2010年04月11日

“速さ”を売りにするのは時代遅れかも?

 4月5日付け西日本新聞に、哲学者の内山節さんが論説を書いていました。
『近代以降の社会は、変化のスピードを上げて経済を拡大すれば、社会も人々の暮らしもよくなるという、一種の「予定調和説」を基本にして展開してきた。だが先進国では、この予定調和説が崩れ始めたのである。』
 確かに「変化のスピードを上げる」ことに、この一二年、違和感を持ってきました。東京に仕事で行っている時や東京の人と仕事の打ち合わせをしている時に、特に思ってしまいます。
 そうではない東京人もたくさんいますが、私が仕事で関係している東京人は、“速さ”をむしろ誇っている人が多いような気がします。「そんなのんびりしてたら駄目だよ」とも、よく指摘されます。
 私は“速さ”を売りにしている人たちは、時代遅れではないのか?と、この一年密かに思ってきました。内山さんの説を読んで、心強い思いがしました。
 速さの「予定調和説」が崩れてきたので、どうすればよいか?
 内山さんは具体的ではありませんが、こう書いています。
「むしろ、社会や暮らしの維持にとって必要な経済活動の部分を、過激な変化や競争にさらすことなく拡大していった方がよい。そのためには、地域が主体となった社会が必要になるだろう。なぜなら、何が社会や暮らしにとって必要な経済活動なのかは、地域を主体にして考えなければ、明らかにはできないからである。」
 これまで一方的に、変化に対応できないとみなされた高齢者や障がいのある人々、急速には変わることのできない自然を相手にする農業、“速さ”の経済に翻弄されて崩壊してきた地域社会や家族のあり方等々。私の周りでは、いたるところで21世紀の社会で主役になりそうな人たちの動きが始まっているような気がします。




Posted by わくわくなひと at 13:52│Comments(0)
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