2010年08月31日

辻信一『スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化』

 辻信一『スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化』少しまとまった休みがとれる時には、こんな本、辻信一『スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化』平凡社ライブラリー(2009年5月29日初版第4刷、2004年6月9日初版第1刷)を読んでみるのもいいかなと思います。
 仕事というと、一つの基準として、“速さ”“効率”“効果”などが強調されます。「そうでないと生き残れない」「明日の自分ためのビジョンや計画は立てたか」など、多くの人が急かされているところをよく見かけます。「目的と手段」の関係から外れるものは「無駄」で「非効率」と見なされるような光景もよくみかけます。
 何の疑問を持たないで、これらの価値観を心棒する人より、心のどこかで、「それでいいんでしょうか?」「だから何なんだ」と思う人の方が、最終的には満足いく人生を送れそうな気もします。もう資本主義やビジネス至上主義は行き詰まってきていますから・・・。
 追い立てられるような日常に少し疑問を感じた人が読むと、この疑問が人間本来の疑問であることを気付かせてくれるのが、この本ではないでしょうか。
 内容は、「もっとゆっくり、今を」「すろー・フード-食べ物を通じて自分と世界との関係を問い直す」「『三匹の子豚』を超えて-スロー・ホームとスロー・デザイン」「『いいこと』と『好きなこと』をつなぐ-スロー・ビジネスの可能性」「テイク・タイム-『動くこと』と『留まること』」「疲れ、怠け、遊び、休むことの復権」「さまざまな時間」「ぼくたちはなぜ頑張らなくてはいけないのか?」「住み直す」「スロー・ボディ、スロー・ラブ」「遅さとしての文化」です。
 この本に解説によると、これまでいっしょに語られることのなかった「障がい者の問題」と「環境問題」をつないだ点が大きな功績と書いてありました。特に「ぼくたちはなぜ頑張らなくてはいけないのか?」の章では障がい者の視点から、私たちを生きにくくしている「身体」と「時間」の枠組みを紐解き、「スローボディ、スロー・ラブ」の章では、「自立」ということを疑い、生きるだけに留まらない、「生かす」、「生かされる」というつながりについて踏み込んでいると書かれていました。
 多田道太郎が書いたこんなやりとりものっていました。
年寄「いい若者がなんだ、起きて働いたらどうだ」
若者「働くとどうなるんですか」
年寄「働けばお金がもらえるじゃないか」
若者「お金がもらえるとどうなるんですか」
年寄「金持ちになれるじゃないか」
若者「金持ちになるとどうなるんですか」
年寄「金持ちになれば、寝て暮らせるじゃないか」
若者「はあ、もう寝て暮らしています」
 著者はあとがきで、「遅れていること」や「ゆっくりであること」や「がんばらないこと」が湛えている豊かな意味へと、何度でも、何度でも帰っていきたいと書いています。
 “速さ”“効率”“効果”などが俎上に上がる時、この価値観が絶対ではないことに思いを馳せて、忙しさを強要される世の中を生き抜いていきたいと思います。
 なお、この作者は私が今年、初めて参加した「1000000人のキャンドルナイト」運動を始められた方です。




Posted by わくわくなひと at 12:05│Comments(0)
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