2010年11月27日

怪談とアウトローを描く作家が北九州市に在住

 怪談とアウトローを描く作家が北九州市に在住27日付西日本新聞の「人物現在形」をつい読んでしまった。
 福澤徹三という怪談小説、それも正統派の怪談作家が北九州市在住と書いてあった。『怪を訊く日々』(幻冬舎文庫)、『黒本―平成怪談実録』(新潮文庫)、『黒い百物語 叫び』(メディアファクトリー)などが代表作らしい。
 この方面の小説には関心がないわけでもないが、読んだ後のことを考えると書店に行って手にとるほど積極的な気持ちは持っていない。しかし、記事の以下のくだりを読んで、恐る恐る手にとってみたくなった。

 福澤怪談は『西鶴諸国ばなし』や浅井了意『御伽婢子(ぼうこ)』、荻山安静『宿直草(とのいぐさ)』など近世の草紙を源とする「怪談文学」の末端に連なっていると考えるから・・・
 例えば『怪を―』収録の「孤島の宿」。風光明媚な島の旅館を訪れた体験談は、主人公が宿への道に迷うことで日常の風景にゆがみが生じる。主人公に道を教える「両目の下が紫色」の中年男、無言で客を迎える旅館の仲居、異常行動を起こす同行の子どもたちと、ゆがみから非日常が這い出てきて恐怖が兆す。坂道を転がるように怪異が増幅する「牡丹灯籠」(『御伽婢子』収録)の血脈を受け継ぎ、凡百の「実録」を凌駕する文体と構成がそこにある。


 この作家、北九州が舞台のアウトロー小説、『真夜中の金魚』(角川文庫)、『すじぼり』(同、大藪春彦賞)、近作の長編『Iターン』(文藝春秋)など、いわゆる“川筋もの”も書いているという。川筋ものは火野葦平『花と龍』、岩下俊作『無法松の一生』などが有名。数ヶ月前に読んだ北方謙三の『望郷の道』もこの部類に入ると思う。

 ・・・福澤版「川筋もの」の定石通り、一般人とやくざのせめぎ合いが物語りの骨格を成すのは変わらない。「こぢんまりとした日常の埒を外していくために、やくざを登場させています。それも近代化に取り残された、田舎のやくざが分かりやすいですね」。田舎のやくざは「昭和の人間だ」とも言う。社会の規範やモラルや枠組み自体が揺らぐ現代、それに対置される昭和。いまだその時代に住んでいるような人たちは理不尽な変化に立ち尽くしながら、昭和と今を同時に照射してみせている。
 「Iターン」のやくざたちもしかり。「やくざの肩を持つわけではないけど、善悪とは絶対的なものではなく、相対的なもので光あれば影あるごとく、一方だけの世界は成りたたない。昭和の人たちはそれを体で分かっていたけど・・・」。やくざ社会を体験した主人公が本当の自分(=I)に回帰(ターン)する川筋ものの本作も、ひたすら怖い「福澤怪談」も、異世界との接触から生まれるドラマが作品世界の核にあることに気づかされる。


 福澤徹三。今度、書店に行った時は手にとってみたいと思うが、少し怖い。




Posted by わくわくなひと at 17:01│Comments(0)
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