2011年01月11日

【読書一年間の回顧②】・・・過去の歴史や先人から学ぶ

 【読書一年間の回顧②】・・・過去の歴史や先人から学ぶ2010年一年間の我が読書遍歴。
 今日は「②過去の歴史の中から、昔の人々の人生への思いを拾おうとしていること」の振り返りです。

②過去の歴史や先人から学ぶ
■中島岳志『朝日平吾の鬱屈』
・大正時代に財界の有力者を刺殺した人の話。歴史学者が書いた小説のような歴史書に驚く。確かに小説風でないと、人の想いはなかなか表現できないと納得した。
■加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』
・「なぜ日本は300万人の犠牲者を出すような戦争を始めたのか」という根源的な問の話。後生の人が上から目線で「何と愚かなことをしたのか」「右翼!」と単純に語る姿をよく見かけるが、そんな人たちがいかに愚かで軽薄だということがよく分かる本。右よりの思想家が書いた本ではなく、れっきとした東大文学部の教授が書いた本。
■北村薫『鷺と雪』
・昭和の初めまでの華族はモダンで優雅な暮らしをしていた。そんな華やかな暮らしに忍び寄る不穏な予兆。下記の小林秀雄の「当麻」の文章を思い出す表現はすごい!
・上がって強く打ち下ろされると見えた足が、床に届く時、すっとどこかで勢いを断たれ、音は虚空に吸われる。しんしんと静かだ。そこで音がしないから、鷺は中空にいるようであり、この世のものの持つ重さからも解放される。
■辻内智貴『信さん』
・その背に聳える年老いたボタ山、「少年」「冒険王」・・・を繰り返し、繰り返し、何度も飽きずに読み返していたものだった、いつも着ている黒い古びた学生服、昆虫の群れる樹木の在りかや、その幼虫が潜んでいる製材所の裏や、或いは川岸に身を寄せる魚の捕り方や・・・木登りも、泳ぎも、野球も、・・・メンコやビー玉、伊賀の影丸やら、おそ松くんやら、鉄人28号やらを見事に描いてくれる、ナガシマ好いちょる、足もろくに届かない大人用の自転車をこぎながら、夕飯の匂いのこぼれる黄昏の通り・・・
■小柳冨次『レイテ沖海戦』
・戦場において終始危険に暴露し、不完全なる情報にもとづき、複雑煩多なる大小の戦務を裁きながら、千変万化する戦況に即応して転瞬の間に判断処置の正鵠を期することは難中の難とするところである。
■百田尚樹『永遠の0』
・リアルさに欠けるが、戦争を知らない世代が戦争を描く。やっと日本でも、そんな作家が出てきた。
■中島京子『小さいおうち』
・悪者でもなく善人でもなく「私たちとよく似た感情や生活感覚を持った人々だった」という視点で歴史に想いを馳せる態度に共感
■辻信一『スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化』
・「遅れていること」や「ゆっくりであること」や「がんばらないこと」が湛えている豊かな意味
■北方謙三『望郷の道』
・執念と呼べるほどの熱意を、私たちは忘れていないか?
■デビッド・ブラウン『60歳からの満喫生活・・・より満足度の高い毎日が待っている!』
・これからは自分のイヤなことを無理してするな。勝たなくてもいい。さぼってもいい。ベストでなくてもいい。そんなふうに何ものにもとらわれずに、本当の意味で満ち足りた時間を味わうことを、優先させよう。
■鶴見俊輔編『老いの生きかた』
・能率本位・生産本位の今の日本の社会の中で老人としてのくらしを守ることが社会批判としての役割を担う。
・わが色欲いまだ微かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり(斎藤茂吉)




Posted by わくわくなひと at 22:10│Comments(0)
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