ヘッセ『知と愛』を読んで阿修羅を思い浮かべました

わくわくなひと

2010年06月16日 12:30

ヘルマン・ヘッセ『知と愛 NARZISS UND GOLDMUND』新潮文庫を一月前くらいに読みました。もともと、この「おてもやんブログ」で長崎書店さんが紹介されていて、興味が湧きましたので、寝る前にちびりちびり読み続けました。
記憶が薄れてきましたので、今のうちにメモっておくことにします。
「自由と秩序、衝動と精神、その両者を同時に体験することはけっしてできなかった。常に、一方をあがなうためには他方を失わねばならなかった。しかも、そのいずれもが同様に重要で熱望に値した。」
生存する際の二元と対立。この人生永遠のテーマを、ナルチスとゴルトムントという二人の青年の軌跡を描くことによって考えていく小説かなと思いました。
もともと修道院でともに学んでいた二人の青年が、その後、違う人生を歩み、最後は再会する。一人は、つまりナルチスは修道院で学び続け院長になる。ゴルトムントはいろんな土地や女性を遍歴し芸術家となる。
ゴルトムントの遍歴の記述は、「エッ!」と思うほど刺激的でしたが、何より芸術に対する見方は「確かにそうだろうな」と頷く箇所が多数ありました。
・「この美しい感動的な娘の像を作り、その顔に、態度に、両手に、恋する男のあらゆる情愛と賛嘆とあこがれを封じこめたのであった。」
・「気品をもって美しく立ち、つぎつぎと死に去っていく人間の世代に超然としている姿は、無限の慰めであり、死と絶望にたいし凱歌をあげる勝利であった。」
・「このひどく古いいかめしい像が彼の心を突然極度にはげしい力で動かした。彼は敬虔な心で神聖な像の前に立った。その中には、古い過去の時代の心が生きつづけ、とっくに消えた種族の不安と陶酔とが幾世紀ののちに石に凝り固まっても、なお無常にたいしさからっていた。」
 上の記述を読んで、私は一年近く前に見た阿修羅像を思い出しました。心を極度にはげしい力で動かされる。そんな作品は、作った人の思いがつまっているんだと、つくづく思いました。