2010年02月23日

松岡正剛『知の編集術 発想・思考を生み出す技法』

~すっかり失せてしまったノウハウ本への関心~
 最近はノウハウ本や教科書みたいな本に、すっかり関心を持たなくなってしまった。ビジネス本、マーケティング関係、経営学関係・・・。30歳前後くらいから、よくこんな本を読んできたものだ。
 何で興味が失せたのだろう?たぶん経営という自分の意識や行動の結果を、そのまま味わってしまう、当事者としての立場にいるからだと思っている。
 その半面、人の気持ちを表現した小説、経営者の体験談、生の消費者の話などに感動することが多い。正直、半分仕方なく読んでいる本もあるが、教科書的なものの内容に底の浅さを感じてしまうことが多い。

~さほど驚きは得られず~
 松岡正剛のこの本もノウハウ本の部類に入るのだろう。昨年、太宰府の九州国立博物館での松岡氏の講演会には大勢の人が詰めかけていた。福岡の丸善でも、“松岡もの”による本や棚割を見かける。ファンも多そうだ。
 この本も、以前、買っていて読んでいなかったものだが、「読むことにするか!」という気持ちで最後まで読むことになった。
 読んだ結果を一言で言うと、さほど驚きはなかった。つまり、「へぇ、そうなんだ」と思う回数が極めて少なかった。松岡氏の言う“編集”は、もっと深いことを言っているそうだ。私のつたない読解力では、どうも、ちまたに溢れる情報をどう見るのか、脳の中でどう位置づけたり解釈していくのか・・・そんなことが“編集”らしい。

~この本を読んでも、すぐ“編集”頭にはなれない~
 三分の一くらい読み進むうちに、「あ!このことはやっている」「こんな頭の使い方はしていない」などノウハウの数々を自分に照らし合わせる作業をやっていた。
 暗記や覚えることではなく、頭の中でどう情報を組み立てて、創造していくか。そんなことのノウハウ本だったと思う。
 しかし、これを一度読んだとしても、そんな頭になることは決してできない。日々の遊びや仕事の中で楽しみながら訓練していく以外にないと、私は思う。
 上の文章とは何の関係もないが、以下は備忘録的にメモしておきたいものである。

・夢中になっている遊びを自分で実況放送するのが好きになった。・・・最近、行ってないが、私はジムのロードランナーでよく実況中継していた。
・「ごっこ」は模倣という学習の基礎を、「しりとり」は言葉やイメージのつながりを学ぶための基礎を、「宝さがし」はヒューリスティック(発見的)な思考やそのための準備をしていく必要性を、それぞれ学習するための基礎にあたっている。
・パイディアはその場に臨んで興奮に入る状態のことを、ルドゥスとはわざわざ困難に立ち向かう忘我の意識の状態のことをいう。パイディア的になることもルドゥス的になることも、そこには利得を越えるものがある。無償でもかまわないという気分になってしまうのである。この無償性が重要である。遊びがこうしたパイディア性(興奮)とルドゥス性(困難)をもっていることは、遊びが欲得ずくではなく広まっていく本質をもっていることを示すとともに、ついつい欲得ずくになる大人たちの遊びからは遊びの本質が薄れていったことを説明する。・・・これは今開発中の商品の重要な指標だ。
・私はこれまでずいぶんと多くの人から「ぼくはあまり本を読まないようにしている」と聞いてきた。・・・これまでヒット商品を連発してきた私の師匠が同じことを言っていた。創造性と関係あるかもしれない。
・世阿弥はその「ものまね」を「稽古条々」として不断に培うことを奨励した。
・見るとは、二度以上見ることである、このマルセル・デュシャンの言葉を忘れないでほしい。・・・何か感じる言葉だ。
松岡正剛『知の編集術 発想・思考を生み出す技法』



Posted by わくわくなひと at 18:16│Comments(0)
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