2010年09月07日
全国書店ランキング1位!「街場のメディア論」
内田樹『街場のメディア論』光文社新書を読みました。
先週でしか?西日本新聞の書籍広告に、「全国書店ランキング1位!」「発売たちまち4刷6万部」と載っていました。
「こんなことが許されていいんでしょうか」という常套句。テレビを批判しようとしない新聞。著作権を財物とみなす“著作権原理主義者”-いまメディアは内部から腐っていく!
私の興味ある分野であり、ちょうど熊本に向かう時でしたので、まず近くの新天町の本屋さん2軒を訪ねました。「ありません」。それで次に天神地下街の本屋さんに行きましたが、またもありません。「ひょっとして、在庫切れするほど売れているのか?」と思い、博多駅筑紫口の地下にある「メトロ書店」に行きました。「もし、ここになければ、駅横の紀伊國屋書店まで行くか」と気合いが入ってきました。
「メトロ書店」には2冊ありました。この書店、新幹線を利用する人を想定しているらしく、太平洋ベルト地帯の人の好みに合わせた品揃えになっていると思います。広告には「4刷6万部」と書いてありましたが、私が手にしたのは、2010年8月20日初版第1刷です。
帯にはもっと過激なことが書いてありました。
巷のテレビ、新聞、出版「危機」論は嘘ばかり
誰も語らないそのほんとうの原因を明らかにする
読後感ですが、帯に書いてあることは言い過ぎだと思いました。誰も語らない原因は、たくさん書いてありました。
特に「へぇ~」と思ったのは、以下の点です。
■「自分が何をしたいか」「自分には何ができると思っているか」には副次的な意味しかありません。・・・「内面の声」に耳に傾ける暇があったら、まわりの人からの「これ、やって」というリクエストににこやかに応じたほうがいい。
■人間が大きく変化して、その才能を発揮するのは、いつだって「他者の懇請」によってなのです。
→今、流行っている自己啓発やキャリア教育と反対のことを言っています。「自分が何をしたいか」「自分には何ができると思っているか」と言われて優等生的に即答している人を見た時の違和感の背後にあるものが何となく分かったような気分になりました。
■・・・テレビのコメンテーターと社説の口ぶりがだんだん似てきたからです。この先、メディアの信頼性を失わせるような重大な問題が起きたときに、たぶんテレビも新聞も「こんなことが起きるなんて信じられない」という顔つきをしてみせるんだろうと思います。でも、報道に携わる人間にとっては「こんなことが起きるなんて信じられない」というのは禁句だと思うんです。・・・責任逃れのためとはいいながら、ジャーナリズムが「無知」を遁辞に使うようになったら、おしまいじゃないだろうかと僕は思います。世の中の出来事について、知っていながら報道しない。その「報道されない出来事」にメディア自身が加担している。それから利益を得ているということになったら、ジャーナリズムはもうもたない。
→確かに、こんなことはよく見かけるし、読みますね。だから、記事は読みますが社説や論説は「ケッ」と思うことが多く読まなくなっています。
「クレイマー化するメディア」「被害者であるということが正義?」「正当化される無責任な「権利」」などクレイマーを助長するようなメディアの動きや、医療や教育を商品のようにみたてて改革を迫り、結果的に医療や教育の崩壊を引き起こしてしまったメディアの責任など、新鮮な内容でした。著作権原理主義者の話も猿芝居を見ているようで面白い内容でした。
全体を通して、行き過ぎた資本主義の考え方や行動に対する文化人類学的な視点からの反論が書かれており、今後の21世紀の社会のあり方のヒントが示唆されているような内容でした。
気になったのは“巷のテレビ、新聞、出版「危機」論は嘘ばかり”と帯でうたいながら、インターネットがもたらす未来については分からないと書いてあったことです。帯は著者ではなくて編集者が書くのでしょうが、嘘というなら未来の新説を期待させる内容であり、これは誇大広告だと思いました。
先週でしか?西日本新聞の書籍広告に、「全国書店ランキング1位!」「発売たちまち4刷6万部」と載っていました。
「こんなことが許されていいんでしょうか」という常套句。テレビを批判しようとしない新聞。著作権を財物とみなす“著作権原理主義者”-いまメディアは内部から腐っていく!
私の興味ある分野であり、ちょうど熊本に向かう時でしたので、まず近くの新天町の本屋さん2軒を訪ねました。「ありません」。それで次に天神地下街の本屋さんに行きましたが、またもありません。「ひょっとして、在庫切れするほど売れているのか?」と思い、博多駅筑紫口の地下にある「メトロ書店」に行きました。「もし、ここになければ、駅横の紀伊國屋書店まで行くか」と気合いが入ってきました。
「メトロ書店」には2冊ありました。この書店、新幹線を利用する人を想定しているらしく、太平洋ベルト地帯の人の好みに合わせた品揃えになっていると思います。広告には「4刷6万部」と書いてありましたが、私が手にしたのは、2010年8月20日初版第1刷です。
帯にはもっと過激なことが書いてありました。
巷のテレビ、新聞、出版「危機」論は嘘ばかり
誰も語らないそのほんとうの原因を明らかにする
読後感ですが、帯に書いてあることは言い過ぎだと思いました。誰も語らない原因は、たくさん書いてありました。
特に「へぇ~」と思ったのは、以下の点です。
■「自分が何をしたいか」「自分には何ができると思っているか」には副次的な意味しかありません。・・・「内面の声」に耳に傾ける暇があったら、まわりの人からの「これ、やって」というリクエストににこやかに応じたほうがいい。
■人間が大きく変化して、その才能を発揮するのは、いつだって「他者の懇請」によってなのです。
→今、流行っている自己啓発やキャリア教育と反対のことを言っています。「自分が何をしたいか」「自分には何ができると思っているか」と言われて優等生的に即答している人を見た時の違和感の背後にあるものが何となく分かったような気分になりました。
■・・・テレビのコメンテーターと社説の口ぶりがだんだん似てきたからです。この先、メディアの信頼性を失わせるような重大な問題が起きたときに、たぶんテレビも新聞も「こんなことが起きるなんて信じられない」という顔つきをしてみせるんだろうと思います。でも、報道に携わる人間にとっては「こんなことが起きるなんて信じられない」というのは禁句だと思うんです。・・・責任逃れのためとはいいながら、ジャーナリズムが「無知」を遁辞に使うようになったら、おしまいじゃないだろうかと僕は思います。世の中の出来事について、知っていながら報道しない。その「報道されない出来事」にメディア自身が加担している。それから利益を得ているということになったら、ジャーナリズムはもうもたない。
→確かに、こんなことはよく見かけるし、読みますね。だから、記事は読みますが社説や論説は「ケッ」と思うことが多く読まなくなっています。
「クレイマー化するメディア」「被害者であるということが正義?」「正当化される無責任な「権利」」などクレイマーを助長するようなメディアの動きや、医療や教育を商品のようにみたてて改革を迫り、結果的に医療や教育の崩壊を引き起こしてしまったメディアの責任など、新鮮な内容でした。著作権原理主義者の話も猿芝居を見ているようで面白い内容でした。
全体を通して、行き過ぎた資本主義の考え方や行動に対する文化人類学的な視点からの反論が書かれており、今後の21世紀の社会のあり方のヒントが示唆されているような内容でした。
気になったのは“巷のテレビ、新聞、出版「危機」論は嘘ばかり”と帯でうたいながら、インターネットがもたらす未来については分からないと書いてあったことです。帯は著者ではなくて編集者が書くのでしょうが、嘘というなら未来の新説を期待させる内容であり、これは誇大広告だと思いました。
Posted by わくわくなひと at 13:53│Comments(0)
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