2011年04月21日

小池真理子『水底の光』~一瞬の心もようを素直に正直に表現

 小池真理子『水底の光』~一瞬の心もようを素直に正直に表現小池真理子『水底の光』文春文庫(2009年8月10日第1刷)。「オール讀物」に2004年から2006年に掲載された6つの短編がおさめられています。
短編 はあまり時間がとれない時に、一服の清涼剤として読むといいですね。がちがちになった脳細胞がストレッチされるような気分になれます。小池さんの作品は男女のことが多いようですが、その中でも自然描写で「はっ」とする表現に出会えます。こんな自然の感じ方とか表現の仕方があるのか、そんな驚きに応えてくれるところがいいですね。
 あとがきに、こんなことが書いてありました。
 ・・・短編は、私の場合、「その日その時」の一瞬の自分自身の心もようが、大きく影響する。・・・その時、流れ続けている何かは、思いの外、素直に正直に、表現されてしまうらしい。
 そうなんだろうと思います。本人が思ってもみなかった素直さと正直さ。だから、覗いてみたくなります。

 後はメモっておきたい箇所です。

「パレ・ロワイヤルの灯」
「僕はりえをものすごく愛している。こんなに女の人を愛したことはないし、これからもないよ。でも悲しいね。腹立たしいね。僕はこんなに愛しているきみを幸せにすることができない」と。
・・・
 幸せにする、というのはどういうことなのだろう。あれからずっと、わたしは考えている。

「闇に瞬(またた)く」
 水音の中に、時折、河鹿が鳴く声が混じる。野鳥の囀りも遠くに聞こえる。水の匂い、湿った夏の緑の匂いが部屋の中にまで漂ってくる。
 ・・・
 雨はやまなかった。小降りになったかと思うと、再び雨足を強め、緑滴る小さな庭先の木々の葉をたたいた。開け放した窓の向こうから、水の匂い、土の匂いがしとどに部屋の中に流れこんできた。

「愛人生活」
 なだらかな丘が幾重にも連なる遙か向こうに、小さく扁平に街並みが拡がっている。夜ともなれば、街の灯はちかちかと星のように、音もなく瞬く。
 ・・・
 日の光も射していないというのに、木々や草が瑞々しく雨に濡れ、空気そのものが淡く発光しているかのように、あたりはうすぼんやりと明るかった。
 遠く近く、野鳥の囀る声が聞こえてきた。木の葉から滴り落ちる雨が草を打ち、大地を打った。音とも呼べない音が、まるで谷間に谺する水音のように響いていた。
・・・
「予定調和の中にある人生はつまらない。こうしてああして、ああやって、こんなふうに年老いて死んでいく・・・・・・それが見えてしまうのはたまらなく退屈なんだよ。そんな人生を送らなくちゃいけなくなったら、俺は迷わず自殺するね。死んだほうがましだ。ただのエゴイストだ、どうしようもない男だ、って女房にはさんざん罵倒されたけど」

「ミーシャ」
 左知子の目は、上野駅を出た新幹線の窓の外の、雑然とした都会の夜の風景を見ている。居酒屋やスナック、英会話教室、ラブホテル、サウナ、いろいろなネオンが折り重なるようにして煌めいているのが見える。なのに心の中にある目が溶け始め、裂けていき、そこから記憶という記憶がどっとあふれ出してくる。現実に目にしている街の夥しい明かりの群れに、記憶の中の映像が静かに重なっていく。
・・・
・・・その笑い声も、話し声も、左知子にとっては水の中で聞く音のように実感がない。




Posted by わくわくなひと at 17:27│Comments(0)
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