2011年05月03日

精神科医・和田秀樹、脳科学を斬る!

 精神科医・和田秀樹、脳科学を斬る!和田秀樹『脳科学より心理学 21世紀の頭の良さを身につける技術』ディスカバー携書(2011年4月15日第1刷)。
 帯に「精神科医・和田秀樹、脳科学を斬る!」と書いてある通り、一頃、流行した脳科学の限界を指摘した本です。確かに一年半くらい前に本屋さんに行くと、茂木健一郎さんの本をはじめ脳関係の本が棚にあふれていました。茂木さんの本の中には小林秀雄賞を受賞した『脳と仮想』(新潮文庫)など凄い本があるのに、一年半くらい前、どの本だったか「何か伝わってこないな」と思いながら読み進んでいくと、最後に、茂木さんが言ったことの聞き書きという本もありました。“わかりやすい”ということに単純にこだわった結果でしょうが、その人が著す一行一行には何千行に相当する知識や経験が背後にあることでしょうから、「どうかな?」と思っていたら、ブームが去っていったような感じです。
 和田さんの本に書いてあった脳科学の限界は、確かにその通りかなと思って読みました。1980年代に心理学ブームもありましたが、ブームが過ぎ去ると、「心理学=いかがわしい」というイメージさえ残ってしまいました。脳科学が発展するには時間がかかるし、検証や実験が非常に困難という弱点がある。だから、脳そのものをのぞき見るよりも、人の意識や行動の実証研究を積み重ねてきた心理学がもっと頑張る必要があるし、人々も心理学の誤解に基づく情報に惑わされずに、もっと活用すべきという内容だったと思います。
 私の場合、この本は別の目的で読みました。私のような者には荷が重い“創造性を測る尺度をつくる”というミッションを持っているからです。精神科医や心理学関係の人たちが、今、どのような問題意識を持ってどのようなことを考えているかを知りたいと思って読みました。あまり驚いたり、感動したりということはなく、たんたんと読みました。
 以下は自分のためのメモです。

・心理学者にとって、テストというのはまさに命です。(29頁)
■陰山英男先生の「百マス計算」
陰山先生は百マス計算だけをやっていたわけではなくて、授業の最初の5分ぐらいそれをやったあとは、ふつうの授業をなさっていました。ただ、百マス計算をやったあとのほうが生徒が授業に集中するようになるというメリットがあったのです。(59頁)
■ロンドン大学のエレノア・マグアイナー博士(認知神経学)による画期的な発見
・・・博士は、それまで加齢とともに減少するだけだと思われていた脳の神経細胞が、トレーニングによって新生し、増加することを発見しました。これは、この10年で、脳科学における最大の発見のひとつです。(60頁)
■脳科学とされているものの一部は、認知科学
生きた脳を使った研究ができないこと、基礎研究と治療薬の完成には非常に長い時間がかかること、この2つの脳科学の限界に対して注目されてきているのが、いわゆる認知科学と呼ばれるものです。
ものすごく大雑把な言い方をすれば、いわば脳科学と心理学の折衷の学問です。
一般的には、認知心理学ととても近いものとされますが、その違いは、認知にまつわる仮説を立て実験をし、そしてそこでソフトがどうなっているかを考察するのが認知心理学だとしたら、認知科学の場合は、さらにそこで、脳の生物学的なものがどうなっているかも調べます(そういう意味では、茂木健一郎氏が言っているのは、脳科学というより、認知科学と言うべきでしょう)。(71頁)

■心理学のほうが実証的。脳科学こそ、仮説と空想と思いつきの世界
 そして、心理学のテストがどこまで当てになるかというのは、そのデータの蓄積量に比例します。
 だから、ひょっとしたら、ピネーの知能テストも、ピネーが開発した時点では、そんなにあてになるものじゃなかったかもしれませんけれど、それが何千人、何万人、何千万人と受けているうちに、信頼性が高まってきたのです。だいたい、この年齢の標準の知能はこういうものだということが、わかってきたのです。
 同じように、ロールシャッハのあんなインクのシミでもかなり標準化されてきているわけです。
 心理テストというのは、一見いかがわしく思われるかもしれないけれど、統計学として考えれば、結構あてになるテストも多いのです。
 これに対して、脳科学というのは、実はそのあたりの検証がほとんどなされていません。(87~88頁)

■ビネー式知能検査の値である知能指数(IQ)=頭の良さ?
ビネーがつくった知能検査、そこから算出されるいわゆる知能指数(IQ)は、知能のごく一部しか計測していない、世の中を発達させるためにもっとも重要な創造力や、社会に出てからもっと役立つ論理性のような知的能力については計測できないなど、さまざまな批判を受けながらも、長い間、子どもの「頭の良さ」と同一視されてきました。
すでにお話ししたように、それは、ビネーが考えた「この年齢ならばこのぐらいのことができるであろう」という事柄のセットで、いわゆる知的障害かそうでないかを判断するためのものでした。
知能指数というのは、「こういう問題ができるのは平均して何歳何ヵ月」として統計的に算出される精神年齢を実年齢で割ったものです。つまり、5歳0ヵ月で5歳0ヵ月のことができれば、知能指数は100、7歳0ヵ月のことができれば140。つまり、ビネーの知能検査における知能指数から生まれてきた頭の良さとは、要するに、発達の早さでした。
それが子どものほんとうの頭の良さを示すかどうかはともかくとして、莫大なデータの蓄積により標準化も進み、とくに就学前の幼児に対して、ふつうの学校で教育効果が得られるかどうかを見分けるには、とても便利だったのです。(93~94頁)

■WAIS(ウェクスラー成人知能検査、Wechsler Adult Intelligence Scale)
 WAISのように、16歳以上を対象とした成人向けの知能テストもつくられ、データを蓄積して標準化もかなり進んでいますが、子ども向けのビネー式知能検査ほどには普及していません。
 それより、学力テストとその総まとめである学歴のほうが、判別法としては便利だし、ある意味、過去のデータから信頼性もそれなりに得られているからです。
・・・
 以後の年代に対してあまり優れたテストが生まれていないのは、知能検査でなくても頭の良さを推測する道具があるため、なかなか使われない→そのためデータが蓄積しない→その結果、データに偏りがあり信頼性が高まらない、という理由によります。(94~95頁)

■成人用知能検査、WAISの限界
 幼児の発達の具合を検査する以外に、知能検査が一般に用いられる場面としては、認知症の検査があります。ところが、もっとも一般的な成人用の知能検査、WAISは、認知症の判別に適していないのです。少なくとも初期認知症の場合は、WAISの点数が落ちません。
 なぜかというと、WAISは、おもに理解力を検査するテストだからです。初期の認知症では、記憶障害と記憶に基づく高次の判断力の障害はあるものの、理解力は落ちていないからです。
・・・
 ともかく、こうした理由で、WAISは中程度以上の認知症にはそこそこ使えるのですが初期の認知症の診断には使えません。そのため、新しいテストがいくつも開発されてはいますが、残念ながら、初期認知症の診断用として、これだ!というものはまだ出てきていません。(96~97頁)

■ガードナーの多重知能
 さて、ビネー式知能テストやその流れを汲む知能検査に対して、1980年代、ハワード・ガードナー(ハーバード大学教育学大学院教授)という人が、多重知能(Multiple Intelligences、MI、「Frame of mind」で提唱。邦題『MI:個性を生かす多重知能の理論』、新曜社、2001年10月)という考えを言い始めました。つまり、知能というのは1種類ではない、というのです。(98頁)
・・・
 実は、アメリカは、日本以上に学歴社会で、日本以上にインテリが素直に尊敬する国だと思うのですが、そのアメリカの、しかも、最高のエリート校のハーバード大学の教授が多重知能といって、言語的知能・論理数学的知能・空間的知能といった従来の「知能」に加えて、音楽的知能・運動的知能・社会的知能・実存的知能の4つをあげたのです。(100頁)

■ダニエル・ゴールマンのEQ
 ガードナーの多重知能論は、ビネー以来の知能に対する定義を変え、やがて、ダニエル・ゴールマン(これも彼がまとめただけで提唱者ではないのですが)のEQ(Emotional Intelligence Quotient、心の知能指数)理論へと引き継がれていきます。(101頁)

■知識が先か?創造が先か?認知心理学が明らかにしたこと
 こうして、認知心理学の中では、やはり、たくさん知識がインプットされている人の方が賢いということで、再び知識が重要視されるようになってきました。ちょうどそのころ、たまたまドラッカーが知識社会というような言葉を使ったことも含めて、80年代、特に90年代ぐらいから、知識というものに対する再評価が高まってきたのです。
 それと同時に、人間とコンピュータの違いについても、いろいろなことが明らかになってきました。たとえば、人間の重要な能力のひとつに、いわゆるヒューリスティックス(heuristics、必ず正しい答えが導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法)=「推論」があります。不十分な知識からでも、それを加工応用して、答えを出すことのできる能力です。
 つまり、材料がないかぎりはヒューリスティックスもできませんが、材料をもとに、それを加工応用して答えを出す能力は、人間はコンピュータと比べて優れているとされたのです。
・・・
 認知心理学の研究が進むにつれ、知識、すなわち基礎学力が大事だということがあらためて認識されました。
 さらに、その知識をもとに推論させる教育が、初等・中等教育の基本中の基本とされました。(106~107頁)

■「メタ認知」と「メタ認知的活動」
 コンピュータなら、同じ情報をインプットして同じ演算ソフトをインストールすれば、同じ問題に対してつねに同じ答えを出します。
 ところが人間というのは、そのときの気分やまわりの意見、新たに得た情報など、いろいろな条件によって、同じ問題に対する答えを変えてしまいます。たとえば、落ち込んでいるときには悲観的な推論をする、ハッピーなときには楽観的な推論をするといった具合に、ヒューリスティックスがはげしくぶれてしまうわけです。
 そこで、そこをコントロールする必要が出てきます。正しい解を出すには、自分の推論が、気分やまわりの意見などに影響されて、ふだんとは違う状態になってはいないか、おかしくなってないか、あるいは、そもそも自分の知識が偏っていないかなどをチェックする必要があるわけです。
 このように、自分の推論が歪んだものになっていないかどうかをチェックするのがメタ認知です。要は、自分の認知状態を認知するということです。
・・・
 つまり、自分の認知状態にまつわる知識を得たら、その知識をもとに、自己修正、自己改造をしていくということで、これを、メタ認知的活動と呼びます。(109~110頁)

■「認知的成熟度」
 次に、もう一つ重要なポイントとして、認知的成熟度という概念があります。そして、その代表的なものが、曖昧さに耐える能力です。
 たとえば、答えがAかBかはっきりしない状況では、だれでも不安になります。そこで、その不安を解消するために、とりあえず決断してしまう。けれども、ここで即断即決しないで、その中間にあるさまざまな可能性を考えられる人もいます。そして、そういう人のほうが、認知的成熟度が高い、とされるのです。(112~113頁)
・・・
 既存の知識が疑えない状態のまま勉強していても、認知的成熟度は高まりません。あまり賢くもなりません。
 つねに新しい知識を得、その知識によって既存の知識を疑ってみる、・・・(114頁)

■並列思考
 いろんな知識が入ってきたときに、なんでも、すぐさま、既存の知識との整合性をつけようとするのではなく、こういう考え方もありうるなと、受け入れるのです。それまで自分が持っていた知識を否定する必要はありません。否定することなく受け入れるのです。これを私は、並列思考と呼んでいます。(119~120頁)

■逆行抑制
 心理学の考え方に、逆行抑制というものがあります。新しいことを覚えると、それまで覚えていたことを忘れてしまう、ということ。実際には上書きされたせいで、頭の中から引き出せなくなる現象です。
・・・
 つまり、何か新しく上書きしたときには、積極的に、その前のものを引き出してやる訓練をしないと、知識というものはどんどん埋もれたままになっていってしまうのです。ちょうど未整理を未整理な状態のまま、どんどんどんどん積み上げていくのと同じです。(120~121頁)

■和田式「知的体力」
1 仮説力(知性や知識)
 くどうようですが、心理学というのは、仮説を立てて、それを検証する、一定以上の確率が得られたら、それを「こうすればこうなる」と示す実証的な科学なのです。
 そういう意味では、心理学というのは、統計学であるという人もいます。ともなく、心理学において言われていることは、一定以上の確率があるというだけであって、決まったわけではない。
・・・1つめの仮説がだめだったときに、次の仮説が立てられる知性と知識です。(129頁)

2 体力(資金力も含む)
・・・失敗しても失敗しても、この次はこれ、この次はこれと次々と仮説を立て、実験を重ねていく。何年も何十年も重ねていく。仮説を立てられるだけでなく、実際に実験を重ねられた人だけが成功するのです。それには、文字どおり体力がいるし、もちろん、資金的な体力も不可欠です。(130頁)

3 精神力
 精神力は、答えのないものに答えを見出そうとするときには、とくに重要です。(131頁)

■スキーマからの脱却
 いま、「答えのないところに答えを求める」と言いましたが、そのことを別の側面から見て、心理学的な言い方をすると、「スキーマからの脱却」ということになります。もっとわかりやすい言い方でいえば、頭の柔らかさです。
 ここでいうスキーマとは、いわゆる「概念」、これはこうである、という物事に対する定義、心象のことです。複雑なことの答えを自分なりに自動的に出せるような認知の図式と言えるものです。(133頁)
 スキーマの4つの特徴
①一致情報への選択的注意
 たとえば、血液型がA型の人は真面目で几帳面だというスキーマを持っている人は、実際にA型の人がいると、その人のなかで自分のスキーマと一致している情報にのみ注意を向けるので、結局、その人の真面目な面しか見なくなってしまうということです。
②不一致情報の無視
 A型なのに時間に遅れてきたとか、机が散らかっていたりする人がいると、それは一時的なことなんじゃないかとか、こいつはA型にしては珍しい例外なんだということにして、自分のスキーマとの不一致情報を無視してしまいます。
③一致情報の記憶の促進
 自分の経験のうち、スキーマと一致した情報を記憶に残るけど、不一致情報は忘れられやすい、ということです。当たっている部分しか記憶に残らないのだから、血液型判断や占いは、それを信じる人にとっては「よく当たる」ということになります。
④一方向への記憶の歪み
 たとえばA型の人が本を持っていたとき、それをシステム手帳だと思い込んでしまって、やっぱりA型は几帳面だよね、みたいな方向で記憶されるということです。

 つまり、うまくいっているかぎりにおいては、スキーマを疑う必要はないのだけれど、一方で、どんなに成功していたとしても、それまでのスキーマどおりにはいかなくなってしまうことが起こりうることは知っておかないといけないということです。
 うなくいかなくなったときに、自分のスキーマが疑えるだけのメタ認知を働かせることが重要だということです。(134~137頁)




Posted by わくわくなひと at 17:58│Comments(5)
この記事へのコメント
ながっ
Posted by 如意 at 2011年05月04日 16:35
自分の備忘録として認めましたので。失礼しました!
Posted by わくわくなひとわくわくなひと at 2011年05月05日 14:12
>>1つめの仮説がだめだったときに、次の仮説が立てられる知性と知識です

>>失敗しても失敗しても、この次はこれ、この次はこれと次々と仮説を立て、実験を重ねていく。仮説を立てられるだけでなく、実際に実験を重ねられた人だけが成功するのです。

>>精神力は、答えのないものに答えを見出そうとするときには、とくに重要です。

>>複雑なことの答えを自分なりに自動的に出せるような認知の図式

↑部分が自分が今考えている事にピンときました。でも、これは今の私の「スキーマと一致した」だけのことで不一致部分は捨てたことと同じなのかな?

不一致だったというスキーマに残りそうだけど…。

ここで「ポジティブな人」と「ネガティブな人」で分かれるのかなと思いました。

スキーマを増やして、メタ認知活動に励みます。
Posted by あや3あや3 at 2011年05月05日 15:25
うっわー!自分の備忘録を全部読む人がいるところに驚き・・・
しかも、心理学的な概念を使って文章を作成しているところがすごい。
あや様は、私目の備忘録の内容を完全にものにしましたね。
使ってナンボ、自分の思考に生かしてナンボの世界です。これは相当な応用力ですよ。だれだれはこう言った。だから、自分もそう思うという人たちとは違う人だということが分かります。
Posted by わくわくなひとわくわくなひと at 2011年05月05日 21:00
いつも私に的確なアドバイスを頂いてますので、わくわく様のサマリーは信頼しています。

本を一冊読むと思えば、とても簡単で密度が濃い。

ごちそうさまです♪
Posted by あや3 at 2011年05月06日 09:26
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