ストーリーは「行って帰る」が基本・・・創作のための物語論
大塚英志『ストーリーメーカー』アスキー新書(2010年2月22日第1版第3刷、2008年10月10日初版)を読んだ。
読みたくなった訳は、最近、小説がおもしろいと感じており、そう思わせる小説というのはどうなっているか(どんな構造になっているのか)知りたくなったからである。
どうもこの数十年、社会や市民意識などを構造化することで理解していく思考に慣れてしまっている。“芸術を構造化する”とは不遜なことだという思いもあるが、やはりと言うか、そういう試みがすでに行われてきていることにまず驚いた。
物語を作って人に提示すると、多くの人が理解しやすい。なぜ、そうなのかは本書に書いてなかったが、確かにそのようである。商品やお店を売り出す際に、「ストーリーをつくろう」という話になる時がある。うまい物語を作れば、人が共感してくれる。確かにそうである。
本書には、そのための文法や法則、物語を創作していく時のポイントが書いてある。
物語の基本中の基本は「行って帰る」ことだと本書は指南する。そして世界中の神話はたった一つの構造からなっていることを示してくれる。主人公が今という現実から苦難を乗り越えながらパワーを付けて違う世界に行き、また元の世界に以前とは違った人間となって戻ってくる。元の世界に戻ってくる時には追ってが次々と迫ってくるパターンもある。おおよそ物語は、そんな文法でできていることが示される。そう指摘されれば、なるほどと思ってしまう。
川端康成、大江健三郎、吉本ばなな、村上春樹、宮崎俊のいずれも海外の人々に受け入れられた作品を書いている。共通するのは、こういった世界共通の「構造」を持った物語であることも示される。
それよりも、やはりというか驚いたことが、ハリウッド映画の脚本がこういった構造を熟知していて、しかも場面やプロセスを分業とグループワークで創作していることだった。日本では天才といわれる人が、せいぜい少数の弟子に手伝ってもらいながら世界に通用する作品を作っていることが多い。これに対し、アメリカは分業とプロセス、グループワークを一つの仕組みとして大人数の地域産業として発展させている。さすが数十年前に月に人を送り込んだ国の凄さを思い知らされた。アポロ計画も、一つの目標実現のための緻密なプロセスの構築と分業、そしてグループワークの賜であることは知っていた。このノウハウがソフトなコンテンツ産業分野でも行われていることを知り、恐れ入ってしまった。
作者は芸術工学博士で、まんがの原作者でもある。この本の中に出てきた、以下の参考文献は近いうちに読んでみたい気持ちになってきた。
■大塚英志『キャラクター小説の作り方』
・『キャラクター小説の作り方』で示したようにイラク戦争という根拠なき戦争に対して人々から批判的能力を奪ったのは、あの戦争がハリウッド映画の文法通りに進行していった、すなわち「戦争」を解釈する思考が経済でも思想でもなく「物語論的な因果律」に取って代わっている、という事態でした。ようやく今になってそのつけが回ってきた「小泉改革」においても、それを国民が熱狂的に支持した「郵政選挙」もまた、イラク戦争と全く同じ物語構造をもち、いわば両者は物語論的には「ヴァリアント」であることについては同書の文庫版で示しました。
■クリストファー・ボグラー『神話の法則 ライターズ・ジャーニー夢を語る技術5』ストーリーアーツ&サイエンス研究所(2002年)
・『スター・ウォーズ』以降の物語論として良くも悪くも象徴的な存在。
■ニール・D・ヒックス『ハリウッド脚本術-プロになるためのワークショップ101』フィルムアート社(2001年)
・主人公の「欠落」(つまりは「回復」されるべき目的)を「内的」なものと「外的」なものの二つの面から定義するシナリオ作成技術。
■北山修『増補・悲劇の発生論』金剛出版(1982年)
・昔話「夕鶴」において鶴の女房<つう>が夫である<与ひょう>に障子の向こうをのぞいてはならないと禁じながら、それを破られることの精神分析的な解釈→そういえば、
最近、北山修さんは九州大学の教授をやめて福岡を去りました。ときどきは、ステージに立たれるという記事を読みました。
■大塚英志『サブカルチャー文学論』朝日新聞社(2004年)
・石原慎太郎の小説(化石の森)の主人公は「見るなの禁止」を破っても母から自立できないし、むしろこの禁忌を破ってみせることが逆に濃密な母子関係の証明にさえなっている節があります。