2010年02月05日
学者が書いた小説のような歴史書『朝日平吾の鬱屈』
この二日間、東京に行ってきましたので、移動時間中に、本を多少読むことが出来ました。
以前、このブログで紹介した中島岳志さんの歴史書『朝日平吾の鬱屈』を読み終えました。
朝日平吾は大正時代に財界の有力者を刺殺した、今で言うテロリストとして知られている人です。この朝日は、財界の有力者を刺殺した後、自らも自決。予め友人や右翼の大物、新聞社などに遺書を送りつけており、朝日本人よりも民衆を顧みない財界の金持ちの方が批判を浴びることになったことを資料などに基づいて紹介しています。
このような流れが当時の首相・原敬の刺殺を誘発し、昭和の226事件など次々と陰惨な事件が続いていくことなる、きっかけをつくったという説を本の中で展開しています。
天皇の赤子である日本人は、天皇を上にいただき、後はすべて平等のはずなのに、何で政財界の大物たちは富をむさぼるのかという義憤が、この朝日を動かした!・・・というのが当時の同情の背景です。
しかし、著者は限られた資料ながら、自分の意のままにならないと暴力や脅しなどの行動に出る、家族や友人などが忠告しても自己反省をすることはないなど、朝日の行動や性格を分析していきます。
非常に限られた資料という理由も、「へえ!こんなことがあるのか」というような内容が小説のように書いてあります。
朝日は、のたれ死になるのは避けたかったらしく、なぜ自分がこのような行動に至ったかを詳細に書き留めていたということです。もちろん中島さんによると、自己中心的な理由がたくさん書き連ねてあったということです。
このまとまった資料は朝日の墓がある寺が保管していたそうですが、Kという作家が寺の方から借りて、未だに返していないということも書いてあります。寺が返却を要請しても、これに応じてくれないことも書いてありました。
朝日のように、世の中から認められたいのに相手にしてもらえず、ついには大物を暗殺を思いつく。中島さんは、こんな事例は最近の凶悪事件でも、同様なことが認められると、相当な危機感を持って、この本を書いています。
1月31日付けの熊日新聞読書欄の中で、司馬遼太郎について「歴史学者でもない小説家が、歴史を偽造する。それを公共放送が大々的に流布する。この動きを危惧した老歴史家が、本書(『司馬遼太郎の歴史観』)を緊急出版した。」と書いてありました。
この本を読んでみないと分かりませんが、私がイメージする論文のような内容であると、ふつうの人はそれを読んでも少しもその時代の空気や雰囲気が分からないのではないかと思います。いろんな証拠などで実証はされているのでしょうが、ふつうの人が知りたいのは、その時代の人たちがどんなことを思いどう人生を送ったかということではないでしょうか。
中島さんの『朝日平吾の鬱屈』は、そんな時代の雰囲気や気持ちが司馬遼太郎ほどではないにしろ伝わってきます。
ただ、すぐ中島さんの次の本を読みたいという気分にならないのは、日本近代の負の部分に焦点を当てているからではないかと思います。
司馬遼太郎は、歴史の中の希望の部分、それも小説でしか表現できない気分や雰囲気を書いてきました。
先行きの見えない時代の中で、人が歴史に求めるのは、希望の部分ではないかと思います。
司馬さんはノモンハンなど昭和に手を付けようとしたが、とうとう書かなかったと、何かの本で読んだことがあります。それは、昭和という時代の中から希望を見いだせる人物を発掘できなかったからではないでしょうか。
以前、このブログで紹介した中島岳志さんの歴史書『朝日平吾の鬱屈』を読み終えました。
朝日平吾は大正時代に財界の有力者を刺殺した、今で言うテロリストとして知られている人です。この朝日は、財界の有力者を刺殺した後、自らも自決。予め友人や右翼の大物、新聞社などに遺書を送りつけており、朝日本人よりも民衆を顧みない財界の金持ちの方が批判を浴びることになったことを資料などに基づいて紹介しています。
このような流れが当時の首相・原敬の刺殺を誘発し、昭和の226事件など次々と陰惨な事件が続いていくことなる、きっかけをつくったという説を本の中で展開しています。
天皇の赤子である日本人は、天皇を上にいただき、後はすべて平等のはずなのに、何で政財界の大物たちは富をむさぼるのかという義憤が、この朝日を動かした!・・・というのが当時の同情の背景です。
しかし、著者は限られた資料ながら、自分の意のままにならないと暴力や脅しなどの行動に出る、家族や友人などが忠告しても自己反省をすることはないなど、朝日の行動や性格を分析していきます。
非常に限られた資料という理由も、「へえ!こんなことがあるのか」というような内容が小説のように書いてあります。
朝日は、のたれ死になるのは避けたかったらしく、なぜ自分がこのような行動に至ったかを詳細に書き留めていたということです。もちろん中島さんによると、自己中心的な理由がたくさん書き連ねてあったということです。
このまとまった資料は朝日の墓がある寺が保管していたそうですが、Kという作家が寺の方から借りて、未だに返していないということも書いてあります。寺が返却を要請しても、これに応じてくれないことも書いてありました。
朝日のように、世の中から認められたいのに相手にしてもらえず、ついには大物を暗殺を思いつく。中島さんは、こんな事例は最近の凶悪事件でも、同様なことが認められると、相当な危機感を持って、この本を書いています。
1月31日付けの熊日新聞読書欄の中で、司馬遼太郎について「歴史学者でもない小説家が、歴史を偽造する。それを公共放送が大々的に流布する。この動きを危惧した老歴史家が、本書(『司馬遼太郎の歴史観』)を緊急出版した。」と書いてありました。
この本を読んでみないと分かりませんが、私がイメージする論文のような内容であると、ふつうの人はそれを読んでも少しもその時代の空気や雰囲気が分からないのではないかと思います。いろんな証拠などで実証はされているのでしょうが、ふつうの人が知りたいのは、その時代の人たちがどんなことを思いどう人生を送ったかということではないでしょうか。
中島さんの『朝日平吾の鬱屈』は、そんな時代の雰囲気や気持ちが司馬遼太郎ほどではないにしろ伝わってきます。
ただ、すぐ中島さんの次の本を読みたいという気分にならないのは、日本近代の負の部分に焦点を当てているからではないかと思います。
司馬遼太郎は、歴史の中の希望の部分、それも小説でしか表現できない気分や雰囲気を書いてきました。
先行きの見えない時代の中で、人が歴史に求めるのは、希望の部分ではないかと思います。
司馬さんはノモンハンなど昭和に手を付けようとしたが、とうとう書かなかったと、何かの本で読んだことがあります。それは、昭和という時代の中から希望を見いだせる人物を発掘できなかったからではないでしょうか。
Posted by わくわくなひと at 20:36│Comments(0)