北村薫『鷺と雪』
私にとって東京は立体を感じてしまう街である。福岡もそうだが、空中には高速道路、地中には地下鉄、地上には高層ビルがあり、限られた空間を余すところなく人間が使っている。20世紀の英知?を最大限に表現した遺産だと思う。
それと、私の場合、東京というと何故だかもう一つ立体的に見えてしまう。長らく政治、経済の中心であった東京にいると、一つの風景を眺めてみただけで、実際に体験したり見たわけでもないのに、数十年前の光景が脳裏に浮かぶことがよくある。
二月初めに隅田川沿いの某大手飲料メーカーの展望レストランにいた。眼下に広がる下町の夜景を眺めながら、昭和20年3月10日の夜のことを思ってしまった。この後、浅草寺詣でをし、突然、大学の友人から電話がかかり急遽渋谷に向かうことになった。浅草から渋谷までは地下鉄銀座線で一本で結ばれている。この地下鉄は戦前から開通しており、むき出しの大きな鋲がいくつも打ち付けられている大きな鉄骨が長い歴史をイメージさせる。日本橋の三越あたりも、昭和の東京や戦前の東京を思わせる建物や構造物がいくつも残っている。
前置きが長くなったが、北村薫『鷺と雪』は昭和初期から226事件が起こった雪の朝までの華族の話をミステリータッチで描いた小説である。今も残る地下鉄銀座線、日本橋の三越、銀座の服部時計店、上野周辺のことがきれいな文章で再現されている。
主人公は良家の令嬢で麹町に屋敷があるという設定。大学時代はかなりの時間、紀尾井町や麹町周辺で過ごした。今も旧伯爵邸や車寄せのある洋館などが残されている街であり、北村氏の文章と自分の記憶が重なり合って、かなりリアルな映像と香りを思い浮かべながら読むことができた。
ルンペン、ブッポウソウ、ドッペルゲンガー、三越のライオン像にまつわる都市伝説、昭和11年2月26日の雪の朝。これらをキーワードに話は進む。当時の地方は東北を中心に凶作、世の中全体が未曾有の不況。娘の身売りなど悲惨な出来事があふれる世の中だったとされている。しかし、昭和の初めまでの華族はモダンで優雅な暮らしをしていたという。そんな華やかな暮らしに忍び寄る不穏な予兆が、華族出身のルンペンの死、東京では聞くことはできないと思われていた不吉なブッポウソウの鳴き声などとして起こってしまう。そして、昭和11年2月26日、雪の朝の出来事がつづられ余韻を残しながら物語は終わる。
ルンペンの死は「男爵松平斉の失踪事件」、三越のライオン像に人から見られずにまたがると念願かなうという都市伝説、昭和10年、夏の帝都の夜空を(声の)ブッポウソウが泣き渡ったこと、細川家能楽堂で梅若万三郎が慣例を破り面をつけて『鷺』を舞ったこと。作者はこういった歴史的事実を題材にして、この小説を創作した。
「ことを見つめるのは人である。これらの様々な出来事の中に、登場人物たちはいた。」という。
直木賞受賞作。史実から広げていく創造力と文章力。読み進まないではいられない、人を引き込んでいくストーリー。今後、北村薫という作家の名前を見聞きしたら、少しは関心を持つことになりそうだ。
この小説で一番印象深かった表現は、以下の通り。小林秀雄の「当麻(たえま)」の文章を思い出した。
「上がって強く打ち下ろされると見えた足が、床に届く時、すっとどこかで勢いを断たれ、音は虚空に吸われる。しんしんと静かだ。そこで音がしないから、鷺は中空にいるようであり、この世のものの持つ重さからも解放される。着ている白も、能楽師の装束ではなく、何かそれを越えたものに見えて来た。現実にそこで動いているのだから、あり得ない話だが、万三郎の袖は、引力の法則を越えスローモーションで動いているようだった。演ずる者の命は、まとう衣装の袖の端にまで行き渡り、精妙に震えていた。」