2010年11月15日

“移動”という切り口で村上春樹、多和田葉子・・・を読む

 “移動”という切り口で村上春樹、多和田葉子・・・を読む一昨日、伊藤整の長編小説を読み終え、「さて次は何を読むか」と、井上荒野の『切羽へ』新潮文庫をめくってみた。
 このところ女流作家を読んでおり、井上荒野も1961年生まれの女流作家だ。顔はどこか誰かに似ている。そろそろ違う分野を旅したいとは思うが『切羽』は直木賞受賞作でもあり、少し覗いてみた。
 いきなり「明け方、夫に抱かれた。」から始まる。どうなるんだと1頁半ほど読んだ。しかし、仕事もあるし今日は立ち止まった。
 なぜ小説はおもしろいのだろう。麻薬のような感じもする。小説に翻弄されればされるほど“なぜ?”という知りたい欲求が強くなり、少し堅い本もときには読んでみたくなる。
 青木保『作家は移動する』新書館(2010年9月15日初版第一刷)も、そんな本の一つ。 青木保は文化人類学者と書いてある。“移動”という言葉を切り口に、村上春樹、多和田葉子、堀江敏幸、池澤夏樹、リービ英雄、宮脇勝典の作品について書かれている。
 “移動”は、「現代に生きる人間の基本的なモチーフである。」、「「移動」ということに、現代の人間の存在を深いところで何ごとか規定するものがあるように思うのだ。」と書いてある。
 私自身も改めて思うと、少なくとも週に1回は福岡と熊本の間を移動している。そして、月に1~2回以上は北部九州のどこかに移動することが多い。今週は東京行きも控えている。
 疲れる時もあるが、それよりも、何か好奇心を満たすものに出会えることをむしろ楽しんでいることに改めて気づく。「移動」という行為そのものに何か乏しい創造性を刺激するものがありそうな感じがしており、この本の中にも、そんなことが書いてあるような気がする。
 『切羽へ』を読むか?『作家は移動する』を読むか?並行して読んでいく習慣がついているので、この二冊をバッグに納めて移動することにしたい。重たいけど・・・。




Posted by わくわくなひと at 17:28│Comments(0)
※会員のみコメントを受け付けております、ログインが必要です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。