2010年09月08日

「こういう本を読む人と思われたい」と思って見栄で買う本

「こういう本を読む人と思われたい」と思って見栄で買う本 内田樹『街場のメディア論』の中で、もう一つ、記録しておきたい内容がありました。
 人が本を買う理由です。

 その書棚に並んだ本の背表紙を見た人が「ああ、この人はこういう本を読む人なんだな。こういう本を読むような趣味と見識を備えた人なんだな」と思われたいという欲望が書物の選択と配架のしかたに強いバイアスをかけているということです。

 アッハッハッ!という感じですね。確かに、このような欲望はありますね。
 私くらいの年頃になると、かなり見栄とかがなくなってきていますので、私風に言えば、「この本を読んで、自分もあこがれの趣味と見識を備えたい」と思って本を買います。
 私の場合で言えば、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』は、まさに見識を備えたいと思って買いました。まだ、この本は読んでいません。別の本を読む終えるたびに、次は『これからの「正義」・・・』だと思いますが、すぐ違う本が割り込んできます。
 逆に、たくさん読んでいても、あまり本棚に並べたくない本もあります。私の例で言えば、『永遠の0』系統の本ですね。この分野に関しては、相当な量の本を読んできましたが、単純な人には勘違いされることもありますので目立たないところに置いています。今はお世話になる必要もありませんが、若いころのエロ本もそうですね。

 書棚に並んだ本の背表紙をいちばん頻繁に見るのって、誰だと思いますか。自分自身でしょう。

 確かに書棚の本を一番見ているのは、私だと思います。背表紙を見て、「あっ!読みたい。早く読まなければ」と強迫観念が湧いてきます。

 比較的大きい本屋さんで、2万円分くらいの本を買うことがあります。買った後、本の前書きと後書き、目次をながめて思うことは、「自分にこんなニーズがあったんだ」と改めて自分を再発見するのは楽しみですね。

 作者がこの後、言いたかったのは、電子書籍になった場合、本棚による購買意欲の喚起がなくなる点が最大の弱点だということです。




Posted by わくわくなひと at 15:13│Comments(0)
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