2010年11月27日
閃き、喜び、脈搏、蠢動、ものとこと・・・小説の創造とは

松岡正剛編集の松丸本舗。翻訳家の鴻巣友季子さんの書棚から購入した一冊。今、“創造性”をテーマにした仕事を一部でしているため非常に参考になった。
閃き、喜びの体験、健康人の脈搏、蠢動、ものとこと、誰も思いもしなかったこと、読み終えた時の醍醐味、言葉との出会いと過去の経験の不意の甦り、エネルギーの真横への噴出、転換と飛躍・・・。
これらは何も作家だけが体験することではない。自分が携わっている商品開発や企画の世界でも、体験できる内容である。要は、日常や流行に流されずに、作家と同様の心の集中が我々にも必要だと、一人妙に納得してしまった。
文学を冒涜するのかと言われかねないが、“創造”という人の行為は彼らだけの専有物ではない。ただ、我々が一部の人を除いて作家のレベルまで到達していないことは確かなようである。
・「題あるいは名前が作曲と演奏との拮抗で決定的に閃いた時」→「商品名が商品コンセプトと商品パフォーマンスとの拮抗で決定的に閃いた時」
・「そういう喜びの体験こそが、創作というものを教えてくれる大きな機会の一つ」→「同」
・「健康人の脈搏がキッカリ、キッカリと極まっていく、その感じ」→「商品開発においても健康人の脈搏は重要」
・「創作衝動には二種の衝動がある。一つは、文学作品というものを書きたくてならない、憧憬と欲求不満が混合したような気持の蠢動である。その気持ちは、小説というものを書く以外に納まりようのないことを訴えてやまない。もう一つは、ある文学作品を書きたい気持ちの蠢動である。この場合には、既に書きたいことがある。モチーフ、つまり何故そのことを書きたいか、創作の動機が心を突き動かしている。その実感が鮮烈であればあるほど、創作意欲が掻き立てられる。」→「作りたくてたまらない、心を突き動かす創作の動機」
・「<それ>は書きたいものなのか、書きたいことなのか。書きたいものと書きたいこととは丸でちがう。書きたいものとしてだけで書くのであれば、ただのお話にしかならない。その話をあれこれと作り変えても、作りものめいてゆくだけである。書きたいこと―自分の精神と切り結んだモチーフを得て創作衝動が発生している時には、事柄上はその話のままであっても、創造性が生まれて、ただのお話ではなくなる。」→「ものではなくこと、自分の精神と切り結んだモチーフを得て創作する商品」
・「これまでに、作家のみならず、世の人々が誰も思いもしなかったであろうこと、考えもしなかったであろうこと、想像しもしなかったであろうことを書きたいのである。」→「これまで世の中になかった商品を作りたいのである」
・「おもしろい作品は、読んでいる間の歓びに加えて、読み終えた時の醍醐味がまた格別である。」→「買って味わったり使ったあとの醍醐味が格別な商品」
・「常にその作品の世界が頭と胸とを満たしていて、次々に何でも見え、聞こえてくるだろう。作品の発育に役立つ目撃やふとした人の言葉に出会ったり、過去に経験したそうした事が不意に甦ってきたりもするだろう。」→「そのようなセレンディピティは商品企画でもよくあること」
・「作品を早目のところで裁ちきると(裁ちきろうと見定めると)、文学的エネルギーに充ちた作品は勿論、充分とは言い難い作品でもそれなりに、そこで堰かれたエネルギーの真横への噴出が作者に実感される。」→「つくった時のエネルギーが真横に噴出することが実感される商品」
・「最も書きたいことは何か、どこに力点をおくべきか、とよく考えることで、その作品の創作の進め方がおのずから分かってくる。「筋」「起承転結」に囚われずに、転換も飛躍も自由に行えばよい。」→「転換や飛躍は、これまでにないロングセラー商品を生むきっかけになっている」
■小説における「作曲」と「演奏」の比重
書きたい題材、モチーフがしっかり決まっているつもりでも、題なり、名前なりが定まらない時には、書きたい題材、モチーフが、まだ本当には生きはじめていないことが多い。だから、まだ書き出すのは早いのだ。題あるいは名前が作曲と演奏との拮抗で決定的に閃いた時には、書きたい題材、モチーフが本当に生きはじめたことを実感させるのであって、そういう喜びの体験こそが、創作というものを教えてくれる大きな機会の一つと言えるのである。
■よい文章は健康な脈搏を打つ
健康人の脈搏がキッカリ、キッカリと極まっていく、その感じ。また、健康人の脈搏数の個人差は僅少で、一定範囲であるように、よい創作の文章では、ちょっと見にはどうであろうと、奥底の脈搏は必ず一定範囲の数値で打っているのである。
■翻訳文に日本語の呼吸を学ぶ(読んでみたい本)
・吉行淳之介訳・ヘンリー・ミラーの短編集『愛と笑いの夜』角川文庫(絶版)、吉行淳之介全集収録
・T・カポーティ『ティファニーで朝食を』瀧口直太郎訳・新潮文庫
■衝動が創造力を生む
創作衝動には二種の衝動がある。一つは、文学作品というものを書きたくてならない、憧憬と欲求不満が混合したような気持の蠢動である。その気持ちは、小説というものを書く以外に納まりようのないことを訴えてやまない。もう一つは、ある文学作品を書きたい気持ちの蠢動である。この場合には、既に書きたいことがある。モチーフ、つまり何故そのことを書きたいか、創作の動機が心を突き動かしている。その実感が鮮烈であればあるほど、創作意欲が掻き立てられる。創造力は具体的に作品を生み出す力のことで、創作衝動すなわち創造力ではないが、創作衝動がなければ創造力を示すことは不可能なのである。
・・・要するに、書きたいことの発見によって後者の意味での創作衝動(以下、この言葉は、すべてその意味)が発動するのである。ところが、それを発見する方法と言えるものはないのだ。ただ、文学作品の創作では、書きたいことは作者の心―精神に根ざしたものであってこそ、創作衝動はそれらしい力を示すのである。
例えば、自分の知っている人物でも、ひとの話で聞いた人物でも、誰でもよいが、ある人物のある行為を見るなり、聞くなりして、非常に興味を覚えたとする。それを作品に書きたいと思った時、<それ>は書きたいものなのか、書きたいことなのか。書きたいものと書きたいこととは丸でちがう。書きたいものとしてだけで書くのであれば、ただのお話にしかならない。その話をあれこれと作り変えても、作りものめいてゆくだけである。書きたいこと―自分の精神と切り結んだモチーフを得て創作衝動が発生している時には、事柄上はその話のままであっても、創造性が生まれて、ただのお話ではなくなる。あるいは、書きたいことから生じた想像力の支配によって、聞いた話とは全くちがうものになった作品には、作りものではなくて真実がある。また、ある人物の行為の話というような手がかりも、何かのヒントもなくて、突然モチーフを思いつく場合も勿論ある。そのモチーフが作者の精神に根ざしているものであれば、作品の具体的な構想はおのずから膨らんでゆくはずである。
■精神的種族保存拡大のために
要するに、作家は自己の精神的種族保存拡大のために書くのである。何だか物々しく聞こえるかもしれないが、作家は何よりも誰もまだ書いていないことを書きたいのである。・・・そして、まだ誰も書いていないこととは、まだ誰も発表していないことの意味ではないのだ。これまでに、作家のみならず、世の人々が誰も思いもしなかったであろうこと、考えもしなかったであろうこと、想像しもしなかったであろうことを書きたいのである。自分ひとりのみの精神に生まれてきたことを書きたいのだ。そうして、そのことを作品に表現し得た時、専ら自分だけの思い・考え・想像であることについて、誰にも分かるはずはないと思うのではなくて、反対にひとの共感を欲して止まない。つまり自己の精神的種族を熱望するのである。
■小説は人生の指針ではない
いかに生きるべきかを人は小説に求める、という見方がある。作者もまた、いかに生きるべきかの追求のために書く、とも考えられているようである。実際、「いかに生きるべきか」や「この人を見よ」の姿勢の強い小説も珍しくないのだが、私はその種のものからは、人生の狭さ、人間というものの矮小さを感じさせられるだけである。
私は文学作品から、人生の指針や教唆を与えられたことは一度もない。もともと、期待したこともない。また、昔の若い人たちは教養のために文学を読んだが、今は教養のためには読まなくなった、とか。しかし、私は昔の若い人だったけれども、教養のために文学を読むことなど考えもしなかった。おもしろいからこそ読み、今もそうである。
おもしろい作品は、読んでいる間の歓びに加えて、読み終えた時の醍醐味がまた格別である。その作品の内容が、仮りに事柄上は荒々しくても、あるいは主人公の自殺をもって締めくくられていようと、人間というもの、自然を含めて此の世というものが、これほど深い味わいのあるものだったのかと、人間とこの世というものが、その作品を読むまえよりも新鮮さを帯びて感じされてくる。自分がこの世に在り、人間のひとりであることに、歓びと感謝の思いを惹き起こされる時さえある。一言でいえば、私はそのようなものこそ、よい作品であると思っている。
■ノートに拘束されてはならない
綿密な創作ノートは、無意識のうちに作品の創造を拘束する。書きたいこと―すなわちモチーフ(創作の動機)が旺盛に息づいておれば、構造や書き出しをはじめデテールに至るまで書くべきことが自然に、しかもまさにそうあらねばならぬ象(かたち)で生まれてくるだろう。それらはノートに書き留めておかねば忘れる心配のあるような微弱な、ぼんやりしたものではないだろう。頭と胸のなかで、鮮度と手応えを増しつつ、活発に泳いでいて、出番を待ちかねているだろう。
・・・常にその作品の世界が頭と胸とを満たしていて、次々に何でも見え、聞こえてくるだろう。作品の発育に役立つ目撃やふとした人の言葉に出会ったり、過去に経験したそうした事が不意に甦ってきたりもするだろう。だからといって、それは偶然や成り行きまかせを恃んでいることにはならない。作品のよき発育のもたらす必然なのである。
■どう終わらせるかが大問題
・・・作品を早目のところで裁ちきると(裁ちきろうと見定めると)、文学的エネルギーに充ちた作品は勿論、充分とは言い難い作品でもそれなりに、そこで堰かれたエネルギーの真横への噴出が作者に実感される。その実感から適確な最終部分が生まれるはずである。もしもそうならなければ、再びあれこれ策を弄するようなことはしないで、蛮勇をもってエネルギーの噴出のままに真横へ切りっ放しにしようとすればよい。そのやり方で、簡潔で、表現力のある最終部分が得られることもよくあるようである。
■構造(構成)について
創作過程で終始、非常に意を用いるべきことは、モチーフの強い把握であり、その深く鋭い表現である。最も書きたいことは何か、どこに力点をおくべきか、とよく考えることで、その作品の創作の進め方がおのずから分かってくる。「筋」「起承転結」に囚われずに、転換も飛躍も自由に行えばよい。といっても、転換や飛躍が単なる思いつきや独りよがりであってはならない。モチーフの強い把握から促され、その深い鋭い表現のために生まれてきたものでなくてはならない。・・・導入部がしっかり書かれておれば、その作品で最も書きたいことは何か、どこに力点をおくべきかということが、その時もしっかり頭にあれば、導入部の<気配>が、次に書くべきブロック―つまり書きたいブロックを自然に告げ識らせてくれるのである。そして、そのブロックがモチーフの深い鋭い表現を担い得ておれば、そこから次のブロックが生まれてくる。先行のブロックとの間に飛躍や断絶があろうと(あるいはなくても)、「筋」「起承転結」指向ではあり得ない、本質的な脈略、呼応が存在する。
Posted by わくわくなひと at 18:52│Comments(5)
この記事へのコメント
ご紹介の本予約中です。来週には読めると思います。
>>小説は人生の指針ではない
ですもんね…
>>小説は人生の指針ではない
ですもんね…
Posted by あや at 2010年12月01日 09:22
すみません。↑私です。
Posted by あや3
at 2010年12月01日 09:24

あや様。少しご無沙汰しているような。
確かに小説はおもしろいから読むというのは、晩生ですが、つい最近肌で感じることができました。私の抜き書きの後に、そうはいっても小説を人生の指針として読む人は多いと書いてありますので、ご安心を。でも、こんな年になって、小説のおもしろさを知ったから少し心配になってきています。快感を一度覚えたら、猿のように、また読みたくなる。ビジネス系など御利益を期待する本を読むのがおっくうになってきているのが心配です。
ところで、この本は小説家が書いた本ですが、創造性や創造する瞬間についての記述が茂木健一郎など脳科学や心脳マーケティング系の人々が書いた内容と近いので驚きました。スケベ心で仕事に役立てるため記録しておこうと思ってブログに書き込んでしまいました。
確かに小説はおもしろいから読むというのは、晩生ですが、つい最近肌で感じることができました。私の抜き書きの後に、そうはいっても小説を人生の指針として読む人は多いと書いてありますので、ご安心を。でも、こんな年になって、小説のおもしろさを知ったから少し心配になってきています。快感を一度覚えたら、猿のように、また読みたくなる。ビジネス系など御利益を期待する本を読むのがおっくうになってきているのが心配です。
ところで、この本は小説家が書いた本ですが、創造性や創造する瞬間についての記述が茂木健一郎など脳科学や心脳マーケティング系の人々が書いた内容と近いので驚きました。スケベ心で仕事に役立てるため記録しておこうと思ってブログに書き込んでしまいました。
Posted by わくわくなひと
at 2010年12月01日 13:26

この前お昼のワイドショーで「ドラマの視聴率と世相」について話がでていました。離婚率の問題です。不倫のドラマが視聴率をとっているときは離婚率があがっていました。
これが多くの人が人生の指針として見ている結果でしょうか・・・
一歩引いて楽しめたらいいのでしょうが、つい感情移入しちゃいます。女は愛が主食ですから・・・
これが多くの人が人生の指針として見ている結果でしょうか・・・
一歩引いて楽しめたらいいのでしょうが、つい感情移入しちゃいます。女は愛が主食ですから・・・
Posted by あや3
at 2010年12月02日 09:01

感情移入は僕もしますよ。熟年離婚とか気になりますね。稼げなくなったら捨てられるとか・・・。それと、自殺などもそうですが、人の行動はけっこう感染して広がっていくことが分かっているようです。
Posted by わくわくなひと
at 2010年12月02日 21:23

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