるところまで、時代が移り変わっているのである。
そういうこともあり、『美学入門』と書かれた背表紙に反応してしまった。中井正一『美学入門』中公文庫(2010年6月25日初版)という文庫本である。
「美しいこととは何であるか、芸術とは何であるかを考えたずねてゆくことが美学なのである。」と最初の頁に書いてあった。
しかし、次の頁に「第一に自然の美しさとは何であろう。空、海、山河、あの大自然の美しさ、鳥や花、あるいは人の体の美しさでもやはり自然の美しさなのである。それらのものがなぜ美しいのであろう。この問題はまだ解けきれてはいない。実に数千年の間、人々はこの難しい問題の前にわからぬままに頭をたれているのである。しかし、いろいろの疑問をなげかけている。この疑問の数々が、美学の歴史にほかならないともいえるのである。」とも書いてあった。つまり、永遠のテーマについての入門書が本書の中身ということらしい。
昨日、大牟田から天神に向かう西鉄電車の中で読了した。美をテーマにした哲学や歴史観が見事にまとめられている。この文庫の底本は、1951年、河出書房「市民文庫」と書いてあるので、ずいぶん前の文章ではある。しかし、今、読んでも今日的な内容であり、その思索の深さと教養の幅に驚いてしまった。
この本で「こうして、すべての研究が国家的なスケールでもって、部署的な組織でもって、構成されようとしているのである。ここに新しく機械時代の認識論の基礎が生まれ出ようとしているともいえる。何びともが、その組織に属することによってのみ、その対象の感覚的素材もはじめて適格に把握し得るという段階の文化が出現しようとしているのである。」と予言のように書いてあったが、今はまさにそうなっている(なろうとしている?)。しかし、システム化やプロジェクト化がうまくマネジメントされて進む中で、一人ひとりは部品と化し、思索力や教養の幅、人の力は中井さんにはるかに及ばないのではないかと思ってしまった。
著者の中井さんは、戦前は京都大学文学部大学院の教授で、日本史の教科書にも出てくる滝川事件とも関係ある方である。戦後は国会図書館や尾道市立図書館長を務められ、この本を書かれた翌年52歳で亡くなられたと解説に書いてあった。
以下は書き留めておきたい内容。美学そのものの内容より、特に認識論や独創性に関係する部分に、つい関心がいってしまった。見出しは個人向けの引き出し用(中井さん作ではありません)。
11頁 美にうたれる
・・・自然の景色の中につつまれ、「ああいいな」とうっとりとその中に吸い込まれていくことがある。この時私たちは、宇宙の秩序の中につつまれることで、その中に引き込まれて、自分の肉体もが意識しないけれども、じかに、直接に響きあっているのである。美に打たれるというこころもちはこんなことではあるまいか。
12頁 「しづかに観ずれば、物、皆自得す。」(芭蕉)
芭蕉が、「しづかに観ずれば、物、皆自得す。」といっているように、この時、物、皆の姿が、しみじみと芭蕉に伝わり、それを追求するために、年老いた彼をして、死を賭して旅に出しむるほど、美は強い力を持っているのである。
22頁 「ああこれだ」といえる充ち足りたこころ
この探し求めることの自由、そして探し得た時の「ああこれだ」といえる充ち足りたこころ、これがみんな、芸術家のもつ、自由へのもがきから生まれるのである。本当の自分にめぐり逢ったという自由への闘いなのである。
この境地を、芸術の美しさを求める苦しみというのである。人々は、その芸を見、聞いて、その芸術家を打ったものが自分に伝わり、また、芸に打たれるのである。
25頁 「しびれるようなよろこび」
・・・万人が見て、仰いでいよいよ高く感ずる、何ともいえない芸道を感ずる、芸の鬼といった凄みを感ぜしむることになるのである。この世界が本当は、自分が本当の自分にめぐり逢うかどうかを、定めることの出来る世界なのである。ほんとうの幸福、芸術だけにあるところの「しびれるようなよろこび」は、ここから生まれるのである。芸術のいわゆる醍醐味という世界である。
31頁 中宮寺の観音のような古代の微笑の数々
私も、戦争に反対したというので、特高に引っ張られて・・・突然、私には、この現実が巨大というか「現実とはそんなものだったのか」そうだったのか、自分の前にそそり立ったのを憶えている。それは巨大な現実ともいうべき世界が、眼前に現われた思いであった。そして突然、古代の微笑の数々が、例えば、中宮寺の観音のような、古代の彫刻によく彫られているほほえみが、自分の眼の前を横切ったように思ったのであった。
43頁 さらさら流れる水のような美しさ
日本人の美の理想は、芭蕉にいわしむれば、浅い川を流れる水のように、あくまですがすがしく、清らかで軽くて、とどこおりなく、明るくて、さやけさとでもいうようなものが、美しいとされるのである。もったいぶったものは、それがちょっとであっても、臭みとか、重みとかいって嫌うのである。万葉の「さやけさ」、中世の「数寄」あるいは「わび」あるいは「物のあわれ」、さらには江戸にいたっていう、「いき」にしても、皆、とどこおるもの、もったいぶるもの、野暮なものから脱け出して、さらさら流れる水のような美しさが、よろこばれるのである。中国の美しさから、日本の美しさに移るとき、ちょうど、いかめしい、重たい「漢字」の美しさから、さらさら流れる「仮名書き」の字の美しさにうつったような、そんな軽みが日本特有の美しさとして現われるように思われる。
茶室の柱や屋根は、ギリシャ建築の柱のように、いかめしくもなければ、教会建築のように、天を貫いてもいない。実に寂かに、軽く、宇宙の今と、ここに静まりかえっているといった感じでそこにあるのである。
48頁 「ハハア、これか」とわかること
誰がどういった、こういったと理屈をこねるよりも、この困難な訓練の中に飛び込んでみると、それらのもののいったことの中の、一番本当のことが「ハハア、これか」とはじめてわかって来るのである。行動と実践が大切だというのはこのことである。・・・
・・・
この訓練と行動を尊ぶ心は、実は、大きな現実への信頼があってはじめて出来ることである。現実の中に「論理的なもの」「正しいもの」が必ずひそんでいることを、信頼し切っている証拠なのである。
これは大変なことなのである。自分の肉体を信じ、この世界を信じ、歴史を信じ、人類全体を信ずることなのである。
50頁 「あっ」と叫ぶようなめぐり逢い
だから芸術は、時間だろうが、空間だろうが、光だろうが、音、言葉など、何でも媒介として、人々の感覚にうったえるもの全部を、生きている色々の調子で、どんなにでも変えてくるのである。しかし、これらのものを、自由に変える奔放自在な欲望が生まれ、またそれらのもを変える権利をもったものは、それを生みだすものが、つまり自分が、「今」と「ここ」に本当に生き、「あっ」と叫び声をあげるような生命にめぐり逢った時だけなのである。・・・
56頁 打ち寄せる波のような新しい自分とのめぐり逢い
美とは、自分にまだわからなかった自分、自分の予期しなかった、もっと深いというか、もっと突っ込んだというか、打ちよせる波のように、前のめったというか、自分が考えている自分よりも、もっと新しい人間像としての自分にめぐり逢うことである・・・
64頁 それはすでに止まれるもの
・・・例えばベルグソンの哲学のごとき、生命は常に脈動し、飛躍しておるものであるにもかかわらず、われわれがそれを捕えて見るとき、あるいは考えてみるとき、それはすれに止まれるもの、いわゆる過去のものとして捕えられるのである。・・・
65頁 真のリアルはリアルを超えるときも
・・・真にリアルであるためには、われわれはリアルを越えなければならないときもあるのである。→スピルバーグの戦争映画のスローモーション?リアルさを強調した映画でリアルさを感じないことがあるのは、このことか。
133頁 自分から抜け出したい自分の弱さ
自分から抜け出したい自分の弱さにあきあきしていながら、しかも、脱出しきることの出来ない嘆き、これが現代の自我の本当の姿ともいえるのである。そこには、一刻一刻と流れ去りつつある自分があるだけであって、本当の自分というものに巡り会えないでいる。こんな心持ちがいうにいえない現代の「不安のこころ」である。シュールリアリズムの芸術の底を流れる寂しさも、かかるものがその底を流れている。
プルーストがいつもいうところの「認識の達しない深みにおいて、自分自身に巡り会う」という言葉は、こんな淋しい魂が、今こそ、本当に生きているという時間を持ちたいという願いのあらわれである。彼が「時間から解放された一瞬間は、汝の心のうちに、時間界から解放された人間を創造した」といっているのもそれである。こういう時間をもちたいというのが現代人の切実な願いとなって来ているのである。
135頁 知識は死んだ時間、意志は未来の世界
・・・要するに、もはや、知情意といったような自分の中に三つの玉のような、「魂」がごろごろところがっているというような考え方は、もはや、私たちに用の無いものとなってしまったのである。むしろ「知識」とは、流れている時間を、ふりかえって、記憶として、固定してみる立場であって、もはや、死んだ時間である、・・・味気ないものであり、こわばった影の世界にしかすぎないと、考えられるのである。それに反して、「意志」の世界は、丸い玉のような魂でなく、時間でいうならば、未来のような世界である。存在でいうならば、これから可能な世界である。つまり、丸い玉(魂)ではなくして、それは、時間の中に、ばらばらにときほぐされてしまっていると考えられるべきである。
136頁 「はっ」と思うような美しい瞬間
日本の芸術論の中に、「人の神(シン)を見ること飛鳥の目を過ぐるが如し、その去ること速かなれば速かなるほどその神(シン)いよいよ全し」というような言葉があるように、「はっ」と思うような美しい瞬間、それをむしろ、現代では、芸術的時間とか、「永遠の一瞬」とか言って、特別の芸術の世界と考えるのである。ここでも、環状は、もはや「魂」ではなくして、時間の中に、ときほぐされて、とけ込んでしまっているのである。
かく考えてくると、もはや、知情意は、認識能力としての、「魂」の力ではなくして、時間の三つの姿と変わってしまっている。したがって、三つの「魂」を握りしめている自我は、分裂してしまって、時間の中にばらばらになり、宇宙の中に色々な角度で関係をする時間の在り方の中にとけ込んでしまうのである。芸術論も、その線にしたがって、その姿を変えて来たわけである。
「造化にしたがい、造化にかえる」とか、「竹にことは竹にならえ」など芭蕉がいっているが、何か造化に、今しも随順した、うちのめされた、「ああ、お前もそうだったのか」と手をさしのばしたくなる造化に触れた時、人々は、一つの長い息を吐くのではあるまいか。「寂かに観ずれば、物皆自得す」というここともちもそれはあるまいか。これは深浅もあり、大小もあろうが、多かれ少なかれこんな心持のあるとき人々は大いなる時間が、宇宙と共に流れており、それは時計で、はかりようもないと思わざるを得ないのではあるまいか。こんな心持ちを、ハイデッカーは「生きた時間」といっているのであろう。
・・・
山本安英さんの『鶴によせる日々』を読んでいると、次の文章にであった。
「しんとした空気の中に、さらさらという流れの音にまじって、何やら非常に微かな無数のさざめきが、たとえばたくさんの蚕が一勢に桑の葉を食べるようなさざめきが、いつの間にかどこからともなく聞こえています。
知らないうちに流れのふちにしゃがみこんでいた私たちが、ふと気がついてみると、そのさざめきは、無数の細いつららの尖からしたたる水滴が、流れの上に落ちて立てる音だったのです。そう思ってそこを見ると、その小さい水玉たちは、僅か三四寸の空間をきらめいて落ちて行きながら、流れている水面にまた無数の微かな波紋を作って、この美しい光の交響楽は、ますますせんさいに捉えがたいせんりつを織り出しているのでした。そうしてその、きらめきわたる光りの帯をとおして、澄み切った水の底に、若い小さい芹の浅緑が驚くほどの鮮やかさでつつましく見えていました。」
山本さんは、いつ思い出しても、夢ではないかと思われる美しい童話の世界だったと思いかえしている。そして、それをいかに演劇の世界に生かすべきか、または、この世界を知ったものが、いかに演劇の中で「生きて行く」べきかを思い悩んでいる。
まことに、ワイルドの言葉のように、
「今、見ていることが、一等神秘だ」
と思われる瞬間がある。神秘と思えるほどあざやかな現実が突如眼前にあらわれることがある。山本さんの場合も自然を通して認識の達しない深みにおいて、自分自身にめぐりあっているのではあるまいか。
それは、逆説的にいえば、また同時に、そのめぐりあったとは、その自分に袂別し、自分と手をわかち、新しい未来の中に、または永遠の中によろけ込む自分の中に見い出す新鮮さに身ぶるいを感触したことなのかもしれない。
自然はときどき、自分に、そんな飛躍をあたえてくれるスプリング・ボードなってくれることがある。
「袂別する時に、はじめて、ほんとうに遇えたのだ。」といえるような弁証法的な自分への対決を、自分に強いるときがある。
「美のもろさ」とはそれである。美は、飛んでいく鳥が、目をかすめるほど、たまゆらを閃くものであるというのはそれである。そこにはじめて、ほんとうの「今」があるのではあるまいか。
逆にいうならば、この「今」がなければ、美はないではあるまいか。私は俳句で、「季」が大切にされるのは、この「今」を大切にすることであると信じている。
150頁 見事な西欧に対する歴史観
1500年-1900年の時代とは、欧州の各国民がローマ法王の権力からのがれて、それぞれの民族がそれぞれの特有の生き方で民族化してゆき、商業が封建的な習慣をゆり動かし、さらに金融的な体制をととのえて行った時代である。あらゆる機構が商品化された時代である。この商品化された巨大な流れの中に、ローマ法王からのがれて、新大陸にメイフラワー号で上陸した人々から生まれ出たアメリカが、1950年代に至って、世紀に新しい担い手になってくるということを、幾人の人が予見し得たであろう。
これまでの世界の支配には、何か固有名詞、すなわち一ないし数名の英雄の名前が記されていたのであるが、1950年のこの変革には目立つ固有名詞がないのである。むしろ、大いなる機構が、その変革を行いつつある。そこに機械時代とでもいわれるものの本質があるのである。人間が機構を支配するか、機構が人間を支配するかという不安を感じるところまで、時代が移り変わっているのである。
Posted by わくわくなひと at 19:57│Comments(0)