本や若者に対する常識を覆す“すごい本”・電子書籍の衝撃

わくわくなひと

2010年07月10日 15:02

 佐々木俊尚『電子書籍の衝撃 本はいかに崩壊し、いかに復活するか?』ディスカバー携書(2010年4月15日第1刷)を読みました。この本は、けっこうすごいことを書いています。佐々木さんという毎日新聞出身のジャーナリストが書いたものですが、若い人たちの意識と行動についての考察を面白く読ませていただきました。
 木曜日に福岡から東京へ向かう飛行機の中で半分読んで、帰りの飛行機で読了するつもりでした。実際は50頁くらい読んだら意識がなくなり、気づいた時は着陸態勢。それでも、けっこう面白かったので、夜中に起き出して読んでしまいました。
 何が面白かったか。10歳代から20歳代の若い人々の情報やメディアに対する意識と行動がさりげなく分析されていたことに驚きました。インターネットや携帯、ブログ、ツイッターなど情報ツールを取り巻く環境が激変しています。そういう中で若い人の意識と行動がどんな風になっているか?
私の娘は17歳ですが、ネットや携帯の使い方が明らかに私とは違う。たぶん若い人たちは、自分たちが私のような世代と違った意識や行動をしているという自覚は持っていないでしょう。情報やメディアに対する接し方が違うと感じるのは、過去のものとなりつつある古い接し方をしている我々の世代だけかも知れません。
 本は売れなくなっている。それは若者の文字離れが原因でもなければ、本というコンテンツそのものの問題でもなく、徹底的に流通構造の問題であるというのが著者の主張です。
 本というコンテンツを流通させるプラットフォームが、いまの日本では恐ろしいほどに劣化してしまっているから、本は売れなくなっていることが、この本で明らかにされていきます。
 劣化の要因は、本を雑誌と同じようにマス的なやり方で流通させてしまったこと。二つ目は、書店が本を出版社から買い取るのではなく、預かる「委託制」という仕組みを導入してしまったこと、としています。
 そのような状況の中で、若い人の意識と行動が変化している上に、これに応えるような電子書籍が登場し、流通構造が変化せざるを得ない状況が出現したということです。
 本というコンテンツは生き残りそうです。しかし、出版社、取次、書店という、本を取り巻く業界は根本的な変革を迫られているのではないかということが、この本を読むと想像できるようになっています。

 以下は、本の主張とは別に、特に私が書き留めておきたかった内容です。興味のある方は、お読みください。

■大量に本を読む秘訣は“寝ころんで読むこと”
■読書量を加速させる電子ブックの登場
■マスマーケティングの崩壊とコンテンツの細分化
■活字離れしていない若者。対応できていない出版、新聞業界
■ケータイ小説本の売れ方
■往来堂書店と丸善・松丸本舗


■大量に本を読む秘訣は“寝ころんで読むこと”
 一年間に「たぶん百冊以上はちゃんと読んでいる活字中毒者」という筆者ですが、私もまったくそうなんです。
 よく質問を受けます。「いつ読んでるんですか?」と。「暇見つけて読んでるだけ」と私は答えますが、この本を読んで、説明が足りなかったと思いました。
 実は数学関係の本(自分なりに計算とかしたいので電卓とかパソコンが必要です)を除けば「ソファやベッドで寝ころんだ状態」で私は読んでいるのです。机に向かって背筋を伸ばして読んでいるわけではありません。もう10年近く前になりますか。ゴールデンウィークの間、3日間くらいで司馬遼太郎の「坂の上の雲」8巻?とそれ以外にも3冊くらいの本を読んで、3カ月くらい両手が上がらなくなりました(40肩と言われましたが、ちょっと違うかな?)。すべて寝ころんだ状態で読んだために体が異常をきたしたというワケです。
 近く日本でも市販されるというキンドルは、「ソファやベッドで寝ころんだ状態でも読める手ごろな大きさと軽さで、しかも紙の本の大きさと同じくらいの画面と読みやすさを備えている」そうです。この本によると、キンドルは300グラム足らず、iPadは700グラム。本はリラックスして寝ころんだ状態で読むものですので、この差は大きいですね。本読みにとってのポイントは、だれも公言はしませんが“寝ころんだ状態”やリラックスして読めるかどうかだと思います。

■読書量を加速させる電子ブックの登場
 電子ブックの登場によって、いつでもどこでもどんな場面でも、自分が読みたいと思った文章を読めるようになるのです。これで外泊するときに何冊か必ずバッグに入れて、ふうふう言うこともありません。このことを本のアンビエント化と言うそうです。

■マスマーケティングの崩壊とコンテンツの細分化
 ふつう書店では新刊本が目立つように並んでいますが、電子ブックになると既刊本も有名でない本も同じようにリストに並ぶことになります。iTunesを使っている若い人の間では、何が今流行っている曲かよりも、自分が聞きたい曲、自分に心地よい曲を選んで聴くという行動が主流になってきているそうです。今、聞いている曲がいつ作曲されたのかも知らないで聞いているそうです。本もそうなる可能性が高いと、著者は予言しています。つまり、「みんなが買っているから私も」という付和雷同的な「記号消費」(ジャン・ボードリヤール)とは違った消費者行動が広まってきて、マスマーケティングが通用しなくなることを意味しています。つまり、音楽業界のようにメガヒットは少なくなり、買う本が個性化、多様化するということです。
 新聞も新聞紙というパッケージに基づいて、政治面、経済面、文化面、社会面という流れで読むのではなく、多くのネットユーザーはRSSリーダーから拾い読みするか、あるいは記事を紹介するブログのリンクからたどって新聞記事に直接たどり着くような方法にシフトしているようです。新聞記事や動画、音楽などのコンテンツがバラバラに細分化され、断片化して流通するというマイクロコンテンツ化が、消費者の行動によって促進されています。

■活字離れしていない若者。対応できていない出版、新聞業界
 出版業界や新聞業界の人、評論家などが「若者の活字離れが深刻化している」「教養が失われた」と眉をひそめているという話をよく聞きます。しかし、小学生が図書館で本を借りた冊数は2009年11月時点で過去最高を記録。高校生の図書館の利用回数や本を読んだ冊数も増えているそうです。統計から言えることは、「いまの若い人たちは、ものすごく本を読んでいる。」。ブログや掲示板やSNSでの「読む」という行為を含めれば、現在の若者は活字にきわめて親和性の高い世代であると、著者は指摘します。
 「インターネットの文なんて断片的で短いものばかりだろう。そういう短絡的なものばかり読んでいたら頭が悪くなる。」といった誤った思いこみをしている人は多いと思います。私も、そう思っていました。しかし、私のブログもそうですが、「ブログやニュースサイトを中心にものすごく長い記事が大量に配信されており、それらの多くはパソコンの液晶画面で読まれています。」ということです。若者は活字離れしていないが、出版業界や新聞業界など活字のビジネスが対応しきれていないと著者は主張しています。

■ケータイ小説本の売れ方
 ケータイ小説の読者は、自分の好きな小説が書籍化されると、ひとりで4冊購入するというのが読者の典型的なパターンだそうです。一冊は自分が読むため、二冊目は自分の部屋に飾っておくためのもの、三冊目は保存用で、四冊目は友人に貸すための在庫だそうです。「読むコンテンツ」というよりは「宝物」的な存在であり、宝物を購入することによって、自分の好きな作家さんの夢を支えてあげようという気持ちを持っているそうです。ケータイ小説の魅力は、村上春樹のような現実に存在しないような男の話ではなく、谷川流の明らかにオタクの文脈の中でしか描かれない表現でもなく、日常の会話や情景など圧倒的なディテールのリアリティにあるそうです。これが特に地方に住んでジャージを着ているような男の子や女の子に支持されている理由ということです。「私と同じ会話をしている」「私と同じ経験をしている」と感じることで、自分と他の人々が同じ空間を共有しているような感覚につながるとしており、コンテンツではなくコンテキスト(文脈)としての要素を持っていると分析しています。
 バーチャル空間でプロフを読み、掲示板を読み、モバゲータウンで他人の日記を読み、どんどん活字文化の世界に入り込むという行動(たぶん私の娘もこれにはまってます)。それまで文字文化とほとんど関わっていなかった「地方の若者」というマスの集団が、ネットを経由して一気に活字の世界に流れ込んできているそうです。

■往来堂書店と丸善・松丸本舗
 平台や書棚の本が何かよくわからないけど、惹き付けられるということがあります。逆に、どこにでもありそうな匂いの本屋さんがたくさんあります。何か惹き付けられる理由の一つが書いてありました。
東京・千駄木にある往来堂書店と丸善の松丸本舗のやり方です。取次のデータ配本とはまったく異なる、独自の考え方がこれらの店では実現されています。往来堂書店の安藤さん曰く「書棚は管理するものではなく、編集するものだ」。食品関連の事件が話題になっている時は、食品衛生法の本を並べ、そしてその周囲にはその食品の歴史をひもといた本など関連本を次々と並べるそうです。往来堂は「文脈」を店の側が編集し、店内をひとつの空間メディアとして見せているそうです。自分が買った本を振り返ってみると、自分の関心事や好み、思考パターンに沿った何らかの共通項や関連性があることが分かります。確かにそういった「文脈(コンテキスト)」というのがあり、それと共鳴すると、ついたくさん本を買うことになります。
 丸善の松丸本舗は松岡正剛さんの「文脈」に沿って書棚がつくられているそうです。もう閉店しましたが、天神の丸善書店でも、独自のメッセージを感じとったものです。
 これが今後の書店の生き残り策の一つでしょうね。熊本では、新市街の玉屋通りにある小さい本屋さんがそうだと思います。上通りの長崎書店さんからも多少、そのような香りが漂ってきますね。