「おい、神様に祈ったか?」稲盛和夫さんの金言
触覚というのか?関心がある情報は何となく目に飛び込んでくるものです。
先週末、福岡空港の売店で目に入ったのが
「プレジデント」2011年8.15号です。
「『7つの習慣』コヴィー博士VS稲盛和夫、初対談!」というタイトルに目がとまりました。
飛行機の中で読むのにちょうどよい。たとえ居眠りしても、大丈夫そうだから、即刻購入しました。
『7つの習慣』のポイントとなるところの解説もちゃっかりいただきました。心と体に刻みつけるのに手ごろな量です。それと同時にJALをV字回復させた稲盛和夫さんの名言もたくさん書いてあったので、本当、得した気分になりました。
以下、稲盛さん語録です(独断でピックアップ)。
動機善なりや、私心なかりしか。
あまりのひたむきさに神様が哀れに思い、かわいそうだから注文をあげよう、と思われるくらい努力するしかない。
おい、神様に祈ったか?
※ある晩、セラミック製品の焼成炉の前で、呆然と立ち尽くしている技術者を、稲盛を見つける。その技術者は「万策尽きました」と泣いていた。そのとき、稲盛は思わず「おい、神様に祈ったか?」と声をかけたのだ。稲盛が言いたかったことは、神に祈るほど最後の最後まで努力したのか、ということだった。
魂をエンカレッジしないと、人間はどんどん利己的に動いていってしまう。
悩んで悩んで、苦しんで苦しんでいくときに、「ひらめき」言い換えれば「天の啓示」がある。
不可能を可能に変えるには、まず「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。