小池真理子『玉虫と十一の掌篇小説』 感覚鋭く美しい描写の数々

わくわくなひと

2010年11月23日 23:09

 短編小説よりも短い手のひらにしまえそうな小説が十一も納められていた。
 文章も美しく読後感も「いただきました。ありがとう」という感じだった。題名は「食卓」「千年烈日」「一炊の夢」「声」「いのち滴る」「死に水」「妖かし」「飼育箱」「一角獣」「玉虫」「さびしい」。
 巻頭にオスカー・ワイルド『サロメ』の「恋の測りがたさにくらべれば、死の測りがたさなど、なにほどのことでもあるまいに。」と書いてある。読んで数日経っているので、正確には憶えていないが、すべて男女の話だったように思う。
 「千年列日」に「自分がどこにいるのか、何をしようとしているのか、どこから来たのか、どこに向かっているのか、本当にわからなくなる。そのくせ、女は空っぽになった自身の肉体の中で、時間がごうごうと音をたてて渦を巻き始めるのを感じる。時間の渦は、巨大な排水口の奥に一挙に吸い込まれていく水のようになって、女を呑み込む。暗がりの奥へ奥へと引きずりこんでいく。」と書いてあった。どの掌篇も、そんな女性の気持ちが書いてあるような印象を持った。
 改めて文章を写していくと、文章のうまさ、感覚の鋭さを改めて実感する。例えば、こんな描写は、とても男性に書けない。まったく降参した。

 「いのち滴る」より
 雨で仄暗くなった室内に電気はつけられていなかったが、それでも障子窓の白さが、うすぼんやりとした外の光をたくわえて、あたりは白々と奇妙に明るい。雨が離れの軒先を烈しく叩き、ざあざあ、と間段なく続くその音は、少年の口からもれた喘ぎ声を完全に消し去っている。
 女は身じろぎもできずにいた。何も考えられなかった。
 少年が握りしめている、美しい植物のようなものは、淡い桜色に輝いている。今にも弾け飛んでいきそうに張り詰めている。
 なんという豊穣・・・・・・。なんというエロス・・・・・・。なんという生命力・・・・・・。

(もうこれ以上は書けません)