2010年01月19日

人をまるごとまいらせる文章とは・・・『名文』を読む

 森沢明夫の小説を読んで、その美しい文章に感動した。そして、自分はどのような文章に感動するのか知りたくなってしまった。
 そういういきさつで購入したのが、中村明『名文』ちくま学芸文庫(1999年8月25日第七刷)である。なるほど、いわゆる「名文」と言われる文章の一部が50も掲載されており、その秘密が紐解いてある。素直に、なるほどと思うし、すごい分析だと思った。美しい文章に感動すること(名文を読んだ時の刺激と反応)を、「ある人がある意図を持ってある形でおこなった表現によって、別のある人が刺激を受け、そこに積極的に参加する過程で起こる精神上の変化の総体」だと説明している。
 まだ私が社会人になりたての頃、“分かりやすい”ということが金科玉条のような職場で長く過ごした。確かに“分かりやすい”ということは文章を書く上で一つの基本だろう。しかし、“分かりやすい”ということを余りにも強調してしまうと、文章の書き手の頭の中まで単純になってしまうのではないか?と思い続けてきた。文章の対象になる人の心や世の中の動きなどは、もっと複雑怪奇である。このため書き手は、書く対象を変に単純化するのではなく、真摯に向き合って書きつづっていくことが理想ではなかろうか!と小さくささやいてきた。
 この本に、「間違いのない、ただ通じるだけの文章に、人は感動しない。」「名文とは、人をまるごとまいらせる文章だ」と書いてあった。
 そんな文章は簡単に書けるものではないし、たぶん一生書けないだろう。しかし、そんな文章や本に少しでも多く出会いたいと強く思う。
 50の名文に接して気づいたことがあった。名文を書く人は耳や目からだけの情報で書いていない。触覚、嗅覚、味覚も含めた五感を総動員して、書く対象と向き合っている。それに、だれも気づかないで通り過ぎてしまうようなことを捉えてしまう個性的な着眼点を持っている人たちが名文書きである。捉えたことを、別の人に刺激として伝え積極的に参加させてしまう表現力(確かな観察と内面描写など)も兼ね備えている。
 死ぬまでに、少しでも多くの“まいってしまう”文章に出会いたい。
 以下は50の名文のうち、読んでみたいと思った作品である。
・坪田譲治『風の中の子供』(昭和11年)
・掘辰雄『風立ちぬ』(昭和11~13年)・・・昔、読了
・網野菊『風呂敷』(昭和15年)
・永井龍男『風ふたたび』(昭和26年)
・小林信夫『小銃』(昭和27年)
・串田孫一『秋の組曲』(昭和29年)
・幸田文『おとうと』(昭和31~32年)
・円地文子『妖』(昭和31年)
・丸谷宰才一『笹まくら』(昭和41年)
・小沼丹『懐中時計』(昭和43年)
・阿部昭『大いなる日』(昭和44年)
・田宮虎彦『沖縄の手記から』(昭和47年)
・宮本輝『螢川』(昭和52年)・・・昔、読了
人をまるごとまいらせる文章とは・・・『名文』を読む



Posted by わくわくなひと at 21:33│Comments(0)
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